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週末
東京都内にある、多摩ダンジョン第12号。
その入口付近には、朝早くから数人の男女が集まっていた。
九条アリスの配信スタッフである。
カメラ担当、音声担当、配信管理担当。それに現場の安全確認を行うサポートスタッフが二人。
そして、今回のゲストである田中健太。
「……おはようございます」
少し遅れてやってきた健太は、眠そうな顔で軽く頭を下げた。
黒いジャージに、ゆったりとしたズボン。背中には大きめのリュックを背負っている。
身長百七十センチ、体重百十五キロ。
どう見ても運動不足の中年男性だった。
「おはようございます、田中さん!」
「今日はよろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
スタッフたちは笑顔で挨拶を交わした。
しかし、その内心は少し違っていた。
(……本当にこの人で大丈夫なのか?)
(いや、失礼だけど……体力的に厳しいんじゃないか?)
(ダンジョンの低層とはいえ、歩き回ることになるんだぞ)
(そもそも、あの体格で魔物に遭遇したら……)
スタッフたちは健太の姿を見ながら、心の中で不安を募らせていた。
もちろん、彼らは健太がトロールとの遭遇時にアリスへ的確な助言をしたことを知っている。
アリス本人も、今回のゲスト出演をかなり強く希望していた。
だからこそ、無下に扱うつもりはない。
ただ……。
(本当に、あの彼……いや、デブは大丈夫なのか?)
そんな失礼な疑問が、スタッフ全員の頭をよぎっていた。
「おはよう、デブ!」
そこへ、明るい声が響いた。
金髪ツインテールを揺らしながら、九条アリスがやってくる。
今日も目立つ美少女だった。
白を基調とした動きやすい服装に、ダンジョン探索用の装備を身につけている。
「……おはようございます」
軽く手を上げた。
「なによ、元気ないわね」
「朝からデブ呼ばわりされて元気が出る人間がいたら、ぜひ紹介してほしいですね」
「何よ。あんた、自分で好きに呼んでいいって言ったじゃない」
「デブかおっさんかって話だったでしょう」
「そうよ」
「それで、朝一番からデブを選択するんですか。もう少しこう、優しさというものはないんですかね」
「じゃあ、おっさんって呼んでほしいの?」
「……いや、どっちも嫌ですけど」
「面倒くさいわね!」
アリスは呆れたように肩をすくめた。
スタッフたちは、そのやり取りを見て少し安心する。
(ああ、普通に会話できる人なんだな)
(アリスさんともずいぶん打ち解けているみたいだ)
もっとも、本人は打ち解けているつもりなどなかった。
ただ、相手が遠慮なく失礼なことを言ってくるので、こちらも遠慮なく返しているだけである。
「それじゃ、田中さん。今日はよろしくお願いします」
スタッフの一人が改めて声をかけた。
「はい。よろしくお願いします」
「今日は配信の中で、魔物の生態や注意点などを解説していただければと思っています。無理に戦闘へ参加していただく必要はありませんので」
「それは助かります。できれば戦闘は避けたいですね」
「えっ?」
「いや、私、運動が苦手なので」
あっさりと答えた。
スタッフの視線が、自然と彼の腹部へ向かう。
(……やっぱり体力はなさそうだな)
「でも、田中さん。トロールのときは結構冷静だったじゃないですか」
アリスが口を挟む。
「あれはたまたまですよ。相手の特徴が分かっていただけです」
「それがすごいんだけど」
「知識と体力は別物ですからね」
「まあ、それはそうね」
アリスは納得したように頷いた。
そのとき、スタッフの一人が確認する。
「田中さん、念のためですが、ダンジョン内では私たちの指示に従ってください。危険を感じた場合は、すぐに撤退します」
「分かりました。私も無理をするつもりはありません」
「それと、体調が悪くなったら遠慮なく言ってくださいね」
「はい」
素直に頷いた。
実際、彼は自分の体力をよく理解している。
異世界で十年以上生き延びてきたとはいえ、今の身体は別物だ。
魔物の知識はあっても、身体がそれについていくとは限らない。
無理をすれば、あっという間に息が上がる。
ましてや、今は現代日本のダンジョンだ。
わざわざ危険を冒す必要はない。
「よし。それじゃあ、準備ができたら配信を始めるわよ!」
アリスが元気よく声を上げた。
「はい、アリスさん」
「……あんた、今日もちゃんと私のことアリスさんって呼ぶのね」
「ええ。以前、ちゃん付けするなと怒られましたので」
「当たり前でしょ!」
「では、九条さん?」
「それもなんか距離があるわね……」
「注文が多いですね」
「うるさい!」
スタッフの一人が思わず小さく笑った。
どうやら今日の配信は、思っていたよりも賑やかになりそうだ。
*
配信開始まで、あと五分。
スタッフたちは機材の最終確認を進めていた。
カメラの映像、音声、通信状態。すべて問題なし。
健太はその間、邪魔にならないように少し離れた場所で待機していた。
そして、スタッフの一人が小声で話しかける。
「……アリスさん」
「なに?」
「本当に田中さんを連れていって大丈夫なんですか?」
「どういう意味よ?」
「いえ、その……体力面です」
スタッフは言葉を選びながら続けた。
「ダンジョン内は平坦な道ばかりではありませんし、多少の段差や障害物もあります。魔物が出れば、避難する必要もあります。田中さんの体格だと、少し心配で……」
「まあ、体力はないでしょうね」
「ですよね……」
「でも、無理をさせなければ大丈夫よ」
アリスは田中の方を見た。
彼はリュックを背負ったまま、壁際でスマホを操作している。
「それに、あの人は魔物のことをよく知ってる。私たちが見落とすようなことにも気づくかもしれない」
「それは分かっていますが……」
「だから、今日は安全第一。戦わせるつもりなんてないわ」
「分かりました」
スタッフはひとまず納得した。
しかし、心配が完全になくなったわけではない。
(頼むから、途中で倒れないでくれよ……)
そんな願いを胸に、スタッフは機材の確認へ戻った。
*
「それじゃあ、配信始めるわよ!」
アリスの声とともに、カメラのランプが点灯した。
『配信開始!』
『アリスちゃんおはよう!』
『待ってたぞ!』
『今日はゲスト回だっけ?』
『例のデブが出るって本当?』
『トロール戦の謎のおっさんか!』
コメント欄が一気に流れ始める。
アリスはカメラに向かって笑顔を見せた。
「みんな、おはよう! 今日は特別ゲストを呼んでるわよ!」
そして、健太の方へ手を向ける。
「この人が、前にトロールと遭遇したときに一緒にいた田中健太さん!」
「どうも。田中です」
軽く頭を下げた。
『本当に来たwww』
『デブじゃん!』
『思ったより普通のおっさんだった』
『トロールと間違われた人だw』
『今日は何をするんだ?』
小さく息を吐いた。
配信開始早々、いつもの調子である。
アリスは咳払いをして、改めて説明を始めた。
「今日は田中さんに、ダンジョンで遭遇する魔物の特徴や、危険な行動について解説してもらう予定よ。私たちだけだと見落とすようなことも、教えてもらえると思うわ」
『へえ』
『トロールの弱点を見抜いた人だからな』
『実はプロの探索者だったりして』
『この体格で?』
「最後のコメント、ちょっと失礼じゃないですかね」
『本人に届いてて草』
『デブ、コメント読めるのかw』
「読めますよ。スマホくらい使えます」
田中の返答に、アリスが吹き出した。
「そこは関係ないでしょ!」
「いや、なぜか驚かれたので」
コメント欄はさらに盛り上がっていく。
その様子を見ていたスタッフは、少しだけ肩の力を抜いた。
少なくとも、配信の雰囲気は悪くない。
ただし、彼らの心配はまだ終わっていなかった。
これからダンジョンの中へ入るのだ。
体力がどこまで持つのか。
それが今日一番の不安材料だった。
「それじゃあ、行きましょう!」
アリスが先頭に立つ。
「はいはい。ゆっくりお願いしますね」
「まだ入ってもいないのに、もう疲れてるの!?」
「心の準備をしているんです」
「絶対違うでしょ!」
こうして、田中健太の初めてのゲスト配信が始まった。
果たして、おっさんの体力は最後まで持つのか。




