第5話 実家の会社は、救済ではなく正当な取引で立て直します
元カレ御曹司・拓真の圧力から逃れるだけでは、花音の実家の会社は立ち直れません。
仕事は多いのに、なぜ利益が残らないのか。
相沢商事との取引は、本当に会社を支えていたのか。
怜士が椎名内装資材へ連れてきたのは、一条グループ経理部の高瀬美緒。
「救済」ではなく、技術を正当に評価される会社になるための、厳しい再建が始まります。
数日後、花音は怜士と共に実家を訪れた。
椎名内装資材。
父が経営する小さな会社は、住宅地の一角にある古い社屋だった。
倉庫には木材や内装パネルが積まれ、職人たちが忙しそうに出入りしている。
花音はこの場所が嫌いではなかった。
木の匂い。
父の作業着。
職人たちの手。
けれど近年、父の顔にはいつも疲れがあった。
相沢商事から仕事は来る。
だが、忙しいのに利益は残らない。
そんな状態が続いていた。
会議室には、父と母、そして怜士が手配した一条グループ経理部の主任、高瀬美緒がいた。
高瀬は三十五歳。
髪を低くまとめ、無駄のないスーツを着ている。
怜士とは違う意味で、隙のない女性だった。
「高瀬美緒と申します。一条グループ経理部より、一定期間、椎名内装資材様へ出向いたします」
父は戸惑った顔をした。
「出向、ですか」
怜士が静かに言った。
「仕事を出すだけでは、会社は立ち直りません」
「一条様」
「御社には技術があります。問題は、技術がないことではなく、技術を正当に評価しない相手に依存していたことです」
父は黙り込んだ。
高瀬が資料を広げる。
「過去三年分の相沢商事様案件を確認しました」
淡々とした声。
「御社の平均利益率は、相沢商事様案件に限ると、ほぼ赤字です」
母が息を呑んだ。
「赤字? でも、仕事はたくさん」
「仕事量と利益は別です」
高瀬は容赦なく言った。
「材料費上昇分の未転嫁、追加作業分の未請求、短納期による外注費増。これらを含めると、受ければ受けるほど会社が消耗する案件が多数あります」
父の顔が青ざめた。
「仕事があるだけ、ありがたいと思っていたんです」
「その考え方が、相手に利用されます」
高瀬は冷たくはなかった。
けれど厳しかった。
「小さな会社だからこそ、数字を見なければ潰れます」
父は、何も言えなかった。
怜士が口を開く。
「一条建設が今後進めるホテル改修案件に、地域素材を活かした内装提案が必要です。椎名内装資材の技術は、その条件に合っています」
「うちが、一条建設さんと?」
「はい。ただし、救済ではありません」
怜士の声は静かだった。
「品質、納期、技術力を見たうえで、正式な取引先として採用します。価格は適正に。相沢商事のような買い叩きはしません」
母が不安そうに言った。
「それは、花音が一条様と結婚したからでは」
「違います」
怜士はきっぱりと言った。
「花音さんを差し出す必要はありません。会社を救うのは、会社の技術であるべきです」
花音の胸が熱くなった。
父が深く頭を下げた。
「一条様。ありがとうございます」
「感謝はまだ早いです」
高瀬が資料を閉じた。
「これから原価計算、見積作成、月次決算、職人さんへの支払い、すべて見直します。相沢商事様に依存しない体制を作るまで、かなり厳しく申し上げます」
父は苦笑した。
「お手柔らかに」
「できません」
即答だった。
花音は思わず少し笑ってしまった。
高瀬が花音を見る。
「椎名さん」
「はい」
「あなたは、会社のために自分を犠牲にする必要はありません」
花音は目を見開いた。
「この会社が立つべきなのは、あなたの我慢の上ではなく、仕事の価値の上です」
その言葉に、父が顔を歪めた。
「花音」
父は、ゆっくり頭を下げた。
「すまなかった」
「お父さん」
「父さんは、会社のことばかり考えていた。お前がどれだけ傷ついたか、見ようとしなかった」
母も、唇を震わせていた。
「私は、相沢さんとの縁を守れば会社が助かると思っていた。でも違ったのね。あなたを傷つけてまで守ろうとしたものが、会社を苦しめていたなんて」
花音は、すぐに許せるとは言えなかった。
けれど、母の目に初めて、世間体ではなく花音を見る色があった。
「今すぐ元通りにはなれない」
花音は言った。
「でも、これからは私を、会社や家のための娘じゃなくて、私として見てほしい」
母は涙を浮かべて頷いた。
「努力するわ」
その日から、椎名内装資材の再建が始まった。
高瀬は容赦がなかった。
「この見積書、原価が入っていません」
「作業時間を記録してください。職人さんの腕は無料ではありません」
「相沢商事案件は、追加作業の請求漏れが多すぎます」
「忙しいのに利益が残らない理由は、ここです」
父は何度も頭を抱えた。
職人たちも最初は戸惑った。
だが、数字が見え始めると、会社の空気は少しずつ変わった。
仕事を断る基準。
適正価格。
無理な納期を受けない勇気。
そして、一条建設から最初の小規模案件が正式に発注された。
高級ホテルの一部改修。
地域木材を使った造作棚と内装パネル。
父は見積書を前に、何度も深呼吸した。
「この価格で、本当に通るのか」
高瀬は眼鏡を押し上げた。
「通ります。価値に対して妥当です」
「相沢商事なら、半分にしろと言われた」
「だから赤字だったのです」
父は、静かに頷いた。
「仕事があるだけありがたいと思っていた。だが、赤字で受けた仕事は、会社を守るどころか、職人たちの時間を削っていたんだな」
その言葉を聞いて、花音は胸が詰まった。
実家は、少しずつ変わろうとしている。
そして、それは怜士が金で救ったからではない。
怜士は、仕事と数字と人材で、会社が自分の足で立てる道を作ってくれた。
その誠実さが、花音にはたまらなく眩しかった。
第5話をお読みいただき、ありがとうございます。
相沢商事から多くの仕事を受けていた椎名内装資材。
けれど実際には、材料費の上昇分も追加作業も十分に請求できず、仕事を受ければ受けるほど会社が消耗する状態でした。
怜士が用意したのは、花音との結婚を条件にした援助ではありません。
「花音さんを差し出す必要はありません。会社を救うのは、会社の技術であるべきです」
技術力を正当に評価し、適正な価格で取引すること。
数字を見直し、無理な仕事を断れる会社になること。
花音の我慢ではなく、職人たちの仕事の価値によって立ち直る道が示されました。
そして花音も、両親に初めて伝えます。
会社や家のための娘ではなく、一人の人間として自分を見てほしい、と。
少しずつ変わり始める実家と、静かにそれを支える怜士。
しかし、自分の支配から椎名内装資材が離れようとしていることを知った拓真が、黙っているはずはありません。
次話、御曹司の看板を振りかざした元カレが、再び花音の前に現れます。
今度こそ、彼が自ら口にした言葉の代償を支払う時です。




