初めての街と皮膚科医の生きる道2
アルメリアの街の門は、丸太を組んだ櫓と、槍を持った門番二人に守られていた。
「ドナンか。今回は早かったな。そっちの男は?」
「東の国の薬師さんだ。俺が身元を請け合うよ。なにせこの手の恩人だからな」
ドナンが両手を振ってみせると、門番は「なんだ、手の恩人って...」と苦笑しつつも、私に木の割符を渡してきた。滞在許可証のようなものらしい。銅貨2枚を払った。
門をくぐってすぐの広場で、私は足を止めた。
白い石造りの聖光教会の前に、人だかりができていたのだ。担架に乗せられた若い男が運び込まれるところだった。木こりだろうか、右の前腕があらぬ方向に曲がり、服は血で汚れている。開放骨折のようだった。
「すまん、少し見ていっていいか」
「おう。治癒師さまの御業か。初めてなら見とくといい」
人垣の隙間から、聖堂の前庭が見えた。白い法衣の治癒師が三人、担架を囲んで膝をつき、祈りの文句を唱え始める。やがて彼らの手のひらが淡い金色に光り、その光が男の腕に沁み込んでいった。
男の絶叫が、うめきに変わり、やがて静かになった。曲がっていた前腕が、ゆっくりと、あるべき形に戻っていく。裂けた皮膚が縁から寄り集まり、見る間に塞がった。
「……驚いた」
本物だった。あれは本物の治癒だ。骨折の整復から創の閉鎖まで、およそ十分。前世の医療が束になっても敵わない速度である。
だが、私は同時に、見てしまった。
祈りが終わり、人垣が散り始めた聖堂の石段の隅に、一人の老人がうずくまっていた。ぼろをまとい、顔と手足の皮膚は厚く硬く変わり果て、あちこちが深く裂けている。長年放置された重度の慢性湿疹か、あるいは別の角化症か――いずれにせよ、相当な年季の入った皮膚病だった。
老人は、祈りを終えて戻る治癒師に向かって、震える手を差し伸べた。
治癒師は、老人を一瞥もしなかった。それどころか、裾が触れぬよう、わざわざ大きく迂回して聖堂に入っていった。人々も同じだった。誰もが老人の前だけ、目に見えない壁があるように避けて通る。
「……ドナンさん。あの年寄りは」
「ああ……『石皮のジジ』だな。もう何年もあそこにいる。業が皮に出ちまった者は、ああして祈るしかねえのさ。触ると業が伝染るって言われてる」
「触っても、伝染りませんよ」
「え?」
「いえ……いずれ、ね」
私はその名を、心の帳面の一番上に書きつけた。石皮のジジ。この町で診るべき患者のリストは、こうして門をくぐった初日から増え始めた。
アルメリアの町は、想像していたよりずっと活気があった。
石と木を組み合わせた二階建ての家々。目抜き通りには宿と酒場と武具屋が並び、革鎧を着た冒険者らしき集団が行き交う。通りの奥には白い石造りの建物――あれが聖光教会だろう。尖塔の先で、太陽を模した金の紋章が光っていた。
ドナンの紹介で、「木苺亭」という宿に部屋を取った。女将はベルタという恰幅のいい女性で、腕っ節も態度も肝っ玉も大きい。
「東の国の薬師さんかい。まあ、ドナンの紹介なら悪人じゃないだろ。素泊まり銅貨15、飯つけるなら20だ」
今夜の分として、銅貨20枚を先に払った。手持ちは残り銀貨5枚と銅貨3枚。銀貨1枚が銅貨100枚だから、飯つきの銅貨20で数えれば銀貨1枚で5泊。全部使い切っても26日というところか。それまでの間に、皮膚科医として銭を稼ぐ手段を考えなくてはいけない。薬を作るための素材集めに銭を使えば、泊まれる日数はもっと短くなる。
木苺亭の夕食の麦粥と腸詰めは、素朴だが悪くない味だった。
そして食堂の隅で食事をしながら、私は職業病のように、行き交う人々の「皮膚」を見ていた。
見える、見えてしまう。
給仕の娘の手には手湿疹。酒を運ぶ男の首筋には脂漏性皮膚炎らしき鱗屑と紅斑、もしかすると乾癬なのかもしれない。奥の席の冒険者は、しきりに靴の上から足の指を掻いている――おそらく、足白癬。隣の卓の若者のうなじには膿疱を伴う毛包炎。カウンターで飲んでいる老人の頬には、日光角化症を疑う角化性の紅斑がある。あれは前世なら生検して、場合によっては切除する所見だ。
誰も、何も、治療されていない。
当たり前だ。この世界に皮膚科医はいないのだから。
「あんた、さっきから人の顔ばかりじろじろと。行儀が悪いよ」
ベルタに睨まれて、私は素直に頭を下げた。
「すみません。職業柄、人の肌を見る癖があって」
「肌ぁ?」
「私は皮膚の薬師なんです。傷、かゆみ、できもの、かぶれ。皮膚の困りごとを専門に診ます」
ベルタは太い眉を寄せた。
「……そんな薬師、聞いたことないね」
でしょうね、と思う。この世界に一人しかいないはずだ。
そのやり取りを、隣の卓で聞いていた者がいた。例の、しきりに靴の上から足の指を掻いていた冒険者である。三十絡みの、よく日に焼けた槍使いだった。彼はしばらくもじもじしていたが、麦酒の残りを呷ると、意を決したように私の卓に来た。
「……あんた、今、かゆみを診るって言ったか」
「言いました」
「その、なんだ。連れには内緒にしてほしいんだが……足が、な。指の股が、白くふやけて、めくれて、たまらなく痒い。特に酒を飲んだら最悪だ。もう2年になる。酒場で靴を脱げねえ。風呂屋にも行けねえ、女にも恥ずかしくて見せられねえ」
「診ましょう。裏の井戸端でよければ、今すぐにでも」
「い、今すぐ!?」
井戸端で靴と足布を脱がせると、案の定、両足の趾間はふやけて白く崩れ、皮がめくれ、独特の臭いを放っていた。土踏まずには小さな水疱の群れもある。試しに【皮膚透見】を使ってみる。徐々に拡大させて、角質を観察すると、菌糸らしきものが見えてきた。本当にすごいスキルだ。前世では「足白癬は見た目だけでは診断できない。必ず真菌の顕微鏡検査が必要なんだ」と、患者や他科の医師に口を酸っぱくして言ってきたのに、今の私は見るだけで診断できるのだ。これは間違いなく趾間型と小水疱型が混合した典型的な足白癬だった。
「これは私の故郷で『水虫』と呼ばれる、足に住み着く菌の仕業です。呪いではないし、あなたの足が汚いからでもない」
「......水虫?」
「本当は水の中に住んでいる虫ではないんですけどね。東方では水田と言って、水を張った畑の中で米という穀物を育てます。水田の中に足を突っ込んで作業する初夏の時期に、あなたのような足の症状が悪化するので、水田の中の虫が原因だろうということで水虫と呼ばれるようになりました。この虫はジュクジュクしたふやけた皮膚が大好物なんですよ」
「なんでそんな虫が俺の足に...水田なんて知らねえし、冒険者の俺が畑作業なんてするわけねぇ」
「それはあなたの装備のせいですよ」
「そ、装備のせい……?」
「その長靴、いい革だが、風がまったく通らない。中で足が一日中蒸れている。水虫はその湿気とぬくもりの中でどんどん増えます。……治し方は三本柱です。洗う、乾かす、そして薬。今夜から足を指の股まで水でよく流して、布できちんと拭いてください。そして、寝る時は指の股に乾いた布を挟む。薬は...今は手持ちに使える素材がないから、ちょっと待ってください。でも、清潔にして、乾燥させるだけでも痒みは違うはずですよ」
「そんなことで……よくなるのか。2年も苦しんできたんだぞ」
「根気はいります。2ヶ月はみてください。薬がないので完全に治るわけではないですが、楽になると思いますよ」
槍使いは半信半疑の顔で帰っていった。
その夜、私は寝台の上で、指を折って数えた。
ドナン。石皮のジジ。給仕の娘。酒を運ぶ男。あの槍使い。そして隣の若者――この町に来て半日で、診るべき患者を6人見いだし、そのうち2人を治療した。
悪くない滑り出しだな、と思いながら目を閉じた。




