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多摩ダンジョン第12号。
低層エリアに入った田中たちは、慎重に通路を進んでいた。
先頭は九条アリス。その後ろにカメラ担当と安全管理スタッフ。田中はスタッフに挟まれるような位置を歩いている。
「田中さん、歩くペースは大丈夫ですか?」
安全管理スタッフが心配そうに尋ねた。
「ええ。今のところは」
「本当に無理しないでくださいね」
「ありがとうございます。ところで、少し休憩してもいいですか?」
「えっ、もうですか?」
「冗談です」
「冗談に聞こえませんよ……」
スタッフの表情が微妙になった。
アリスは振り返り、呆れた顔をする。
「まだ入口からそんなに進んでないわよ!」
「分かっています。私も自分の体力くらい把握していますから」
「それなら、もう少し頑張りなさいよ」
「頑張るのと無理をするのは違います」
「……まあ、それはそうね」
配信カメラは、そんな二人のやり取りをしっかり映していた。
『相変わらず仲いいなw』
『アリスちゃん、今日は保護者みたいだ』
『デブの体力が心配』
『スタッフさんも大変そうw』
「誰が保護者よ!」
アリスがコメントに反応した。
小さく息を吐く。
「まあ、私の体力が心配なのは間違っていませんけどね」
『自覚あって草』
『そこは否定しないのかw』
*
「さて、そろそろ魔物が出てくる可能性があるわね」
アリスが前方を見ながら言った。
「そうですね。少し先の曲がり角、気をつけた方がいいですよ」
「え? 何か見えるの?」
「いえ、床の傷です」
「床?」
通路の端を指差した。
「この辺り、細かい傷が集中しています。何かが引きずられた跡かもしれません。魔物の通り道になっている可能性がありますね」
スタッフがカメラを向ける。
「なるほど……確かに、床に傷がありますね」
「こういう場所は、壁際を歩くのも危険です。魔物が壁の隙間に潜んでいる場合もありますから」
『そんなところまで見るのか』
『普通に歩いてたら気づかないな』
『この人、何者なんだ?』
アリスも床を確認した。
「確かに、言われてみればそうね」
「ダンジョンでは、目の前だけ見て歩かないことです。床、壁、天井。全部確認した方がいい」
「天井まで?」
「はい。上から降ってくる魔物もいますし、天井に張り付く種類もいます」
「……それは嫌ね」
「私も嫌です」
真顔で頷いた。
*
少し進んだところで、小型の魔物が二体姿を現した。
緑色の肌に尖った耳。粗末な武器を持った小柄な人型の魔物。
「ゴブリンね!」
アリスが身構える。
「ええ。よくいる魔物です」
落ち着いた様子で観察した。
「ゴブリンは単体ならそれほど強くありません。ただし、油断は禁物です。小柄で動きが素早いですし、武器を使う個体もいます」
「そうね。数が増えると面倒だし」
「それに、ゴブリンは群れで行動することが多いです。今見えている二体だけとは限りません」
通路の奥を見た。
「周囲に仲間がいないか確認してください。特に、狭い通路で囲まれるのは避けたいですね」
アリスは頷き、雷を手にまとわせる。
「分かったわ。二体なら問題ないわね」
「油断しなければ大丈夫でしょう」
アリスの雷撃が走った。
二体のゴブリンはあっという間に倒れ、魔石を残して消えていく。
「はい、終了!」
「お疲れさまです」
『アリスちゃん強い!』
『ゴブリンくらい余裕だな』
『田中さんの解説、分かりやすい』
『ゴブリンって群れでいるんだ』
アリスは少し得意げに胸を張った。
「まあ、このくらいならね!」
「ただ、ゴブリンがいた場所には注意した方がいいですね」
「どうして?」
「ゴブリンの群れが近くにいる可能性があります。それに、ゴブリンがいるからといって、周囲にいる魔物がゴブリンだけとは限りません」
「他の魔物もいるってこと?」
「ええ。例えば……オークですね」
その言葉に、スタッフの一人が反応した。
「オークですか?」
「はい。ゴブリンの群れがいる場所に、オークがいる場合があります。さらに上位種のオークキングがいることも」
『オークキング!?』
『低層にそんなの出るの?』
『急に物騒になってきた』
アリスの表情も少し真剣になる。
「オークキングなんて、低層に出たら大騒ぎよ」
「そうですね。だから、ゴブリンの群れを見つけても、数が少ないからといって安易に近づかないことです」
「なるほどね……」
「群れの規模や周囲の痕跡を確認して、危険そうなら引き返す。これが大事です」
『解説が実践的だな』
『ただ倒せばいいってわけじゃないんだな』
『この人、ダンジョン慣れしてるなあ』
*
「ところで、デブ」
アリスがふと思い出したように尋ねた。
「何でしょう?」
「魔物って食べられるの?」
「食べられる種類もありますよ」
「へえ!」
スタッフも興味を示した。
「食用になる魔物がいるんですか?」
「います。種類によっては普通に食べられます。もちろん、毒があったり、食べると体調を崩すものもあるので、知識が必要ですけどね」
「なるほど……」
「ただし、万が一、ダンジョン内で食料が尽きてしまって、どうしても腹が減って動けないという状況になった場合は、食べられる魔物を探すのも一つの手です」
『サバイバル知識きた』
『魔物って食えるんだ』
『どんな味なんだろう』
健太は少し考えてから、真面目な顔で続けた。
「ただ、ゴブリンはやめた方がいいです」
「え?」
「不味いです。あと、匂いもひどい」
「……食べたことあるの?」
アリスが微妙な顔をする。
「まあ、昔ちょっと」
「ちょっとって……」
「本当に、どうしようもない状況だったんですよ。食べ物がなくて、他に選択肢がなかったので」
遠い目をした。
異世界での生活を思い出していた。
あのときのゴブリン肉。
硬い。臭い。苦い。
できれば二度と口にしたくない。
「ゴブリンは肉質も悪いですし、調理しても臭みが残ります。下処理を間違えると本当に悲惨です」
『経験者の言葉が重いw』
『ゴブリン肉のレビューやめろw』
『不味いんだ……』
『匂いまで言うなw』
アリスは口元を押さえた。
「ちょっと待って。ゴブリンを食べたってこと?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「……あんた、何者なの?」
「ただの田中です」
「ただの田中はゴブリンを食べた経験を普通に話さないわよ!」
「まあ、過去にはいろいろありましたから」
それ以上説明する気がないようだった。
スタッフたちも顔を見合わせる。
(この人、いったいどんな経験をしてきたんだ……)
*
その後も健太の解説は続いた。
通路に落ちていた小さな石を見て、罠の可能性を指摘する。
「その石、踏まないでください」
「えっ?」
アリスが足を止める。
「その周辺の床、少しだけ色が違います。おそらく踏むと作動する仕掛けでしょう」
スタッフが慎重に確認する。
すると、床の一部に細い溝があることが分かった。
「本当だ……」
「こういう罠は、見た目では分かりにくいことがあります。特に、通路の真ん中に不自然に置かれた物には注意してください」
「じゃあ、石をどかせばいいの?」
「いえ、触らない方がいいです。罠の仕組みが分からない状態で動かすのは危険です」
「確かにね」
周囲を見回す。
「罠を見つけたら、まずは止まる。後ろの人にも伝える。安全な迂回路があるか確認する。解除できないなら、そのまま避ける。無理に解除しようとする必要はありません」
『これは覚えておきたい』
『罠って解除しなきゃいけないと思ってた』
『避けるのも正解か』
『田中先生の授業みたいになってきた』
「先生って……」
少し困ったように頭をかいた。
「私は講師じゃないんですけどね」
「でも、説明は分かりやすいわよ」
アリスが素直に褒める。
「そうですか。ありがとうございます」
「ちょっとは嬉しそうにしなさいよ」
「いや、褒められるのに慣れていないもので」
「そこは素直なのね……」
*
さらに進むと、スタッフの一人が足を止めた。
「すみません。通信状態が少し不安定になっています」
「大丈夫なの?」
アリスが確認する。
「今のところ配信は続いています。ただ、奥に進むと通信が切れる可能性があります」
健太はその話を聞いて頷いた。
「ダンジョンでは、通信が使えなくなることも想定しておいた方がいいですね」
「そうね。連絡が取れなくなったら困るわ」
「だから、事前に集合場所や撤退ルートを決めておく。万が一、はぐれた場合にどうするかも決めておくべきです」
「確かに」
「あと、道に迷ったときに焦って走り回るのは駄目です。体力を無駄に消耗しますし、余計に危険な場所へ入り込むこともあります」
健太は自分の腹を軽く叩いた。
「私なんか、走ったらすぐに息切れしますからね」
「自分を例に出すの!?」
「説得力があるでしょう?」
「あるけど!」
コメント欄が笑いで埋まる。
『自虐で草』
『自分の体力を理解しているのは大事』
『走らない判断は正しいw』
『田中さん、面白いな』
画面の向こうの反応を見て、少しだけ安心した。
思っていたよりも、配信というものは悪くないのかもしれない。
もちろん、目立つのは好きではない。
だが、こうして自分の知識が誰かの役に立つなら、出演料三万円分くらいの価値はあるだろう。
……いや、やっぱり三万円は大きい。
「田中さん」
アリスが声をかけた。
「はい?」
「次は、もう少し奥に進んでみない?」
「……安全な範囲なら」
「もちろんよ」
アリスは笑顔で頷いた。
そのとき、通路の奥から複数の足音が聞こえてきた。
ドタドタ、ドタドタ。
何かがこちらへ近づいている。
スタッフたちの表情が一気に引き締まった。
「魔物か?」
「全員、警戒!」
アリスが雷をまとわせる。
音の方向を見つめ、静かに呟いた。
「……ゴブリンの足音にしては、少し重いですね」
アリスが健太を見る。
「何が来ると思う?」
「さあ。実物を見ないと何とも言えませんが……」
少しだけ後ろへ下がった。
「少なくとも、さっきのゴブリンよりは大きいでしょうね」
通路の奥に、巨大な影が揺れた。
スタッフたちは息を呑む。
そして、心の中で思った。
(……頼むから、今日は面倒な魔物じゃありませんように)
初めてのゲスト配信。
どうやら、簡単には終わりそうになかった。




