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第2話

翌朝。


 俺は警察官に案内され、区役所へ向かっていた。


 正確には、警察官が福祉関係の窓口に連絡を入れてくれたので、まずはそこで相談することになったのだ。


 ありがたい話である。


 ただ、一つ問題があった。


「……腹減った」


 朝から何も食べていない。


 異世界なら、その辺の草を食べるわけにはいかないが、アイテムBOXには保存食がある。


 しかし、せっかく日本に帰ってきたのだ。


 できれば日本の飯が食いたい。


 考えただけで唾液が出てくる。


「田中さん、もう少しですよ」


「あ、はい」


 案内してくれている警察官に返事をする。


 昨日から世話になりっぱなしだ。


 何度も頭を下げた。


 警察官も仕事とはいえ、親切にしてくれている。


 ありがたい。


 本当にありがたい。


     ◇


 区役所に到着した。


 建物は昔と比べてかなり綺麗になっている。


 入口には自動受付機が並び、番号札を取る仕組みらしい。


「では、こちらで相談してください」


「ありがとうございました」


「いえ。何か困ったことがあれば、また相談してください」


 警察官はそう言って帰っていった。


 俺は一人、窓口へ向かった。


「すみません」


「はい。どういったご用件でしょうか?」


 受付の女性職員が笑顔で対応してくれた。


「実は、十二年ほど前に行方不明になりまして」


「はい?」


「それで、最近戻ってきたんですが、住所も身分証もなくてですね」


「……少々お待ちください」


 女性職員の笑顔が少し固まった。


 まあ、無理もない。


 自分でも何を言っているんだと思う。


 しばらくすると、別の窓口に案内された。


「こちらでお待ちください」


「はい」


 番号札を受け取り、椅子に座る。


 ギシッ。


「……」


 嫌な音がした。


 昨日の交番でも聞いた音だ。


 俺の体重が原因なのだろうか。


 いや、きっと椅子が古いだけだ。


 そう思うことにした。


     ◇


「田中健太さん」


「はい」


 呼ばれて窓口へ向かう。


 担当者は四十代くらいの男性だった。


 名札には『生活支援課 佐々木』と書かれている。


「本日はどうされましたか?」


「ええと、十二年前に行方不明になって、最近帰ってきました」


「十二年前ですか?」


「はい」


「その間はどちらに?」


「異世界です」


「…………」


 佐々木さんの手が止まった。


「すみません。もう一度お願いします」


「異世界です。剣と魔法がある世界ですね」


「……そうですか」


 笑顔が消えた。


 いや、分かる。


 分かるけど、もう少し信じてくれてもいいんじゃないか。


「とりあえず、本人確認から進めましょう。生年月日は?」


「二〇〇三年の五月です」


「本籍地は?」


「以前の実家です」


「ご両親は?」


「亡くなりました」


「ご兄弟は?」


「いません」


「親戚の方は?」


「連絡先が分かる人はいません」


 佐々木さんはパソコンを操作した。


 そして、少しずつ表情が曇っていく。


「……田中さん」


「はい」


「現在の住民登録は確認できましたが、住所については別途確認が必要です」


「そうですか」


「それと、身分証明書が一切ないということですね?」


「はい」


「銀行口座などは?」


「昔のものがありますが、通帳もカードもありません」


「現在の収入は?」


「ありません」


「住居は?」


「ありません」


「所持金は?」


「ゼロ円です」


 佐々木さんは黙った。


 俺も黙った。


 しばらくして、佐々木さんが小さく息を吐いた。


「……分かりました」


 声のトーンが明らかに変わった。


     ◇


 佐々木は内心、頭を抱えていた。


(なんだ、この人……)


(十二年前に失踪して、異世界にいた?馬鹿にしてんのか?)


(住所なし、金なし、身分証なし、親族なし……めんどくせなぁ)


(しかも、なんでこんなに大きいんだよ)


 目の前に座っている男。


 大きな腹。


 丸い顔。


 少し乱れた髪。


 安っぽい服。


 そして、妙に落ち着いた態度。


(クソデブが来た……)


(あーあ、面倒くさい案件だな)


(なんで俺の窓口に来るんだよ)


(早く帰りてえ……)


 もちろん、そんなことは口に出さない。


 佐々木は公務員だ。


 仕事は仕事。


 どんな相談者にも丁寧に対応する必要がある。


 そう分かっている。


 分かっているのだが。


(今日中に終わる気がしねえ……)


     ◇


「田中さん」


「はい」


「お話は分かりました。ただ、異世界にいたという点については、こちらでは確認できません」


「まあ、そうでしょうね」


「まずは戸籍と本人確認に必要な書類を確認しましょう」


「お願いします」


「ただし、すぐに住民票や身分証を発行できるとは限りません」


「そうですよね」


 俺は素直に頷いた。


 正直、役所で何とかなると思っていた。


 だが、現実は甘くないらしい。


「それから、生活費についてですが、現在収入がないとのことなので、生活保護などの制度についてもご案内できます」


「生活保護ですか」


「はい。条件や確認事項がありますので、申請できるかどうかも含めて相談しましょう」


「お願いします」


 俺は頭を下げた。


 格好悪いとか、恥ずかしいとか、そんなことを言っている場合ではない。


 今日寝る場所もないのだ。


「それで、田中さん」


「はい?」


「現在、何かお持ちのものはありますか?」


「ありますよ」


 俺はアイテムBOXから物を取り出そうとして、慌てて止めた。


 危ない。


 ここでいきなり魔法を使ったら大騒ぎになる。


「……何か?」


「いえ。着替えくらいなら」


「そうですか」


 俺は少し考えた。


 異世界の服を着ているが、見た目は普通の服に近い。


 ただ、素材が特殊なので、現代日本の服とは少し違う。


「ちなみに、田中さん」


「はい」


「その服はどちらで購入されたんですか?」


「異世界です」


「……そうですか」


 佐々木さんの目が死んだ。


 やっぱり信じてもらえない。


     ◇


 それから一時間ほど、書類の確認と説明が続いた。


 正直、難しい話ばかりだった。


 戸籍。


 住民登録。


 本人確認。


 生活保護。


 住居の確保。


 俺の頭では理解しきれない。


 異世界では魔法陣の構造や魔物の生態を覚えられたのに、役所の書類はさっぱりだった。


「……つまり、今すぐには何もできないということですか?」


「いえ、そういうわけではありません。確認できるところから順番に進めます」


「そうですか」


「ただ、少し時間がかかると思います」


「分かりました」


 俺は頷いた。


 佐々木さんは書類をまとめながら、疲れた顔をしていた。


(ああ、早く終わってくれ……)


 そんな心の声が聞こえてきそうだった。


 いや、聞こえたわけではない。


 ただ、顔に出ている。


 俺だって十年以上、いろんな人間を見てきた。


 この人、俺のことを面倒くさいと思っている。


 間違いない。


「……佐々木さん」


「はい?」


「俺、そんなに面倒くさいですか?」


「えっ!?」


 佐々木さんの顔が引きつった。


「い、いえ! そんなことはありません!」


「そうですか」


「はい! 必要な手続きですので!」


「分かりました」


 俺は苦笑した。


 まあ、仕方ない。


 俺だって、こんな相談者が来たら困る。


     ◇


 ようやく窓口を離れた頃には、昼を過ぎていた。


 俺は区役所のロビーにある椅子に座った。


 ギシッ。


「……またか」


 椅子が鳴いた。


 もういい。


 気にしないことにする。


 それよりも腹が減った。


 区役所の食堂らしき場所を見つけた。


 メニューにはカレーライス、ラーメン、定食。


 値段も安い。


 しかし、俺には金がない。


「…………」


 財布を確認する。


 当然、何もない。


 アイテムBOXには金貨がある。


 だが、ここで出すわけにもいかない。


「異世界では金貨持ちだったのになあ」


 俺は小さく呟いた。


 そのとき、背後から声がした。


「あの、田中さん?」


 振り返ると、先ほどの佐々木さんが立っていた。


「はい?」


「まだ帰られていなかったんですね」


「ええ。ちょっと考え事を」


「そうですか」


 佐々木さんは少し迷ったような顔をしてから言った。


「このあと、福祉の相談員とお話ししていただけますか?」


「もちろんです」


「では、こちらへ」


 俺は立ち上がった。


 ギシッ。


 ロビーの椅子が、最後にもう一度鳴いた。


 ……本当に、そろそろ痩せたほうがいいかもしれない。


 そんなことを思いながら、俺は佐々木さんの後を追った。



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