19
約束の日。
午前八時四十分。
多摩ダンジョン第十二号の管理施設前に、田中健太の姿があった。
「……早く着きすぎたな」
ベンチに腰を下ろした。
最近購入した運動靴を履いている。安物ではあるが、以前の靴よりは歩きやすい。
服装はいつも通り、動きやすい黒いズボンに、少し大きめのTシャツ。腰には小さなポーチを装着していた。
見た目だけなら、休日に公園を散歩している中年男性である。
ただし、体重は百十五キロ。
本人も自覚している。
「……さて、今日は何事もなく終わってくれるといいんだが」
そのとき、若い男性の声が聞こえた。
「田中さん!」
振り返ると、高橋亮が仲間を連れて歩いてきた。
「おはようございます」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
立ち上がり、頭を下げた。
高橋の後ろには三人の探索者がいた。
短髪で筋肉質な男性。
長身で眼鏡をかけた男性。
そして、二十代半ばくらいの女性だった。
「紹介します。こちらが俺のパーティーメンバーです」
高橋が順番に紹介していく。
「こっちが井上。前衛担当です」
「井上です。よろしくお願いします」
「こちらが森。後衛で魔法を使います」
「森です。よろしくお願いします」
「それから、こちらが斎藤さん。回復役です」
「斎藤です。よろしくお願いします」
「田中です。今日はよろしくお願いします」
一人ずつ丁寧に頭を下げた。
全員が笑顔で挨拶を返した。
しかし、その笑顔の裏では、全員が同じことを考えていた。
(……え、この人?)
(本当にダンジョンに入るの?)
(大丈夫なのか、この人……)
井上は健太の腹部を見て、内心で呟いた。
(いやいや、ちょっと待て。聞いていたよりも大きいぞ。戦闘になったら逃げられるのか?)
井上も心配していた。
(採取の知識があるって話だけど、体力はどうなんだろう。俺たちがずっと面倒を見ることになるんじゃ……)
斎藤はさらに不安そうだった。
(回復魔法は使えるけど、体力そのものを回復できるわけじゃないし……。途中で倒れたりしないよね?)
高橋も、実は少し不安だった。
(小林さんは知識がすごいって言ってたけど、さすがにこの体型は心配だな……)
全員の視線に気づいていた。
(ああ、はいはい。心配ですよね。分かります。俺も心配です)
心の中でため息をつく。
(まあ、見た目だけならダンジョンに来る人間には見えないだろうな)
◇
「では、今日の予定を説明します」
高橋がタブレットを取り出した。
「今回は低層区域の植物採取が中心です。予定している採取場所は三か所。モンスターとの戦闘は避ける方針でいきます」
「分かりました」
「田中さんには、採取対象の見分け方と採取方法を教えてもらいたいです。危険があれば、すぐに俺たちが対応します」
「ありがとうございます。俺は戦闘が得意ではないので、よろしくお願いします」
素直に答えると、井上が少し驚いた顔をした。
(自分の実力を理解しているのはいいことだな)
井上も頷く。
(変に強がられるよりは助かる)
高橋は説明を続けた。
「それと、田中さんは体力面に不安があると思いますので、途中で休憩を入れます。遠慮なく言ってください」
「ありがとうございます。助かります」
(やっぱり体力が心配なんだな……)
斎藤は内心で考えた。
(無理をさせないようにしないと)
健太は、彼らの気遣いをありがたく感じていた。
同時に、少しだけ申し訳なかった。
自分の体型が原因で、余計な心配をかけている。
「では、行きましょう」
◇
ダンジョン内部。
五人は慎重に低層区域を進んでいた。
田中は最後尾を歩いている。
「田中さん、歩く速度は大丈夫ですか?」
斎藤が振り返って尋ねた。
「ええ、大丈夫です」
実際には、少し息が上がっていた。
しかし、まだ休憩が必要なほどではない。
呼吸を整えながら、周囲を観察していた。
壁の傷。
床に落ちている小さな石。
植物の生え方。
空気の流れ。
目に入るものを自然と確認してしまう。
それは異世界で身についた習慣だった。
「田中さん、何か気になるものでもありますか?」
高橋が尋ねる。
「いえ。周囲を見ていただけです」
「そうですか」
そのとき、田中が足を止めた。
「ちょっと待ってください」
「どうしました?」
「この先、少し注意した方がいいですね」
高橋たちの表情が引き締まった。
「何かいますか?」
「まだ分かりません。ただ、床に新しい傷があります」
指さした場所には、細い引っかき傷が何本も残っていた。
「たぶん。大きさからして、小型のモンスターでしょう」
井上が前に出る。
「俺が確認します」
「お願いします。ただ、あまり奥へ行かない方がいいと思います」
井上は頷き、慎重に進んだ。
数メートル先。
岩陰から、灰色の小型モンスターが姿を現した。
「ゴブリンか!」
井上が武器を構える。
ゴブリンは一瞬こちらを見たが、すぐに横の通路へ走り去った。
「逃げたか」
井上が息を吐く。
しかし、健太はまだ通路の奥を見ていた。
「……一匹だけじゃないかもしれません」
「え?」
「ゴブリンの足跡が複数あります。それに、壁に残った傷の高さが違う」
高橋は周囲を確認した。
「本当だ……」
「ここは迂回した方がいいと思います」
井上は少し不満そうだった。
「一匹なら倒せたんじゃないか?」
「倒せるかどうかではなく、倒す必要があるかどうかです」
淡々と言った。
「今日は採取が目的です。わざわざ危険を増やす必要はないでしょう」
口を閉じた。
高橋は少し考えてから頷く。
「田中さんの言う通りです。別のルートを使いましょう」
(……見た目はともかく、判断はまともだな)
佐々木は内心で評価を少し改めた。
◇
採取場所に到着すると、健太の出番だった。
「この植物は、根元から抜かずに茎の上部だけ切ってください」
「上だけですか?」
井上が尋ねる。
「はい。根を残しておけば、また生えてきます。全部抜いてしまうと、次回から採取できなくなる可能性があります」
「なるほど」
採取対象を一つずつ確認していく。
「これは良品ですね。こちらは少し傷んでいるので、売却用には向かないと思います」
「見ただけで分かるんですか?」
「葉の色と表面の状態を見れば、ある程度は」
高橋たちは感心した。
さらに、採取した植物を種類ごとに分け、傷つかないように並べていく。
その作業は非常に丁寧だった。
(本当に詳しいな……)
感心していた。
(知識だけじゃなく、素材の扱い方も慣れている)
(この人、こういう仕事をずっとしていたのかな)
採取は順調に進んだ。
予定していた量のほとんどを確保できた。
その頃には、額には汗が浮かんでいた。
「田中さん、休憩にしましょう」
高橋が声をかける。
「そうですね。少し休ませてもらいます」
近くの岩に腰を下ろした。
すると、岩がわずかに軋んだ。
ギシッ。
全員の視線が集まる。
「……すみません」
「い、いえ。岩ですから大丈夫ですよ」
井上が慌てて答えた。
(岩が軋むって、どれだけ体重があるんだ……)
井上は心の中で呟いた。
斎藤は水を差し出す。
「田中さん、お水です。ゆっくり飲んでください」
「ありがとうございます」
水を受け取り、少しずつ飲んだ。
そして、ふと高橋たちを見た。
「皆さん、そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ」
「え?」
「俺が体力不足なのは分かっています。無理をするつもりはありませんし、危なくなったらすぐに撤退します」
苦笑した。
「皆さんに迷惑をかけないようにします」
その言葉に、四人は少し黙った。
高橋は思った。
(この人、自分が心配されていることをちゃんと分かってるんだな)
井上も考える。
(見た目で判断していたけど、少なくとも無謀な人間ではないらしい)
井上は少し安心した。
(こういう人なら、こっちも無理をさせずに済む)
ただし、心配がなくなったわけではない。
(でも、やっぱり体力は心配だな……)
全員の考えは、そこに戻ってしまうのだった。
◇
帰還後。
管理施設の受付で、採取した素材を提出する。
担当職員が確認し、数量と品質を記録していった。
「今回の採取量は、予定より多いですね。品質も良好です」
「田中さんのおかげです」
高橋が答えた。
健太は照れくさそうに頭をかく。
「いや、皆さんが護衛してくれたおかげですよ」
「また一緒に行きましょう。次はもう少し奥の採取場所も考えています」
「そうですね。ただ、危険があるなら無理はしない方がいいと思います」
「分かってますよ」
高橋は頷いた。
「田中さんの知識は、俺たちにとってかなり助かります。今後もぜひ協力してください」
「こちらこそ、お願いします」
頭を下げた。
初めてのパーティー同行は、無事に終わった。
最初は全員が不安を抱いていた。
本当に大丈夫なのか。
途中で倒れないか。
モンスターに襲われたら逃げられるのか。
しかし、実際に一緒に行動してみると、健太には確かな知識と判断力があった。
少なくとも、ただの足手まといではなかった。
ただし。
「田中さん、帰り道はゆっくり歩きましょうね」
斎藤が笑顔で言った。
「……はい」
(やっぱり最後まで心配されてるな)
そして、四人もまた同じことを考えていた。
(次回も、ちゃんと休憩を多めに入れよう)
田中健太の評価は、少しずつ上がり始めていた。
しかし、体力への不安だけは、なかなか消えそうになかった。




