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ビリンデッリの血〜東西大陸百年戦記〜  作者: エリカサファイア
episode0(Prologue)

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episode0(Prologue)Chapter7

それからも指導は続いた。

朝から始まった稽古は昼を過ぎても終わらない。


何度も木刀を振る。

何度も打ち込む。

何度も転ぶ。

そして何度も立ち上がる。


その繰り返しだった。

最初の頃は力みばかりが目立っていた。


父に届かせたい。

認められたい。

その焦りが剣を重くしていた。


だが時間が経つにつれ、クリスティアンの身体から余計な力が抜け始める。


疲労がそうさせたのか。

あるいは父の言葉が少しずつ心に染み込んだのか。

木刀の軌道が変わり始めていた。

力任せではない。

真っ直ぐで自然な剣。


パオロはそれを見逃さない。

「そうだ。」

木刀を受け流しながら頷く。

「そのままだ。」


クリスティアンは返事をする余裕もない。

汗が目に入る。

腕は重い。

足も震えている。

それでも木刀を握る手だけは離さなかった。

「はぁ……っ。」

息を吐く。

踏み込む。

「たぁぁぁぁぁぁっ!!」

渾身の一撃だった。


力ではない。

速度でもない。

今までで最も自然な踏み込み。

最も素直な一太刀。

その瞬間。


ヒュッ――


木刀が風を裂く。

そしてかすかに。

本当にかすかに。

パオロの右手の指先を掠めた。

触れたかどうかも分からないほどの接触。

だが確かに届いていた。


パオロの目が僅かに見開かれる。

次の瞬間には元の表情へ戻った。


クリスティアンは気付いていない。

勢いのまま踏み込みを終え、肩で息をしている。


パオロはそっと右手を見る。

人差し指の先がほんの少し赤くなっていた。

それだけだった。

だがパオロは満足そうに微笑む。

「よし。」

木刀を肩へ担ぐ。

「ここまでにしよう、クリスティアン。」


クリスティアンが顔を上げる。

「えっ……?」


「腹が減った。」

パオロは豪快に笑った。

「昼飯にするぞ。」


しかしクリスティアンは納得していない。

「し、しかし!」

木刀を支えに立とうとする。

だが膝が笑った。

そのまま地面へ座り込む。

「まだ……。」

肩で息をしながら言う。

「まだ掠りもしていません……。」

悔しそうな顔だった。

夢中になりすぎて気付いていない。

先ほど確かに届いていたことに。


パオロは何も言わなかった。

ただ優しく笑う。

そして大きな手を伸ばした。


ぽん。


クリスティアンの頭を撫でる。


「心配するな。」

穏やかな声だった。

「俺なんかすぐに超えるさ。」


クリスティアンは思わず顔を上げる。

「本当にですか?」


「本当だ。」

即答だった。

そこには迷いがない。

父親としての願いも。

剣士としての確信も。

全て込められていた。


クリスティアンは照れ臭そうに笑う。


するとパオロは急に周囲を見回した。

そして大袈裟に肩を震わせる。

「あー……。」


「どうしたんですか?」


「そろそろ戻らないとまずい。」

真顔だった。

「母様がカンカンに怒るぞ。」


クリスティアンが吹き出す。

「ははっ!」


その様子を見てパオロも笑った。

「昨日の報告書も途中だしな……。」


「父様、それ終わったんですか?」


「……。聞くな。」


親子揃って笑い出した。

そして木刀を抱えながら家へ向かう。

疲れ切っているはずなのに足取りは軽い。


その背中を見ながらパオロは小さく微笑む。

(届いたよ。)

心の中だけで呟く。

(お前の剣は、確かに届いた。)


赤くなった指先をそっと握る。

その小さな痛みが、なぜか誇らしく感じられた。


親子の笑い声は、昼下がりのデッレ・アルピ村へ静かに響いていた。

庭での稽古を終えた頃には、太陽はすっかり高く昇っていた。

クリスティアンは汗だくになりながら木刀を肩に担ぐ。

その隣ではパオロも満足そうに肩を回していた。

「腹減ったなぁ。」


「はい!もう限界です!」

親子揃って笑いながら家の扉を開ける。

すると――

ふわりと食欲を刺激する香りが鼻をくすぐった。


「おっ。」

「わぁ……!」


食卓には既に昼食が並べられていた。


中央に置かれているのはカプレーゼ。

今朝畑で摘まれたばかりの真っ赤なトマトと、真珠のように白く艶やかなモッツァレラチーズが交互に並べられている。

仕上げにかけられた黄金色のエクストラバージンオリーブオイルが陽光を受けて輝き、刻まれたバジルの爽やかな香りが食欲を誘っていた。


隣にはアンジェリカ特製のスパゲッティ・アッラ・アマトリチャーナ。

じっくり煮込まれた完熟トマトの甘味と酸味が絶妙に溶け合い、赤く艶やかなソースが麺一本一本にしっかり絡んでいる。

湯気と共に立ち上る香りだけで空腹が刺激される一品だった。


そして主菜にはポッロ・アッラ・グリーリア。

鶏もも肉の皮はこんがりと黄金色に焼き上げられ、表面には香り高いサンシーロパセリが散らされている。

ナイフを入れれば肉汁が溢れ出しそうなほど瑞々しく、岩塩が素材本来の旨味を最大限に引き出していた。


アンジェリカは二人の顔を見るなり微笑む。

「二人ともお腹すいたでしょう?」

エプロンで手を拭きながら言った。

「どうぞ。」


その一言を待っていたかのようだった。

「いただきます!!」

パオロとクリスティアンの声が綺麗に重なる。


まずクリスティアンがパスタを頬張る。

「うまっ!!」

濃厚なトマトの旨味が口いっぱいに広がる。

麺を勢いよく啜るたびにソースの香りが鼻へ抜けていく。

気付けばフォークが止まらない。


一方パオロは鶏もも肉へ豪快にかぶりついた。

「んんっ!」

肉汁が溢れる。

サンシーロパセリの香りと岩塩の塩気が絶妙だった。

戦場では味わえない家庭の味。

思わず顔が綻ぶ。


「やっぱりアンジェリカの飯は世界一だな。」

「大袈裟ですよ。」


そう言いながらもアンジェリカは嬉しそうだった。


クリスティアンはカプレーゼへ手を伸ばす。

冷たく瑞々しいトマト。

まろやかなモッツァレラ。

爽やかなオリーブオイル。

口の中で混ざり合うたびに心地よい風味が広がる。


「これも美味しいです!」

「今朝採れたトマトだからね。」


アンジェリカはそう言って微笑んだ。


それからしばらく。

食卓にはフォークの音と笑い声だけが響いた。

クリスティアンは夢中で食べ続ける。

パオロも負けじと皿を空にしていく。

二人ともまるで何日も食事をしていなかったかのような勢いだった。

アンジェリカはそんな二人を見ながら優しく目を細める。


そして食事が終わり、二人が満足そうに椅子へもたれかかった頃。

アンジェリカはにっこりと微笑んだ。

「さて。」

その笑顔に何故か嫌な予感がする。

「午後は勉強と報告書もしっかりやってくださいね。」


親子の表情が同時に固まった。


「げっ……。」

「うっ……。」


声まで綺麗に揃う。


アンジェリカは変わらぬ笑顔のまま言った。

「逃げても無駄ですよ?」


その瞬間。白銀の騎士と未来の白銀の騎士候補は、戦場以上の強敵が目の前にいることを改めて理解したのだった。

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