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悩んでいた。
「……運動靴を買うべきか」
スマートフォンで通販サイトを眺めながら、真剣な顔をしている。
ここ数日のダンジョン作業で、自分の体力不足を嫌というほど思い知らされた。
採取補助の仕事は順調だ。
小林たちからも評価され、次の仕事の話も来ている。
しかし、いつまでも人に心配されているわけにはいかない。
「さすがに、百十五キロでダンジョン探索は無理があるよな……」
異世界で冒険者をしていた頃も、体重が増えてからは苦労した。
それでも当時は、毎日のように歩き、荷物を運び、野営をしていた。
今はその蓄積すら失われている。
「よし。安いやつでいいか」
健太は三千円ほどの運動靴を注文した。
その直後、スマートフォンが震えた。
小林からのメッセージだった。
『田中さん、お疲れさまです。実は、知り合いの探索者から採取に詳しい人を探していると相談されまして。よろしければ、一度話を聞いてみませんか?』
「知り合いの探索者?」
健太は画面を見つめた。
採取補助の仕事を通じて、少しずつ人脈ができ始めているらしい。
もちろん、無理に人付き合いを増やしたいわけではない。
だが、仕事になるなら話は別だ。
『どのような内容でしょうか?』
返信すると、すぐに返事が来た。
『薬草の採取と、ダンジョン内の素材について相談したいそうです。明日の午後、管理施設で会う予定ですが、いかがでしょうか?』
「……まあ、話だけなら」
健太は了承した。
ただし、心の中では少し警戒していた。
(変な勧誘じゃないだろうな。高額な教材を売りつけられたり、怪しい投資話を持ちかけられたり……)
現代日本に帰ってきても、世の中が優しくなったわけではない。
むしろ、知らないことだらけだ。
◇
翌日。
多摩ダンジョン第十二号の管理施設。
「田中さん、こちらです」
小林に案内された休憩スペースには、若い男性が座っていた。
年齢は二十代半ばほど。
短く整えた髪に、引き締まった身体。
探索者らしい装備を身につけている。
「紹介します。高橋亮さんです。Dランクの探索者で、普段は仲間と一緒に低層から中層を探索しています」
「高橋です。よろしくお願いします」
「田中です。よろしくお願いします」
頭を下げる。
高橋は笑顔で応じたが、視線はすぐに健太の身体へ移った。
(……この人が、例の採取に詳しい人?)
高橋は小林から事前に話を聞いていた。
薬草の見分け方に詳しく、危険な植物を発見した。
モンスターの行動を読み、仲間を危険から救った。
その話を聞いて、興味を持ったのだ。
しかし、実際に会ってみると、想像していた人物とは違った。
(いや、悪い人には見えないけど……探索者なのか?)
健太は相手の視線に気づいていた。
(はいはい。体型ですよね。もう慣れました)
小林が話を切り出す。
「高橋さんは、最近、低層区域で薬草の採取をしているんですが、どうも効率が悪いらしいんです」
「そうなんです。採取対象の植物が見つからなかったり、似た植物を間違えたりして」
高橋はタブレットを取り出した。
「これが、最近見つけた植物です」
画面には、黄色い花を咲かせた植物が映っていた。
健太は画像をじっと見る。
「これは……」
「何か分かりますか?」
「薬草ではありますね。ただ、採取する時期が少し遅いです」
「遅い?」
「花が咲ききっています。薬効成分が減っている可能性がありますね。採るなら、花が開く直前がいいと思います」
「そんな違いがあるんですか?」
「ありますよ。植物によっては、花が咲く前と後で成分が大きく変わります」
高橋は驚いた顔でタブレットを見直した。
「じゃあ、こっちは?」
別の画像が表示される。
青い葉を持つ植物だった。
「これは毒草ですね」
「えっ?」
「葉の形が似ている薬草もありますけど、茎の根元に赤い斑点があるでしょう。これは触らない方がいいです」
「……本当だ」
高橋の表情が変わった。
小林も横で頷いている。
「田中さんの知識は本物ですよ」
健太は苦笑した。
「いや、昔からこういう植物を見ていただけです」
「それがすごいんですよ」
高橋は少し身を乗り出した。
「田中さん、お願いがあるんですが」
「はい?」
「今度、俺たちのパーティーに同行してもらえませんか?」
「同行?」
「採取の場所や素材の見分け方を教えてほしいんです。もちろん、報酬はお支払いします」
健太は少し考えた。
採取の知識を教えるだけなら、悪くない仕事かもしれない。
ただし、問題は体力だ。
「俺、戦闘はあまり得意じゃないですよ」
「それは構いません。俺たちが護衛します」
「それに、体力もありません」
「……そこは、まあ」
高橋は言葉を濁した。
小林が助け舟を出す。
「採取場所は低層区域です。戦闘が発生した場合は、田中さんを優先して後退する形にすればいいと思います」
「そうですね」
健太は頷いた。
「それなら、一度だけ試してみてもいいです」
「本当ですか!」
高橋の顔が明るくなった。
しかし、彼の心の中には、まだ少し疑問が残っていた。
(知識があるのは分かった。でも、実際のダンジョンでどこまで役に立つんだろう)
高橋は自分の実力に自信があった。
Dランク探索者として、何度もモンスターと戦ってきた。
若さも体力もある。
だからこそ、田中のような体型の人間が現場でどれほど動けるのか、想像できなかった。
◇
話し合いが終わり、帰ろうとしたときだった。
「あ、田中さん」
高橋が呼び止める。
「何でしょう?」
「ちなみに、田中さんって普段どれくらいダンジョンに入っているんですか?」
「まだ数回ですよ」
「数回?」
「はい。正式登録したばかりなので」
高橋は一瞬、言葉を失った。
「……じゃあ、探索者としては新人なんですね」
「そうですね」
「なるほど」
高橋は納得したように頷いた。
(それなら、あの知識も独学か、以前からの趣味なのかもしれないな)
しかし、知識は単なる図鑑の知識とは違う。
植物の採取時期、傷つけてはいけない部分、毒性のある類似種。
どれも実際に扱った経験がなければ、なかなか身につかないものだった。
高橋はそのことを、まだ理解していなかった。
「では、明後日の午前九時に集合でお願いします」
「分かりました」
軽く頭を下げた。
施設を出たところで、小林が声をかけてきた。
「田中さん、無理はしないでくださいね」
「分かっています」
「高橋さんは悪い人ではないんですが、少し自信家なところがありまして」
「そうなんですか」
「ええ。探索者としての腕には自信がありますから」
健太は苦笑した。
「若いっていいですね」
「田中さんも三十三歳でしょう?」
「もうおっさんですよ」
「いや、まだ若いですよ」
「体力的には五十歳くらいですけどね」
二人は少し笑った。
◇
一方、その頃。
高橋は管理施設の休憩スペースに残っていた。
スマートフォンで健太の探索者情報を確認している。
正式登録したばかりの新人。
ランクはまだ低い。
公開されている実績もほとんどない。
「……本当に新人なんだな」
高橋は画面を閉じた。
(まあ、知識があるなら助かる。俺たちが護衛すれば問題ないだろう)
そう考えながら、仲間のグループチャットにメッセージを送る。
『明後日、採取に詳しい人が同行することになった。かなり知識があるらしい』
すぐに返信が来た。
『どんな人?』
『三十代のおっさん。かなり太ってる』
『えっ、大丈夫なのか?』
『体力はなさそうだけど、植物の知識は本物らしい』
『まあ、護衛すればいいか』
高橋は苦笑した。
彼自身も、同じようなことを考えていた。
だが、まだ知らない。
田中健太という男が、十年以上もの間、異世界の危険な森や洞窟で生き延びてきたことを。
そして、彼が持つ知識が、ただの採取技術にとどまらないことを。
健太にとっては、久しぶりのパーティー参加だった。
もっとも、本人はそんな大げさなことを考えていない。
「明後日か……。とりあえず、明日は休みだな」
帰り道、健太はスマートフォンで近所のラーメン屋を検索していた。
運動靴も届く予定だ。
明日からはウォーキングを始めよう。
そう決めた。
――明日から。
ウォーキング1日目2日目はやる気があるですが雨が降ったらやめてそのままやらないで終わっちゃいますよね




