16
翌朝。
田中健太は、スマートフォンの画面を眺めていた。
「……採取補助、か」
画面には、昨日応募した仕事の募集要項が表示されている。
『ダンジョン素材の採取補助。戦闘なし。低層区域での植物採集が中心。経験不問。日当一万二千円。』
戦闘なし。
この四文字が、非常に魅力的だった。
戦闘は危険だ。体力もない。百十五キロの身体で走り回れば、モンスターに襲われる前に自分の心臓が悲鳴を上げる。
その点、植物採集ならば多少は何とかなる。
異世界で十年以上冒険者をしていた健太にとって、薬草や毒草の知識はそれなりにある。
むしろ、戦闘より得意な分野だった。
「問題は、この身体であることをどう説明するかだな……」
鏡の前に立つ。
腹が出ている。
顔も丸い。
眼鏡の奥の目は眠そうで、髪は相変わらず寝癖だらけ。
「うん。採取に来たというより、山で遭難したおじさんだな」
自分で自分に突っ込みを入れ、ため息をついた。
それでも、働かなければならない。
日本で生きていくためには金が必要だ。
そして何より、もう一度、冒険者として何かを始めてみたかった。
◇
指定された集合場所は、多摩ダンジョン第十二号の管理施設だった。
受付で探索者カードを提示すると、職員が募集内容を確認する。
「田中健太さんですね。採取補助のお仕事に応募された方で間違いありませんか?」
「はい。よろしくお願いします」
「今回の担当者は、現地でお待ちしています。採取場所は低層区域ですが、必ず担当者の指示に従ってください。単独行動は禁止です」
「分かりました」
受付の女性は、健太の顔から腹へと視線を移した。
ほんの一瞬だった。
しかし、健太は見逃さなかった。
(ああ、はいはい。心配ですよね。分かりますよ。俺も心配です)
女性は笑顔を保ったまま、内心で考えていた。
(この人が採取補助……? 大丈夫なのかな。低層とはいえダンジョンですよ?)
さらに、別の職員もちらりと健太を見た。
(体力、持つのかな……)
健太は気づかないふりをして、施設の奥へ進んだ。
すると、作業着姿の男性がこちらに気づいた。
「田中さんですか?」
「はい」
「今回の採取班を担当する小林です。よろしくお願いします」
三十代半ばほどの男性だった。肩幅が広く、日焼けした顔に探索者らしい雰囲気がある。
その隣には、若い女性が一人いた。
「補助担当の中村です。よろしくお願いします」
「田中です。よろしくお願いします」
健太が頭を下げる。
小林は田中の体型を見て、少しだけ眉を動かした。
(……この人が採取補助?)
中村も同じような表情を浮かべていた。
(えっ、大丈夫なのかな。採取場所まで歩けるんだろうか……)
もちろん、二人とも口には出さない。
「今日は低層区域で薬草類を採取します。戦闘は基本的にありませんが、モンスターが出る可能性はあります。危険を感じたら、すぐに指示に従ってください」
「了解です」
「採取対象は、この写真にある三種類です」
タブレットを見せてきた。
緑色の葉を持つ植物。
赤い実のついた植物。
そして、紫色の小さな花を咲かせた植物。
健太は画面を覗き込む。
数秒後。
「……ああ、これですか」
「何か分かります?」
「上の緑色のやつは、たぶん回復薬の材料ですね。ただ、葉っぱの裏側に白い筋があるものだけ採ってください。似た植物に毒性のあるものがあります」
「え?」
小林が画面を見直す。
「この写真だけで分かるんですか?」
「まあ、似たような植物を見たことがあるので」
軽く答えた。
次に赤い実の植物を見る。
「これは実を潰さないようにしてください。中の液体が空気に触れると品質が落ちます。採るときは枝ごと切って、密閉容器に入れた方がいいですね」
「……なるほど」
「それと紫色の花は、花びらじゃなくて根が素材になります。地上部分だけ採っても意味がないと思います」
小林と中村が顔を見合わせた。
(この人、詳しいな……)
(募集要項には経験不問って書いてあったけど、初心者じゃないのかな?)
小林は少しだけ警戒を解いた。
「それでは、実際に現地で確認しましょう」
◇
ダンジョンの低層区域。
管理通路を抜けた先には、薄暗い森のような空間が広がっていた。
人工照明ではない。
天井に浮かぶ淡い光が、植物や岩肌を照らしている。
健太は懐かしそうに周囲を眺めた。
「……こういう景色、久しぶりだな」
「田中さん?」
「いえ、何でもありません」
歩きながら説明する。
「この辺りは比較的安全ですが、スライムや小型のゴブリンが出ることがあります。採取中も周囲への警戒を忘れないでください」
「分かりました」
最初に見つかったのは、緑色の葉を持つ植物だった。
「これです」
小林がしゃがみ込む。
健太も近づいて、葉の裏側を確認した。
「違いますね」
「え?」
「これは採取対象じゃありません。白い筋がありませんし、葉の縁も少し違う。似ていますけど、別種です」
「……本当だ」
中村が別の葉を確認する。
確かに、写真にあった特徴とは違っていた。
「こっちです」
田中が少し離れた場所を指さす。
そこには、同じような植物が群生していた。
「葉の裏側を見てください」
「……あっ、白い筋があります!」
「これなら大丈夫です」
小林は感心したように頷いた。
「助かります。見分けるのに慣れているんですね」
「まあ、昔からこういうのは見てましたから」
健太は一本を手に取り、根元を傷つけないよう慎重に採取した。
その手つきは、思いのほか慣れていた。
太い指でありながら、植物を扱う動作は丁寧だった。
中村はその様子を見て、少し驚いた。
(あれ……? 見た目の印象と違う。作業はすごく丁寧だ)
小林も同じことを感じていた。
(体力は分からないが、知識と経験は本物かもしれないな)
その後も健太は、採取対象を次々と見つけていった。
似た植物を間違えず、品質の良い個体を選び、採取方法まで説明する。
予定していた採取量の半分を、想定より早く集めることができた。
「田中さん、かなり助かっていますよ」
「そうですか。なら良かったです」
健太は少し照れくさそうに頭をかいた。
しかし、その直後だった。
通路の奥から、ぬちゃり、ぬちゃりという音が聞こえてきた。
小林の表情が変わる。
「全員、手を止めてください」
中村が採取袋を抱え直した。
暗がりから現れたのは、拳ほどの大きさのスライムだった。
「小型ですね。こちらに気づいていないようです」
小林が武器に手をかける。
田中はスライムをじっと見た。
「……あれ、普通の個体じゃないですね」
「どういうことです?」
「色が少し濁っています。たぶん、近くに毒性のある植物がありますよ。あのスライム、何かを食べて変質している可能性があります」
「毒性?」
「触らない方がいいです。粘液が皮膚に付くと、かぶれるかもしれません」
小林はすぐに中村を下がらせた。
「分かりました。刺激せずに迂回しましょう」
健太は内心で安堵した。
(よかった。戦わずに済んだ)
何しろ、今の自分にスライムと戦う体力はない。
いや、そもそも戦いたくない。
勝てるかどうか以前に、汗だくになるのが嫌だった。
◇
採取を終え、管理施設へ戻った頃には、健太の額には汗が浮かんでいた。
歩いただけで息が上がっている。
「田中さん、大丈夫ですか?」
中村が心配そうに声をかける。
「ええ。ちょっと息が切れただけです」
(いや、全然大丈夫じゃないだろう……)
小林は心の中で呟いた。
(知識はすごい。採取の技術もある。でも、この体力で次もダンジョンに入れるのか?)
中村も心配していた。
(採取作業だけなら問題なさそうだけど、モンスターに襲われたら逃げられるのかな……)
二人の視線が、健太の腹部へと向かう。
健太はそれに気づいていた。
「……そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
「いえ、そういうわけでは」
「分かってます。俺も自分の体力が問題だってことくらい」
田中は苦笑した。
「だから、無理はしません。危なくなったら逃げます」
小林は少し考えたあと、頷いた。
「それがいいと思います。今日の仕事ぶりは十分でした。次回もお願いできますか?」
「いいんですか?」
「もちろんです。採取の知識は非常に助かります」
中村も笑顔で頷いた。
「私も、また一緒に仕事をしたいです」
「ありがとうございます」
健太は深く頭を下げた。
そして、報酬を受け取る。
日当一万二千円。
働いて得た、自分の金だった。
それが妙に嬉しかった。
日本に帰ってきてから、ようやく自分の足で一歩進めた気がした。
もっとも。
「……腹減ったな」
感動の余韻は、あっという間に食欲に負けた。
◇
その日の夕方。
小林は採取した素材の記録をまとめながら、同僚に話していた。
「今日の採取補助、知識は相当なものだったよ」
「へえ。そんなに?」
「ああ。植物の見分け方も採取方法も完璧だった。スライムの変質まで見抜いていた」
「すごいじゃないか」
「ただな……」
小林は少しだけ言葉を濁した。
「体力が心配なんだ」
「そんなに?」
「帰り道だけで息が上がっていた。あの体型だし、無理をさせたら危ない」
中村も会話に加わる。
「私も心配です。仕事は丁寧だし、すごく親切な人なんですけど……」
「ダンジョンだからな。知識があっても、身体が動かなければ危険だ」
三人は同じ結論に至った。
――次回は、採取場所をさらに安全な区域に変更した方がいい。
一方、その頃の健太は。
コンビニで買った唐揚げ弁当を前に、幸せそうに箸を動かしていた。
「いやあ、働いた後の飯はうまい」
明日からは運動も頑張ろう。
そう心に決めた。
そして、唐揚げを一つ追加で口に入れた。
「……明日からでいいか」
こうして田中健太の探索者生活は、少しずつ前へ進み始めた。




