17
朝から憂鬱だった。
「……筋肉痛だ」
ベッドの上で、腹を突き出したまま天井を眺める。
昨日の採取補助。
大した作業はしていない。歩いて、しゃがんで、植物を採取しただけだ。
それなのに、太ももとふくらはぎが痛い。
「情けないなあ。昔は一日中歩き回ってたんだけどな」
異世界で冒険者をしていた頃は、もっと過酷な環境を何度も経験していた。
山道を何時間も歩き、野営を繰り返し、時には食料が尽きて木の根をかじったこともある。
もっとも、当時から体力があったわけではない。
それでも、今よりは動けた。
「十年以上の冒険者生活で鍛えた経験は残ってるけど、身体は別物か」
ゆっくりと起き上がった。
そして、スマートフォンを確認する。
採取補助の担当者、小林からメッセージが届いていた。
『田中さん、お疲れさまでした。次回の採取補助についてご相談です。明日、同じ時間でお願いできますか?』
「おお、仕事が来た」
健太は少しだけ嬉しくなった。
昨日の仕事ぶりを評価してもらえたらしい。
すぐに返信する。
『大丈夫です。よろしくお願いします』
送信して、スマートフォンを置いた。
「よし。明日も頑張るか」
その前に、今日は少し歩こう。
そう思い立って玄関を出た健太は、五分後には近くのベンチに座っていた。
「……休憩も大事だよな」
自分に言い聞かせながら、ペットボトルのお茶を飲む。
ダイエットへの道は遠い。
◇
翌日。
多摩ダンジョン第十二号、管理施設。
「田中さん、おはようございます」
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
小林と中村が待っていた。
姿を見るなり、小林は少し安心したような顔をした。
(ちゃんと来てくれたか。昨日の疲れが残っているかもしれないが、大丈夫だろうか)
中村も心配そうに健太を見ている。
(昨日、帰るときかなり息が上がっていたし……。今日は無理をしないでほしいな)
「田中さん、今日は少し作業内容を変更しました」
「変更ですか?」
「はい。前回の採取場所よりもさらに安全な区域で、薬草の採取をお願いしたいと思っています」
「なるほど」
「それと、疲れたら遠慮なく休憩してください。作業速度より安全を優先します」
「ありがとうございます」
素直に礼を言った。
内心では少し複雑だった。
(まあ、心配されるのも当然だよな。見た目がこれだし)
自分でも分かっている。
今の身体で無理をすれば、すぐに限界が来る。
それに、二度と異世界で経験したような無茶はしたくなかった。
生き残るために戦うのと、仕事で無理をするのは違う。
健太はそのあたりをよく理解していた。
◇
ダンジョンに入って三十分ほど。
採取作業は順調だった。
「田中さん、これはどうでしょう?」
中村が小さな植物を指さした。
健太はしゃがみ込み、葉の形と茎を確認する。
「これは採取して大丈夫です。ただし、根を傷つけないようにしてください」
「分かりました」
「それと、根の周囲にある細い白い糸みたいなものは残してください。そこに有効成分が多く含まれています」
「へえ……」
中村は感心したように頷いた。
小林も採取袋に植物を入れながら話しかけてくる。
「田中さんは、どうしてそんなに詳しいんですか?」
「昔、似たような場所で仕事をしていたので」
「海外ですか?」
「まあ、そんなところです」
曖昧に笑った。
異世界で十年以上冒険者をしていた。
そう説明しても信じてもらえるはずがない。
それに、今は余計なことを話す必要もなかった。
そのときだった。
「小林さん、ちょっといいですか?」
中村が足元を指さした。
「どうした?」
「この植物、採取対象ですよね?」
そこには、赤紫色の葉を持つ植物が生えていた。
小林は端末を確認する。
「ああ、そうだ。写真にも載っている」
健太は植物を見て、すぐに首を横に振った。
「採らない方がいいです」
「え?」
「これ、葉っぱの色が少し違います。写真のものは葉の裏側が淡い緑色ですが、これは黒っぽい」
「確かに……」
「それに、周囲の土が妙に湿っています。たぶん、近くに別の植物がある」
健太は少し離れた場所に目を向けた。
そこには、岩の隙間から伸びた細い蔓があった。
「こっちですね」
小林が近づこうとした瞬間。
「待ってください」
制止した。
「その蔓、触らない方がいいです」
「何かあるんですか?」
「たぶん捕食植物です」
「捕食植物?」
中村が驚いた声を上げた。
地面に落ちていた小枝を拾い、蔓の近くに投げた。
すると。
バチンッ!
蔓が一瞬で動き、小枝に巻きついた。
「うわっ!」
中村が後ずさる。
小林も目を見開いた。
「こんな植物が……」
「小型の生物を捕まえるタイプですね。人間の腕くらいなら巻きつくかもしれません」
蔓の動きを観察した。
「さっきの赤紫色の植物は、この捕食植物の幼体かもしれません。近づかない方がいいです」
小林はすぐに管理端末を操作した。
「採取区域の危険情報に報告します」
中村は田中を見た。
(この人、何者なんだろう……)
昨日もそうだった。
植物の種類を見分け、採取方法を知り、スライムの性質まで見抜いた。
そして今日は、危険な植物まで発見した。
(見た目は普通のおじさんなのに……)
いや、普通のおじさんより少し大きい。
そんな失礼な感想が頭をよぎった。
◇
さらに奥へ進んだところで、小林が足を止めた。
「……あれ?」
「どうしました?」
「採取対象の薬草が見当たりません」
予定していた場所には、薬草が生えているはずだった。
しかし、そこにあるのは荒れた土と、食い荒らされたような植物の残骸だけだった。
「何かに食べられたんでしょうか」
中村が周囲を見回す。
健太はしゃがみ込み、地面を確認した。
そして、眉を寄せる。
「これ、モンスターが食べた跡ですね」
「分かるんですか?」
「はい。噛み跡と、足跡があります」
土の上には、小さな爪の跡が残っていた。
「ゴブリンではないですね。もっと小さい。たぶん小型の草食モンスターです」
「草食モンスター……」
「薬草を食べる種類なら、近くに巣があるかもしれません」
小林は周囲を警戒した。
「予定を変更して戻りましょうか」
「そうですね」
健太も賛成した。
無理に採取を続ける理由はない。
ところが、そのとき。
ガサガサッ。
茂みが揺れた。
三人の視線がそちらへ向く。
現れたのは、犬ほどの大きさの四足歩行のモンスターだった。
茶色い毛並みで、背中には硬そうな突起が並んでいる。
「こいつは……」
小林が武器を構えた。
「ダンジョンラットの大型個体か?」
モンスターを観察した。
口元には薬草の葉がついている。
足は太く、前足の爪が発達している。
「攻撃的ではないと思います」
「分かるんですか?」
「ええ。こっちを見てますけど、逃げ道を探している感じです」
ゆっくりと一歩下がった。
「刺激しなければ大丈夫でしょう」
小林も武器を下ろしかけた。
しかし、モンスターは突然、地面を蹴った。
「危ない!」
小林が叫ぶ。
モンスターは健太ではなく、中村の方へ突進した。
中村は驚いて動けない。
その瞬間、健太が近くに落ちていた木の枝を拾い、地面に強く叩きつけた。
バンッ!
大きな音にモンスターが反応し、突進の方向を変える。
「中村さん、下がって!」
小林が中村を引っ張った。
モンスターはそのまま横の岩にぶつかり、よろめいた。
小林がすぐに前へ出る。
「今のうちに!」
短い攻防の末、モンスターは逃げていった。
「……はあ」
健太は息を吐いた。
「危なかったですね」
中村は青ざめた顔で頷いた。
「ありがとうございます……」
「いえ。たまたま近くに枝があったので」
小林は健太を見つめていた。
(今の判断、かなり早かったぞ)
ただ大声を出したわけではない。
モンスターの反応を見て、突進の方向を変えるように音を出した。
しかも、自分が戦うのではなく、仲間を逃がすことを優先していた。
(この人、やっぱり現場慣れしている)
◇
管理施設へ戻ると、小林は採取した素材を確認しながら言った。
「田中さん。今日も助かりました」
「いえいえ。仕事ですから」
「危険な植物を見つけてくれたおかげで、事故を防げました。モンスターへの対応も見事でした」
「いや、あれは偶然ですよ」
「偶然であんな判断はできませんよ」
小林は真剣な表情だった。
「正直に言うと、最初は体力面が心配でした。でも、田中さんには知識と経験があります。今後もぜひ一緒に仕事をしてほしい」
「ありがとうございます」
頭を下げた。
中村も笑顔を見せる。
「私も、田中さんと一緒だと安心します」
「そうですか?」
「はい。危険なものをすぐに見つけてくれるので」
少し照れた。
その一方で、小林は心の中で考えていた。
(ただし、体力は本当に心配だ……)
中村も同じだった。
(知識はすごいけど、帰り道でまた息が切れてたし……。次は休憩を多めにしよう)
二人の心配は、結局そこに戻ってしまう。
本人も、それは理解していた。
「俺、少し運動しないと駄目ですね」
「そうですね。無理のない範囲でお願いします」
小林は苦笑した。
「ダンジョンでは、知識だけではどうにもならない場面もありますから」
「分かっています」
真面目に頷いた。
異世界で何度も学んだことだ。
どれだけ知識があっても、身体が動かなければ死ぬ。
だからこそ、今度は少しずつ鍛え直す必要がある。
その日の報酬を受け取り、施設を出た健太は、スマートフォンを取り出した。
画面には、次回の仕事の依頼が届いていた。
「おっ、また仕事か」
嬉しそうに笑った。
そして、近くの飲食店へ向かう。
今日もよく働いた。
だから、夕飯くらいは好きなものを食べてもいいだろう。
「……ラーメンにするか」
運動は明日から。
ダイエットも明日から。
今日も食欲に負けながら続いていく。




