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翌日。
俺は三日連続で区役所に来ていた。
正直、もう区役所の建物を見るだけで少し疲れる。
異世界では冒険者ギルドに通っていたが、こっちの世界では役所通いが日課になりそうだ。
「田中さん、おはようございます」
受付の向こうから佐々木さんが顔を出した。
今日も笑顔だ。
本当に立派な人だと思う。
俺なら三日連続で同じ相談者が来たら、絶対に嫌な顔をしてしまう。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「こちらこそ。では、相談室へどうぞ」
俺は佐々木さんの後についていった。
その背中を見ながら、ふと思う。
この人、いつ休んでいるんだろう。
「それで、田中さん。昨日お話しした金貨についてですが、まだ正式な鑑定先は決まっていません」
「そうですか」
「ただ、金属としての価値を調べることはできそうです。通常の金貨とは違う意匠なので、歴史的な価値については判断が難しいかもしれません」
「なるほど」
「それと、本人確認の件ですが、戸籍情報の照会を進めています。田中さんが以前、日本に住んでいたことについては確認できそうです」
「本当ですか?」
「はい。時間はかかりますが、少しずつ進めていきましょう」
よかった。
少なくとも、俺がこの国に存在していたことは証明できそうだ。
十二年前に突然消えた人間が、今さら戻ってきた。
それだけで十分に面倒な案件だろう。
佐々木さんには頭が下がる。
「ありがとうございます。佐々木さんには本当にお世話になってます」
「いえ、仕事ですから」
佐々木は穏やかに微笑んだ。
しかし、その心の中では。
(いや、ほんとに面倒なんだよなあ……)
(毎日毎日、異世界の話を聞かされて、金貨を見せられて)
(しかも、この人、話が長いんだよ)
(悪い人じゃなさそうなのは分かるけどさあ……)
(頼むから、今日は何事もなく終わってくれ)
佐々木は心の中で切実に願っていた。
もちろん、表情には一切出さない。
「ところで、田中さん」
「はい?」
「日本を離れていた間のことについて、もう少し詳しく伺ってもいいですか?」
「異世界での生活ですか?」
「……はい。差し支えない範囲で」
「分かりました」
俺は少し考えてから話し始めた。
「最初は森の中に飛ばされましてね。言葉も通じないし、食べ物もないし、魔物に襲われるしで大変でした」
「魔物……」
「最初に出会ったのはゴブリンでした。あれは本当に危なかった」
「ゴブリンですか」
「ええ。小柄なんですが、集団で襲ってくるんですよ。最初は何度も死にかけました」
「……そうですか」
(ゴブリンって、ゲームの話じゃないのか?)
(いや、もういい。今さら驚いても仕方ない)
(この人は異世界にいたという設定なんだ。そういうことにしておこう)
佐々木は書類にメモを取った。
「その後は冒険者になりまして、十年以上生活していました」
「冒険者というのは、具体的にどのようなお仕事ですか?」
「依頼を受けて魔物を討伐したり、薬草を採取したり、遺跡を調査したりですね」
「危険なお仕事だったんですね」
「まあ、そうですね。俺はあまり強くなかったので、何度も逃げました」
「逃げた?」
「はい。勝てない相手とは戦わない。冒険者の基本です」
俺は真面目に答えた。
佐々木さんは少し意外そうな顔をした。
「……なるほど」
「無理して戦って死んだら終わりですからね。勝てないなら逃げる。準備が足りないなら引き返す。それが一番です」
「確かに、大切な考え方ですね」
(いや、まともなことを言うじゃないか)
(異世界だのゴブリンだのはともかく、危険な仕事をしていたという話自体は嘘とも言い切れないのか……?)
佐々木は少しだけ考え込んだ。
「それでは、今日はここまでにしましょう」
「ありがとうございました」
俺が立ち上がろうとしたとき、相談室の壁に掛けられたテレビが目に入った。
ニュースが流れている。
『本日午前、東京都内の第七ダンジョンで探索者三名が負傷しました。現場は中層付近で、原因は新種の魔物とみられています』
「……ん?」
俺はテレビを見つめた。
画面には、巨大な地下空間が映っていた。
岩壁。
発光する鉱石。
奇妙な植物。
そして、武器を持った人間たち。
その映像を見て、俺は思わず声を上げた。
「ダンジョン……?」
佐々木さんが振り返った。
「ああ、ダンジョンですね。田中さんはご存じないですよね」
「いや、知ってますけど……」
「そうですか?」
「これ、いつからあるんですか?」
「ええと、最初に確認されたのは六年前ですね」
「六年前?」
俺は思わず聞き返した。
「はい。二〇三〇年に最初のダンジョンが発見されました。それから全国各地で確認されるようになって、今では探索者という職業も一般的になっています」
「探索者……」
テレビでは、若い男女が武器を手にダンジョンの中を歩いていた。
画面の下には、探索者の配信映像という文字がある。
『こちらが今回発見された魔石です! これ一個で結構な金額になりますよ!』
若い男性が手のひらに青い石を乗せている。
俺は目を見開いた。
魔石。
あれは、異世界にもあった。
魔力を蓄えた鉱石で、魔道具の動力源にもなる。
品質によって価値が変わるが、一般的なものでもそれなりに高値で取引されていた。
「……魔石まであるのか」
「はい。ダンジョンから採取できる魔石は、エネルギー資源としても注目されています。ほかにも鉱石や薬草、魔物の素材などが見つかるんですよ」
「薬草も?」
「ええ。医薬品の研究にも利用されているそうです」
俺はテレビから目を離せなかった。
薬草。
魔石。
魔物。
どれも異世界では珍しくないものだった。
いや、珍しくないどころか、十年以上付き合ってきたものばかりだ。
「探索者になるにはどうすればいいんですか?」
気づけば、そんな質問をしていた。
佐々木さんは少し驚いた。
「探索者に興味があるんですか?」
「まあ、少し」
「登録制度があります。講習や適性検査を受けて、資格を取得する必要があります。ただし、危険な仕事ですよ」
「そうですよね」
「田中さんの場合、まずは健康状態を確認してからのほうがいいと思います」
「……ですよね」
俺は自分の腹を見た。
百十五キロ。
体力には自信がない。
異世界にいた頃から太っていたが、日本に戻ってきてからも大して変わっていない。
むしろ、運動不足でさらに鈍っているかもしれない。
(いや、探索者って……)
佐々木は俺の体格を見た。
(この人がダンジョンに行くつもりなのか?)
(やめてくれよ。絶対に怪我するだろ)
(こっちは生活支援の手続きだけでも大変なんだよ)
(頼むから、余計な問題を増やさないでくれ……)
佐々木は心の中で頭を抱えた。
「田中さん、探索者は決して楽な仕事ではありません。十分に準備してから考えてくださいね」
「分かってます。無茶はしませんよ」
「本当ですか?」
「はい。俺だって死にたくないですから」
その言葉だけは、本心だった。
区役所を出た俺は、近くの公園のベンチに座った。
ギシッ。
「……」
ベンチが少し沈んだ。
俺はそっと座り直した。
それから、スマートフォンを持っていないことを思い出す。
情報を集める手段がない。
テレビで見た情報だけでは、今のダンジョン事情は分からない。
探索者になるための手続きも調べたい。
「まずはスマホだな……」
金がないので買えないが。
いや、そもそも身分証明書もない。
何をするにも手続きが必要だ。
「面倒くさいなあ」
俺は空を見上げた。
異世界から帰ってきたら、魔物がいない平和な日本でのんびり暮らせると思っていた。
だが、現実は違った。
日本にもダンジョンがある。
魔物がいる。
探索者がいる。
そして、魔石がある。
俺が十年以上暮らしていた世界と、どこか似ている。
「……もしかして」
俺はアイテムボックスの存在を思い出した。
中には異世界の薬草や魔石がある。
日本のダンジョンで採れるものと同じなら、価値があるかもしれない。
それに、魔物の知識も役に立つ可能性がある。
「いや、待てよ」
俺は首を振った。
まだ何も分かっていない。
今の日本のダンジョンが、異世界のダンジョンと同じとは限らない。
魔物も違うかもしれない。
何より、俺は今の日本のことをほとんど知らない。
焦る必要はない。
まずは生活を立て直す。
身分証を手に入れる。
住む場所を確保する。
仕事を探す。
それから考えればいい。
「……でも、ちょっと気になるな」
テレビに映っていた魔石を思い出す。
俺のアイテムボックスには、あれより大きな魔石がいくつも入っている。
しかも、品質の良いものもある。
もし売れるなら、生活の足しになるだろう。
「よし。明日、詳しく調べてみるか」
俺は立ち上がった。
その瞬間、腹が鳴った。
ぐううう。
「……まずは飯だな」
異世界帰りのおっさんの日本再出発。
その第一歩は、相変わらず食欲に支配されていた。
一方、区役所の相談室では。
「佐々木さん、先ほどの田中さんの件ですが……」
同僚の職員が声をかけた。
「はい?」
「また明日も来られるそうですね」
「…………」
佐々木は笑顔を作った。
「そうですね。引き続き対応します」
(また来るのかよおおおお!)
(頼むから一日くらい休ませてくれ!)
(いや、仕事だから対応するけどさ!)
彼は心の中で叫びながら、次の書類に手を伸ばした。




