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多摩ダンジョン第12号。


 前に現れたのは、巨大な緑色の魔物だった。


「オークよ!」


 アリスが声を上げる。


 身長は二メートルを超え、太い腕には粗末な棍棒を握っている。ゴブリンよりも大きく、筋肉質な身体。小さな目がこちらを睨みつけていた。


「なるほど。オークですか」


 落ち着いて観察する。


「田中さん、オークって強いの?」


「ゴブリンよりはずっと強いですね。腕力もありますし、身体も頑丈です。ただ、動きは比較的単純です」


「分かったわ」


「ただし、正面から殴り合うのはおすすめしません。あの棍棒をまともに受けたら、かなり危険ですよ」


「そんなこと分かってるわよ!」


 アリスは雷を手にまとわせた。


 スタッフたちはすぐに距離を取る。


「カメラ担当、撮影位置を維持! 安全管理班は後方で待機!」


「了解!」


 配信画面には、オークと対峙するアリスの姿が映っていた。


『オークじゃん!』


『低層に出るの珍しくない?』


『アリスちゃん頑張れ!』


『田中さん、解説お願いします!』


 健太はオークから目を離さずに答えた。


「オークは力任せに攻撃してくることが多いです。攻撃の前に大きく身体を動かすので、動きをよく見てください。攻撃後には隙ができます」


「分かった!」


 オークが咆哮した。


「ブオオオオッ!」


 棍棒を振り上げ、アリスに向かって突進する。


「遅い!」


 アリスは横へ跳んだ。


 棍棒が地面を叩き、鈍い音が響く。


 その瞬間、アリスの手から雷撃が放たれた。


「そこよ!」


 バチバチバチッ!


 雷がオークの胴体に直撃する。


「グオオッ!」


 オークが苦しそうに叫んだ。


「効いてるわね!」


「いい攻撃です。ただ、まだ倒れていません。油断しないでください」


「分かってる!」


 オークが再び棍棒を振り回す。


 アリスは距離を取りながら、攻撃の隙を狙った。


 そして――。


「これで終わりよ!」


 両手に雷を集中させる。


「雷撃!」


 強烈な雷がオークを包み込んだ。


 巨体が大きく震え、やがて地面に倒れる。


 しばらくすると、その身体は光の粒子となって消えていった。


「ふう……。倒したわね!」


「お疲れさまです」


「どう? 私、結構やるでしょ?」


「はい。無駄な動きも少なく、いい戦い方だったと思います」


「ふふん!」


 アリスは得意げに笑った。


『アリスちゃん強い!』


『オークを一人で倒したぞ!』


『田中さんの解説もよかった!』


『ゲスト回、大当たりじゃん!』


 スタッフたちも安堵の息を吐く。


「よし、これでひとまず……」


 そのときだった。


 ズズズズ……。


「ん?」


 足元に違和感を覚えた。


 地面が、わずかに光っている。


「……あれ?」


 アリスも気づいた。


「何よ、これ?」


 足元に複雑な模様が浮かび上がっていた。


 円形の魔法陣のようなものだ。


「全員、そこから離れて!」


 声を上げた。


 しかし、遅かった。


「えっ!?」


 アリスと健太の足元が、まばゆい光に包まれる。


「ちょっと、何これ!?」


「転移トラップです!」


「転移トラップ!?」


 次の瞬間。


 視界が真っ白になった。


「うわああああっ!」


 アリスの悲鳴が響く。


 思わず目を閉じた。


 そして――。


 光が消えたとき、二人の姿はそこから消えていた。


     *


「……え?」


 スタッフの一人が呆然と立ち尽くしていた。


「田中さん! アリスさん!」


 返事はない。


 そこに残されていたのは、二人が立っていた場所の地面に浮かぶ、消えかけた魔法陣だけだった。


「転移……したのか?」


「そんな、低層に転移トラップなんて……!」


 スタッフたちは慌てて周囲を確認する。


 配信機材の一部は現場に残っていた。


 しかし、アリスのカメラは転移の瞬間に映像が途切れていた。


「通信を確認! 二人の位置情報は!?」


「反応がありません!」


「管理局へ連絡! 緊急事態だ!」


 現場は一気に騒然となった。


     *


「……痛たたた」


 地面に手をつきながら、ゆっくりと身体を起こした。


「何なのよ、今の!」


 隣ではアリスが立ち上がっていた。


「アリスさん、怪我はありませんか?」


「私は大丈夫。それより、ここはどこなの?」


「……さあ」


 周囲を見回した。


 そこは、海辺だった。


 白い砂浜。青い海。遠くには岩場が見える。


 空は明るく、太陽のような光が辺りを照らしていた。


「え……海?」


 アリスが目を丸くする。


「ダンジョンの中に海なんてあるの?」


「ある場所もありますよ」


「そうなの!?」


「ただ、ここがそういう場所なのかは分かりませんが」


 立ち上がり、服についた砂を払った。


 周囲を見渡す。


 波の音が聞こえる。


 潮の匂いもする。


 空は青く、雲がゆっくりと流れていた。


 一見すれば、どこかの海岸に転移したように見える。


 しかし、すぐに違和感に気づいた。


「……いや、ここはダンジョンの中ですね」


「え?」


「外ではありません」


「どうして分かるの?」


「空気の感じが違います。それに、あそこを見てください」


 指差した先。


 海岸の向こうには、巨大な岩壁がそびえ立っていた。


 その岩壁は、遠くまで続いている。


 まるで巨大な空間の中に海岸が存在しているようだった。


「……確かに」


 アリスは周囲を見回す。


「こんな場所、私も初めてよ」


「私も現代のダンジョンでは初めてです」


「現代の?」


「いえ、何でもありません」


口を滑らせたことに気づき、慌てて言葉を濁した。


 アリスは少し怪訝そうに彼を見た。


「……あんた、何か知ってるの?」


「いえ、特には」


「本当に?」


「本当です」


 視線を逸らした。


 だが、心の中では別のことを考えていた。


(……おかしいな)


(低層に転移トラップなんて、見たことがない)


 通常、転移トラップが設置されているのは、特殊な区域や高難度のエリアだ。


 それも、自然発生したものなら、ある程度の前兆や痕跡がある。


 今回のものは違った。


 オークを倒した直後、突然足元に魔法陣が現れた。


 まるで、何かの条件を満たしたことで作動したかのように。


(偶然か? それとも……人為的な行為?)


 周囲を警戒した。


「アリスさん」


「なに?」


「とりあえず、ここがどこなのか確認しましょう。あと、元の場所に戻る方法も探さないと」


「そうね。でも、スタッフたちは?」


「心配ですね。こちらから連絡できればいいんですが……」


 アリスはスマホを取り出した。


「圏外……」


「私もです」


「どうするのよ!」


「落ち着いてください。焦っても状況は変わりません」


 海岸の周囲を確認する。


 そして、少し離れた場所にある岩場へ目を向けた。


「……あそこ、少し気になりますね」


「何かあるの?」


「岩の並び方が不自然です。自然にできた地形ではないかもしれません」


「罠?」


「可能性はあります。むやみに近づかない方がいいでしょう」


 アリスは頷いた。


「分かった。じゃあ、まずは安全な場所を探しましょう」


「そうですね」


 ゆっくり歩き出した。


 そのときだった。


 ふと、視界の端に見覚えのある地形が入った。


 海岸の先にある、三つの岩。


 少し傾いた大きな岩。


 その奥に見える、崩れかけた石柱。


 足が止まった。


「……あれ?」


「どうしたの?」


「いや……」


 目を細めた。


 見覚えがある。


 間違いない。


 この場所に似た景色を、昔どこかで見たことがある。


 いや、似ているどころではない。


(……まさか)


 脳裏に、遠い記憶が蘇る。


 異世界で冒険者をしていた頃。


 仲間たちとダンジョンを探索していたとき、突然転移トラップが作動したことがあった。


 そのとき飛ばされた先も、こんな海辺だった。


 青い海。


 白い砂浜。


 巨大な岩壁。


 そして、見覚えのある三つの岩。


(……あの場所か?)


 思わず頭を抱えた。


「ちょっと、どうしたのよ?」


「いえ……」


「何か思い出したの?」


「……昔、似たような場所に飛ばされたことがありまして」


「え?」


「パーティを組んでいたときに、転移トラップに引っかかったんです。その転移先が、こんな海辺でした」


 アリスは目を見開いた。


「ちょっと待って。あんた、転移トラップに遭遇したことがあるの?」


「まあ、昔の話です」


「どこで?」


「……遠いところです」


「それ、答えになってないわよ!」


 苦笑いを浮かべた。


 異世界での経験を、現代の人間に説明するわけにはいかない。


 そもそも、説明したところで信じてもらえるとは思えない。


「とにかく、ここは危険かもしれません。以前来た場所と同じなら、近くに魔物がいる可能性があります」


「どんな魔物?」


「それは……」


 海岸の向こうを見た。


 遠くの岩場に、何か黒い影が動いている。


 目を凝らす。


「……あまり歓迎したくない相手ですね」


「え?」


「アリスさん。武器を構えてください」


 アリスの表情が引き締まる。


「分かったわ」


 リュックの肩紐を握り直した。


 ここが本当に、かつて異世界で訪れた場所と同じなら。


 あのときの記憶は、決して楽しいものではなかった。


(……まさか、またあそこに来るとはな)


 小さく息を吐いた。


 せっかく現代日本に帰ってきたというのに。


 どうやら、面倒ごとは向こうからやってくるらしい。」

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