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「……まずは身分証だな、あとは金とスマホ」


田中健太は、仮登録証を眺めながら呟いた。


探索者として正式登録された。


ダンジョンの見学も済ませた。


モンスターが実際に危険な存在だということも、改めて理解した。


しかし、健太にはまだ大きな問題が残っている。


身分証明書がない。


財布もない。


スマートフォンもない。


住所も仮の宿泊先だ。


「ダンジョンに潜る前に、普通の生活を何とかしないとな……」


異世界では冒険者ギルドに行けば仕事があった。


金貨や銀貨があれば宿にも泊まれた。


だが、ここは日本だ。


金貨を出しても買い物はできないし、魔石を持っていてもコンビニでは使えない。


「文明社会って面倒くさいな」


そう言いながら、健太は区役所へ向かった。


「田中さん、今日はどうされました?」


窓口にいた佐々木が、いつもの表情で迎えた。


健太は椅子に座る。


ギシッ。


「……」


佐々木の視線が、ほんの一瞬だけ椅子に向いた。


(頼むから壊さないでくれ)


ギシギシッ。


(頑張れ。椅子。今日も耐えてくれ)


健太は何事もなかったように座り直した。


「身分証明書が欲しいんです」


「身分証明書ですか?」


「はい。探索者登録はできたんですが、普通の生活で使えるものがなくて。スマホも買えないんですよ」


佐々木は書類を確認した。


「以前お話しした戸籍関係の確認は進んでいます。ご本人の確認に必要な資料も、少しずつ揃ってきています」


「おお。進んでるんですね」


「ただ、十二年間の不在期間がありますので、住民登録などの整理には時間がかかります」


「ですよねえ」


「まずは住民票の状況を確認し、必要な手続きを進めましょう。マイナンバーカードについても、再交付の申請ができるか確認します」


健太は頷いた。


「それがあればスマホも買えますか?」


「端末を購入するだけなら、基本的に身分証がなくても可能な場合があります。ただし、携帯電話の回線契約には本人確認が必要です」


「なるほど」


「当面は、端末だけ購入してWi-Fiで使う方法もありますよ」


「それだ!」


健太は身を乗り出した。


ギシッ。


佐々木の眉が動いた。


(頼む。今、勢いよく動かないでくれ)


「とにかく、まずは必要な手続きを進めましょう。魔石の売却についても、前にお話しした件がありますよね」


「はい。そろそろ売りたいです」


「では、そちらも確認しましょう」


佐々木は書類を取り出した。


「売却益は生活保護の審査や受給状況に影響する可能性があります。売却前に申告し、売却後も金額を報告してください」


「分かっています。隠して売るつもりはないです」


「それなら大丈夫です」


(この人、そこは本当に素直なんだよな……)


佐々木は少しだけ安心した。


健太は、佐々木から紹介された専門業者の店舗にいた。


店の看板には、魔石やダンジョン素材の買取を行う会社名が書かれている。


店内にはガラスケースが並び、色とりどりの魔石が展示されていた。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


受付の女性が尋ねる。


「魔石の買取をお願いしたいんですが」


「魔石ですね。探索者証を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」


健太は探索者証を提示した。


「田中健太様ですね。査定をご希望の魔石をお預かりします」


健太は、以前鑑定に出したものと同じ種類の魔石を取り出した。


もちろん、異世界の品をいきなり大量に持ち込むつもりはない。


まずは一つ。


店員は魔石を受け取り、奥の鑑定室へ持っていった。


しばらくして、白衣を着た男性が出てくる。


「こちらの魔石ですが、以前の鑑定記録と同じ特徴が確認できました」


「そうですか」


「品質は良好です。現在の市場価格を考慮すると、買取価格は一万三千円になります」


健太は少し考えた。


「それでお願いします」


「かしこまりました。こちらに署名をお願いします」


書類に名前を書き、必要な確認を済ませる。


やがて、健太の手元に一万三千円が渡された。


「……お金だ」


当たり前のことなのに、妙に感動した。


日本円。


紙幣と硬貨。


異世界の金貨とは違う。


コンビニでも牛丼屋でも使える、正真正銘の日本のお金だ。


「これで飯が食える……」


健太の目が輝いた。


ただし、すぐに食事へ向かうのは我慢した。


まずは必要なものを買う。


スマートフォンだ。


中古スマートフォンの販売店。


健店頭に並ぶ端末を眺めていた。


「うーん……」


最新機種は高い。


十万円を超えるものもある。


十二年前の感覚で考えていた健太にとって、スマートフォンの価格はなかなか衝撃的だった。


「こちらでしたら、三万円台で購入できますよ」


店員が中古端末を勧めてくる。


「性能はどうですか?」


「普段使いなら十分です。動画や地図、連絡用アプリも問題ありません」


「じゃあ、それで」


迷わず決めた。


新品へのこだわりはない。


ゲームが快適に動くなら嬉しいが、今は贅沢を言っている場合ではない。


端末代を支払い、スマートフォンを受け取る。


「ありがとうございました」


店を出た健太は、さっそく電源を入れた。


「おお……」


画面が明るくなる。


初期設定を進め、店の無料Wi-Fiに接続する。


まずはインターネットで情報を調べてみる。


検索欄に入力した。


『2036年 日本 ダンジョン』


ニュース記事が大量に表示された。


ダンジョンの場所。


探索者の活動。


魔石の相場。


モンスターの種類。


探索者向けの装備。


十二年前には存在しなかった情報が、画面いっぱいに並んでいる。


「便利だなあ……」


感心した。


異世界にも魔法通信具はあったが、ここまで手軽に情報を調べられるものはなかった。


しかも、この小さな機械一つで動画まで見られる。


「これは危険だな」


「何がですか?」


隣にいた店員が尋ねる。


「いや、時間が溶けそうだなと思って」


真顔で答えた。


その夜。


仮の宿泊先に戻った健太は、ベッドに腰掛けてスマートフォンを操作していた。


ギシッ。


「……今日はお前も頑張れよ」


ベッドに声をかける。


まずは探索者管理機構の公式サイトを開いた。


初心者向けの装備一覧。


低危険度ダンジョンの情報。


探索者の募集掲示板。


その中に、気になる募集があった。


『初心者同行探索・低層区域。経験者一名につき初心者二名まで。』


「へえ……」


募集内容を確認する。


報酬は少額だが、初心者にはちょうどいい。


何より、経験者と一緒に入れる。


一人で入るよりは安全だろう。


「これならいいかもしれない」


ただ、すぐには申し込まない。


装備も必要だし、体力も不安だ。


画面を閉じた。


そして、別の検索欄を開く。


『ダンジョン探索 初心者 必要装備』


『肥満 運動不足 体力づくり』


『膝 痛くならない ウォーキング』


「……最後のやつは切実だな」


苦笑しながら、健太はスマートフォンを枕元に置いた。


今日、ようやく一つ前進した。


身分証明の手続きも進み始めた。


魔石を売って、日本円を手に入れた。


そして、スマートフォンも買った。


まだ生活は安定していない。


それでも、少しずつ日本での居場所を取り戻している気がした。


「さて……明日からは本当に運動するか」


天井を見上げる。


「……いや、明後日からでいいか」


数十年明日からで良いやと呟いたことやら…何で数え切れない

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