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田中健太さん。実技講習の結果が出ました」
東京都探索者管理機構・東京支部。
受付カウンターの向こうで、職員の女性が書類を確認していた。
椅子に座り、少し緊張した様子で待っている。
いや、正確には緊張というより、早く終わってほしかった。
「結果としては、正式登録に進んでいただいて問題ありません」
「おお」
小さく声を漏らした。
「ただし、いくつか注意事項があります」
「はい」
「まず、体力と持久力については改善が必要です。健康診断でも血圧が高めでしたし、長時間の探索は現時点では推奨できません」
「ですよねえ……」
「また、実技講習では危険察知や障害物回避について高い評価を受けていますが、戦闘能力については十分な確認ができていません」
「戦闘は、できれば避けたいですね」
職員は少し意外そうに目を瞬かせた。
「探索者を目指しているのに、ですか?」
「いや、戦わずに済むなら、それが一番でしょう」
真顔で答えた。
「勝てるかどうか分からない相手と戦うのは、あまり好きじゃないんです」
その言葉に、職員は一瞬だけ黙った。
(……この人、見た目は頼りないけど、考え方はまともなのよね)
「それでは、登録手続きを進めます」
書類が差し出される。
氏名、年齢、連絡先、緊急連絡先。
順番に記入していった。
連絡先の欄でペンが止まる。
「……携帯電話がないんですよね」
「え?」
「スマートフォンも持っていなくて」
職員は困った顔をした。
「探索者として活動する場合、緊急連絡や情報確認のために端末が必要になります。専用アプリもありますので」
「やっぱり必要ですよね」
「はい。中古端末でも構いません。まずは連絡先を確保してください」
健太は頭を掻いた。
(スマホか。十二年前の機種なんて、もう使えないだろうな。そもそも持ってないけど)
「それと、緊急連絡先についてですが、ご家族や知人の方は?」
「いません」
「……そうですか」
職員の表情が少しだけ曇る。
「では、緊急時の連絡先は未登録として扱います。後日、変更も可能です」
「お願いします」
手続きは続いた。
最後に、職員が一枚のカードを取り出す。
「こちらが探索者証です」
透明なケースに入った、青みがかったカード。
中央には管理機構のマーク。
その下に、健太の名前と登録番号が表示されていた。
探索者登録証
田中健太
登録区分:新人
探索者ランク:未設定
カードを受け取った。
「……これで、俺も探索者ですか」
「はい。ただし、登録したからといって、すぐにダンジョンへ入っていいわけではありません。最初は低危険度の区域から、必ず経験者と同行してください」
「分かりました」
カードを眺める。
異世界では、冒険者ギルドの木札を首から下げていた。
あの頃は、冒険者として認められることが嬉しかった。
今はどうだろう。
十二年ぶりに帰ってきた日本で、また似たようなものを手に入れた。
「……人生って分からないもんですね」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ、独り言です」
カードを財布にしまおうとして、財布がないことに気づいた。
「あ」
「どうしました?」
「財布も買わないといけませんね」
職員は苦笑した。
「そうですね」
その日の午後。
区役所へ向かっていた。
探索者登録が終わったことを、担当の佐々木に報告するためだ。
窓口に顔を出す。
「こんにちは」
「……こんにちは」
佐々木は顔を上げた。
そして、健太の姿を確認した瞬間、わずかに眉間へ皺を寄せた。
(また来た……)
(いや、今日は何だ? 金貨か? 魔石か? まさか新しいモンスターでも持ってきたのか?)
(頼む。今日は普通の相談であってくれ)
「どうされました?」
「探索者登録が終わりました」
「……え?」
佐々木の手が止まる。
「正式に登録できたんですか?」
「はい。これです」
探索者証を見せる。
佐々木はそれを確認した。
「本当に登録したんですね……」
「ええ」
「実技講習も?」
「受けました」
佐々木はゆっくり息を吐いた。
(あの体格で本当にやったのか……)
「どうでした?」
「脇腹と膝が痛くなりました」
「でしょうね!」
思わず声が大きくなった。
周囲の職員がこちらを見る。
佐々木は咳払いをして、声を落とした。
「……失礼しました。健康状態には十分注意してください」
「はい。担当の人にも言われました」
「それならいいんですが」
佐々木は書類を確認しながら、少し考え込んだ。
「田中さん。探索者として活動するなら、生活面も整えた方がいいですよ」
「生活面?」
「携帯電話、財布、交通費、食事、住居。ダンジョンに入る前に、まず日常生活を安定させる必要があります」
「確かに」
「それと、魔石の鑑定結果についても、正式な売却手続きが必要です。生活保護の審査にも関わりますので、勝手に売却しないでください」
「分かっています」
佐々木は少し安心した。
(よかった。ちゃんと理解してくれている)
そのとき、思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。ひとつ聞きたいんですけど」
「何でしょう?」
「探索者って、ダンジョンに入るとき、何を持っていけばいいんですか?」
佐々木の表情が固まった。
(来た)
(やっぱり来た)
(普通の相談で終わるわけがなかった)
「……まずは管理機構の初心者向け装備一覧を確認してください。武器、防具、回復用品、飲料水、食料、通信端末などが必要です」
「なるほど」
「ただし、田中さんの場合は体力面に不安があります。最初は見学や同行から始めてください」
「分かりました」
素直に頷いた。
佐々木は少しだけ意外に思った。
(この人、無茶をするタイプではないのかもしれない)
「それと、田中さん」
「はい?」
「探索者になったからといって、生活保護の審査がなくなるわけではありません。収入が発生した場合は必ず申告してください」
「分かっています。稼いだらちゃんと報告します」
「お願いします」
頭を下げた。
「いつもありがとうございます」
佐々木は一瞬、言葉に詰まった。
(……こういうところは、ちゃんとしてるんだよな)
正直、最初は面倒な人物だと思っていた。
異世界だの金貨だの魔石だの、話の内容は突拍子もない。
しかも、毎日のように窓口へやってくる。
だが、決して横柄ではなかった。
説明を聞き、必要な手続きには従い、何度も礼を言う。
(まあ、仕事が増えることに変わりはないんだけど)
佐々木は心の中でため息をついた。
区役所を出た健太は、近くの公園のベンチに腰を下ろした。
ギシッ。
「……今日は頑張ったな」
探索者証を取り出し、もう一度眺める。
正式な登録。
小さな一歩だ。
だが、これでようやく日本での新しい生活を始められる気がした。
問題はまだ多い。
住む場所も、金も、スマホも必要だ。
魔石や金貨の扱いも決めなければならない。
そして何より、百十五キロの身体。
「……まずは歩くか」
健立ち上がった。
その瞬間、膝が少し痛んだ。
「いっ……」
やはり簡単にはいかない。
それでも、歩き始める。
五分。
十分。
十五分。
途中で何度も休憩したが、今日は昨日より少しだけ長く歩けた。
「よし」
小さく頷いた。
そのとき、公園の大型モニターにニュースが流れた。
『本日、東京都内の第三十七号ダンジョンで新たな中型モンスターの出現が確認されました。探索者管理機構は、周辺区域への立ち入りを制限し――』
画面には、見覚えのある姿が映っていた。
黒い毛並み。
大きな鼻。
鋭い牙。
狼に似たモンスター。
健太は足を止めた。
「……あれ?」
以前、九条アリスの動画で見たモンスターとは違う。
しかし、どこか似ている。
(まさか……)
異世界で何度も遭遇した、あの魔物。
名前も、習性も、弱点も知っている。
だが、同じ種類とは限らない。
画面を見つめた。
『専門家によりますと、このモンスターは非常に優れた嗅覚を持ち、複数で連携して行動する可能性があるとのことです』
「……やっぱり鼻が利くタイプか」
呟いた。
日本のダンジョン。
異世界とは違う場所。
だが、そこには確かに、かつて自分が生きていた世界と似た何かが存在していた。
探索者証を握りしめる。
「そろそろ、実際に見てみるか」
ただし、無理はしない。
勝てない相手とは戦わない。
それが十年以上の冒険で身につけた、健太の生存術だった。




