episode4(ambush)Chapter11
「猫さん!!」
ラピュータの群れが沈黙したのを確認すると、ダミアーノ神官は杖を支えにしながら必死に駆け寄った。
倒れているアウローラの姿を見た瞬間、その表情が凍りつく。
「これは……。」
左腕は不自然な方向へ曲がり、右脚も骨折しているのが一目で分かった。
脇腹にはジョルディに刺された古傷が再び裂け、大量の血が地面を赤く染めている。
アウローラは苦痛に顔を歪めた。
「うぅぅ……。」
息を吸うだけで激痛が走る。
耳も尻尾も力なく垂れ下がっていた。
ダミアーノ神官は震える手で杖を掲げる。
「これはいけません……。」
残された魔力など、ほとんどない。
それでも迷わなかった。
「残りの魔力で……傷口だけでも……!」
淡い緑色の光がアウローラの脇腹を包み込む。
裂けた肉がゆっくりと閉じ、溢れ続けていた血がようやく止まり始めた。
しかし
光が消えた瞬間。
ダミアーノ神官の膝が崩れる。
「これで……。」
そのまま前のめりに倒れ込んだ。
魔力を使い果たしたのだった。
アウローラは霞む視界の中で神官を見つめる。
「じ……爺さん……。」
声にも力がない。
左腕を動かそうとしても、激痛だけが走る。
右脚もまるで自分のものではない。
「ちくしょう……。」
悔し涙が溢れた。
「腕も……足も……動かねえ……。」
堪えきれず涙が頬を伝う。
その時だった。
「いたぞ! あそこだ!!」
遠くから村人たちの叫び声が響く。
何人もの足音が一斉に近付いてくる。
アウローラはゆっくりと耳を動かした。
「……にゃ?」
霞んだ視界の先に、一人の女性が飛び込んでくる。
「アウローラ!!」
アンジェリカだった。
彼女は傷だらけの少女を見るなり、思わず両手で口元を押さえた。
「あぁ……。」
涙が止まらない。
ボロボロになった身体。
血に染まった服。
それでも生きていてくれた。
その事実だけで胸がいっぱいになった。
アウローラは苦しそうに、それでも笑みを作る。
「ママ……。」
かすれた声だった。
「村は……守ったよ。」
その一言を聞いたアンジェリカの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「ええ……。」
震える声で頷く。
「守ってくれたのね。」
駆けつけた村人たちはすぐに三人を支え始めた。
「神官様も運べ!」
「ジェンティーレ君も気絶してるぞ!」
「急いで村へ!」
数人がダミアーノ神官を担ぎ、別の村人たちがディメトリオを支える。
そしてアンジェリカは、自らアウローラの身体を優しく抱き上げた。
傷口に響かないよう、細心の注意を払いながら。
「アウローラ……。」
アンジェリカは涙を浮かべたまま微笑む。
「無理しないで。」
その声は、まるで本当の母親のように温かかった。
アウローラは力なく身体を預ける。
「ママ……。」
少しだけ照れくさそうに笑う。
「ごめん……。」
目を閉じながら呟いた。
「もう暫く……お世話になるね。」
アンジェリカはその小さな身体をそっと抱き寄せる。
「いいの。」
髪を優しく撫でながら微笑んだ。
「いいのよ。」
その声は慈愛に満ちていた。
「いたいだけ、ずっとここにいなさい。」
その言葉を聞いたアウローラは、安心したように小さく微笑む。
「……うん。」
そのままアンジェリカの胸へ頬を預け、張り詰めていた心をようやく解いた。
夕暮れのデッレ・アルピ村。
命懸けで村を守った猫獣人の少女は、初めて「帰る場所」の温もりに包まれていた。
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戦いを終えたデッレ・アルピ村には、ようやく静けさが戻りつつあった。
クリスティアンの部屋。
ベッドの上では、左腕を添え木で固定され、右足も包帯で固められたアウローラが横になっている。
脇腹にも幾重にも包帯が巻かれ、激戦の傷跡が痛々しく残っていた。
コンコン。
扉が軽く叩かれる。
「失礼しまーす!」
元気な声と共に入ってきたのは、昼間に魔獣襲来を知らせてくれた郵便配達員だった。
両手には新しい包帯や薬草、清潔な布が抱えられている。
「さぁさぁ!包帯を替えますよ!」
袖をまくり、妙に張り切った様子でアウローラのそばへ膝をつく。
アンジェリカは台所から顔を覗かせた。
「いいの?」
少し申し訳なさそうに微笑む。
「お仕事中なんでしょ?」
郵便配達員は胸を叩いた。
「いえいえ!!」
にかっと笑う。
「私にお任せください!!」
包帯を手に持ちながら、親指を立てる。
「さぁアンジェリカさんは気にせず夕食の準備を!」
その言葉を聞いた瞬間だった。
ビシィッ!!
「いてぇぇぇ!!」
郵便配達員が飛び上がる。
振り返ると。
ベッドの上のアウローラが、尻尾で思い切り彼の足を叩いていた。
猫耳をぴくりと動かしながら、じろりと睨みつける。
「ママへの下心でアタシの手当てするんならいらねえぞ。」
郵便配達員は顔を真っ赤にした。
「し……下心だなんてそんな!」
慌てて両手を振る。
「へっ。」
アウローラは鼻を鳴らす。
「アタシを理由にママと一緒にいられて嬉しいって顔に書いてるぜ。」
郵便配達員は思わず言葉を失う。
「うっ……。」
図星だった。
耳まで真っ赤になって俯いてしまう。
その様子を見たアンジェリカは、くすっと笑った。
「いいのよ、アウローラ。」
優しい笑みを浮かべる。
「おかげでよく助けてくれるんだから。」
郵便物を届けるだけではない。
重い荷物を運んでくれたり、薪割りを手伝ってくれたり、何かと気にかけてくれる青年だった。
アウローラはぷくっと頬を膨らませる。
「もうママは甘いんだから!」
尻尾をぶんぶん振る。
そして郵便配達員へ向き直ると…
猫耳を伏せ、
「シャアァァァッ!!」
と牙を見せて威嚇した。
「アタシがいるうちはママに手出したら命はないと思え。」
郵便配達員は一瞬で青ざめる。
「ひいいい!!」
包帯を抱えたまま後ずさりした。
「と、とりあえず手当てだけさせてくださぁぁい!!」
その情けない悲鳴に、
アンジェリカは思わず吹き出した。
「あらあら。」
穏やかな笑い声が家の中に響く。
アウローラもふんっと鼻を鳴らしながら、
「ちゃんと手当てだけなら許してやる。」
と腕を差し出す。
郵便配達員は何度も頷きながら、
「は、はい……!」
と震える声で返事をした。
その光景を見つめるアンジェリカの表情は、どこか母親らしい温かな微笑みに満ちていた。
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サンシーロ宮殿――。
最上階にあるヴラジミール・マロッタの私室。
重厚な書棚。
壁一面に広がる西大陸の軍事地図。
無数の駒が戦況を示し、蝋燭の炎だけが静かに揺れていた。
深夜。
部屋の空気が不意に凍りつく。
ぽたり…
どこからともなく水滴が落ちる音。
次の瞬間。
空中に淡い水色の粒子が集まり始めた。
それらは渦を巻き、一人の女性の姿を形作る。
透き通るような水色の長髪。
白磁のように美しい肌。
まるで水そのものから生まれたような神々しい肢体。
冷たくも妖艶な微笑みを浮かべるその存在こそ。
水の女神メアッツァ。
彼女が現れた瞬間、部屋の温度はさらに下がった。
マロッタは一切驚くことなく、その場で片膝をつく。
深く頭を垂れる。
「メアッツァ様」
サンシーロ式敬礼。
忠誠そのものだった。
メアッツァは妖しく微笑む。
そしてゆっくりとマロッタへ歩み寄った。
「マロッタさん……」
透き通るような声。
だが、その奥底には底知れぬ冷たさがあった。
「特選部隊アッズーリの存在がカンプノウにバレたけど……」
細い指先を唇へ当てる。
「どうするおつもり?うふふ」
その笑みは美しく。どこか残酷だった。
マロッタは跪いたまま顔を上げる。
「メアッツァ様……」
穏やかな笑みを浮かべる。
「ご安心くださいませ。」
ゆっくりと言葉を続けた。
「次の手は討ってあります」
その瞳には一切の迷いがなかった。
メアッツァは満足そうに頷く。
そして冷たい手をそっとマロッタの頬へ添えた。
その指先は氷のようだった。
「最近サンシーロが負け戦ばかりなのも……」
優しく撫でながら囁く。
「この特選部隊アッズーリの準備のために戦力を裂いたからですものね。」
マロッタは静かに頷く。
「はい。」
メアッツァは妖しく目を細めた。
「ここから」
冷たい指先が頬をなぞる。
「神である妾の想像もつかない逆転劇を見せてくれるのかしら?」
期待。
興味。
そして退屈を嫌う神だけが持つ、残酷な好奇心。
その全てが込められた問いだった。
マロッタは即座に頭を垂れる。
「勿論でございます!」
力強く言い切る。
「必ずやメアッツァ様を退屈させませぬ。」
再びサンシーロ式敬礼。
「変わらぬご支援を、どうか。」
メアッツァは満足そうに微笑む。
その身体が再び水の粒子へと溶け始める。
消えゆく中で最後に言葉を残した。
「妾は勝ち負けよりも」
静かな声。
「面白いかどうかを求める。」
水色の粒子が夜空へ溶けていく。
「この戦争。」
その瞳だけが最後まで妖しく輝いていた。
「更に盛り上げてみせなさい。」
その言葉を最後に。
メアッツァの姿は完全に消え去った。
部屋には静寂だけが残る。
しばらく沈黙が流れる。
やがてマロッタはゆっくりと立ち上がった。
窓の外。
サンシーロ王都の灯火を見下ろす。
口元がゆっくりと吊り上がる。
「メアッツァ様……」
静かに呟く。
「戦争を更に長引かせて、あなたを楽しませる。」
机の上に置かれた西大陸全域の戦略地図へ視線を落とす。
そこには無数の駒。
そして、水色の駒――特選部隊アッズーリ。
その駒をゆっくりと前へ進めた。
「そして…」
妖しく微笑む。
「ヴラジミール家の財産を、より確かなものに。」
蝋燭の炎が揺れる。
その笑みだけが、暗い私室の中で静かに浮かび上がっていた。




