episode3(vacation)Chapter17
マウロに案内された先は、意外にも賑やかな大衆トラットリアだった。
夕暮れ時ということもあり、店内は仕事帰りの職人や商人、家族連れで活気に満ちている。
厨房からはニンニクを炒める香ばしい匂いと、煮込み料理の湯気が漂い、店員たちが慌ただしく料理を運んでいた。
クリスティアンは少し意外そうに店内を見回す。
「ここですか?」
マウロは笑みを浮かべた。
「隊長のくせに庶民的な飯を食わせるのか?……と思うか?」
クリスティアンは苦笑する。
「いえ……ごちそうになる分際なので。それに。」
店内を見回しながら肩を竦める。
「こういう店、結構好きですよ。」
マウロは満足そうに頷いた。
「そう言うと思った。」
二人は窓際の席へ腰を下ろした。
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注文を終え、水だけが運ばれてきた頃だった。
マウロは静かにクリスティアンを見つめる。
「君は。」
少し間を置く。
「ネラッズーロの連中とよく絡んでいるらしいな。」
その声は穏やかだったが、どこか探るようでもあった。
クリスティアンは隠すことなく頷く。
「はい。アウローラも、ケイスケさんも世話になってます。」
その名前を聞いたマウロは、小さく息を吐いた。
「私は。」
腕を組む。
「身分や血統は気にしない。」
クリスティアンは黙って聞く。
「だが。」
マウロの目が少し鋭くなる。
「はっきり言ってネラッズーロの連中は好かぬ。」
「彼らは所詮外人だ。」
迷いなく言い切る。
「サンシーロの伝統と文化を何も尊重していない。」
クリスティアンは少しだけ眉をひそめた。
「ですが。」
静かに口を開く。
「腕は確かですし。」
ケイスケやアウローラの姿が脳裏を過る。
「サンシーロをちゃんと愛していますよ。」
マウロは首を横へ振る。
「それは。」
淡々と答えた。
「マロッタ様がしっかり報酬を払うからだ。」
クリスティアンは言葉を失う。
マウロは続けた。
「彼らは第一に金だ。」
「報酬次第では平気でカンプノウへ行くような連中だ。」
窓の外へ目を向ける。
「我々みたいに誇りを持って戦うことはない。」
そして少しだけ苦笑した。
「……まぁ、仕方のない事だがな。」
クリスティアンはしばらく黙っていた。
やがて真っ直ぐマウロを見つめる。
「果たして。」
静かな声だった。
「本当にそうでしょうか?」
マウロは即答した。
「そうだ。」
その声には一切の迷いがない。
「ありとあらゆるネラッズーロの戦士達は、例外なくそうさ。」
一拍置き、表情を少し和らげる。
「だが。もう一度言うが。」
グラスを手に取る。
「仕方のないことではあるんだ。」
「彼らは生まれた時からサンシーロの民ではない。」
「故郷も、家族も、守るべき伝統も別の場所にある。」
「だから金で戦う。」
「それ自体を私は責めるつもりはない。」
「ただ……。」
マウロはクリスティアンの目を真っ直ぐ見据えた。
「私は、命を預けるなら。」
静かに言い切る。
「この国の誇りを背負って戦う者を選ぶ。」
店内の喧騒とは対照的に。
二人の間だけは、張り詰めた静寂に包まれていた。
クリスティアンはしばらく考え込んでいた。
やがて静かに口を開く。
「俺は……五十五番隊しか知りません。」
真っ直ぐマウロを見る。
「それでも、ケイスケさんやアウローラが金だけの為に戦ってるとは俺には思えません。」
マウロは反論しなかった。
ただ、小さく息を吐く。
「良くしてもらったんだな……。」
優しい口調だった。
「気持ちはわかる。」
そして真剣な表情になる。
「だが、ネラッズーロには入れ込みすぎるな。」
一呼吸置く。
「裏切られた時に戦えなくなるぞ。」
その言葉に。
クリスティアンは何も返せなかった。
黙ってテーブルを見つめる。
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ちょうどその時だった。
「お待たせしました。」
店員が木製の大皿を運んでくる。
香ばしいニンニクと上質なオリーブオイルの香りがふわりと広がった。
焼きたての田舎パンの表面はこんがりと黄金色に焼かれ、ひと口かじれば「カリッ」と軽快な音が鳴りそうだ。
その上には、朝摘みの完熟トマトを瑞々しい角切りにし、鮮やかな緑のバジルを散らした色鮮やかなブルスケッタ。
オリーブオイルが艶やかに輝き、粗挽きの塩が甘い果汁を引き立てている。
素朴ながらも食欲をそそる一皿だった。
マウロは笑みを浮かべる。
「さぁ食べよう。」
ブルスケッタを手に取りながら言う。
「互いにデートに遅れない様にな。」
クリスティアンは思わず聞き返した。
「互いに?」
マウロは吹き出した。
「おいおい。」
肩を竦める。
「これでも隊長だぞ。」
少し得意げに笑う。
「僕にもフィアンセの三人や四人はいるさ。」
さらりと言い放つ。
「今日は僕も彼女達の1人と過ごすよ。」
クリスティアンは思わず苦笑しながらブルスケッタを頬張る。
焼き立ての香ばしいパン。
噛んだ瞬間に弾ける完熟トマトの甘みと酸味。
爽やかなバジルの香りが鼻へ抜け、ニンニクとオリーブオイルの旨味が口いっぱいに広がる。
「うまい……。」
思わず呟いてから笑った。
「隊長は立派なサンシーロ人ですね。」
マウロもブルスケッタをかじりながら笑う。
「子をたくさん残すのも上に立つ者の仕事さ。」
肩を竦める。
「とはいえ、女性を複数囲うのはその分大変だがね。」
クリスティアンも笑った。
「父様も母様しか婦人がいなかったので。」
少し照れ臭そうに言う。
「俺には想像も付かない世界です。」
マウロはどこか懐かしそうな顔をした。
「パオロ師匠は惜しいことをした。」
静かに呟く。
「サンシーロでは頑なに妻を娶らなかったから。」
寂しそうに笑う。
「君しか後継者がいない。」
そこへ再び料理が運ばれてきた。
まずは湯気を立てるニョッキ・アッラ・ゴルゴンゾーラ。
じゃがいもを練って作られた小さな団子状のニョッキが、濃厚なゴルゴンゾーラチーズのソースをたっぷりとまとっている。
青カビ特有の芳醇な香りと、生クリームのまろやかさが溶け合い、とろりとした白いソースがニョッキへ絡みつく。
添えられた黒胡椒が香りを引き締め、ひと口ごとに深いコクが広がりそうだった。
そしてその隣には、黄金色に焼き上げられたポレンタ。
粗挽きとうもろこし粉をじっくり炊き上げたサンシーロ定番の付け合わせで、表面は香ばしく、中はもっちりとしている。
さらに主役が姿を現した。
オッソブーコ。
厚切りにした仔牛の骨付きすね肉を、白ワインや香味野菜、ブイヨンと共に何時間も煮込んだサンシーロ首都を代表する郷土料理。
肉はナイフを入れるだけでほろりと崩れ、骨の中心には黄金色の骨髄がとろけるように詰まっている。
煮込みの旨味を吸ったソースが肉へたっぷりと絡み、爽やかなレモンの皮とパセリの香りが重厚な味わいを優しく引き締めていた。
クリスティアンの目が輝く。
「オッソブーコ!」
思わず声を上げる。
「特別な日には母様が作ってくれた。」
マウロは微笑んだ。
「元々はここ、サンシーロ首都の郷土料理だよ。」
ナイフを入れながら続ける。
「恐らくアンジェリカさんが、パオロ師匠と同棲していた間に覚えたのだろうな。」
少し笑う。
「師匠が好んでよく食べていたから注文したんだ。」
クリスティアンは少し驚きながら頷いた。
「そうだったのか……。」
ナイフで柔らかな肉を切り分ける。
「最近魚ばかり食べてたから、久々に肉を食います。」
そう言って嬉しそうに口へ運んだ。
少し料理を味わい、マウロが静かにフォークを置いた。
「アウローラ、と言ったな。」
神妙な表情になる。
「あの猫娘……。」
窓の外へ視線を向ける。
「生きて戻るといいな、とは楽観的な言葉は僕からは言えない。」
短く息を吐く。
「だが。」
クリスティアンを見る。
「無事を僕からも祈らせてもらうよ。」
クリスティアンも静かに頷いた。
「はい……。」
少しだけ寂しそうに笑う。
「祈るしか出来ませんから。」




