episode3(vacation)Chapter12
サンシーロの街は、昼間とは違う静けさに包まれていた。
石畳には酒場から漏れる灯りが長く伸び、どこからか楽師の奏でるリュートの音色が風に乗って流れてくる。
四人は笑いながら夜道を歩いていた。
ケイスケが両手を頭の後ろで組み、大きく欠伸をする。
「夜風がさみぃなぁ」
エンツォが思わず吹き出した。
「何言ってんだオッサン。夏だぜ?」
「年取るとな、若ぇ頃とは違うんだよ」
ケイスケは肩を竦める。
「酒飲んだ後の風ってのは妙に身に染みるんだ」
ベルナルドは笑いながら歩く。
「今日は本当にご馳走様でした! 楽しかったです!」
その笑顔とは裏腹に。
(ケイスケ……油断ならんな)
表情一つ変えず心の中だけで呟く。
(酒を飲んで騒いでいるように見えて……常にクリスティアンから離れなかった。)
(護衛なのか……それとも癖か。)
(どちらにせよ、あの男が近くにいる限り手は出せない。)
ケイスケはそんな視線など気付く様子もなく笑った。
「さてと。」
軽く背伸びをする。
「そろそろ解散だ。あんまり飲み歩くとマウロのガキがうるせぇからな」
エンツォが苦笑する。
「確かにな。あの隊長なら『休暇も訓練の一部だ』とか説教してきそうだ。」
「だろ?」
ケイスケは豪快に笑った。
「んじゃネラッズーロと訓練生はこっちだ。またな。」
「またな!」
クリスティアンが手を振る。
「おう!」
エンツォも反対方向へ歩いていった。
ベルナルドも笑顔で一礼する。
「皆さん、おやすみなさい!」
そうして二人の背中が夜の街へ消えていく。
--
クリスティアンとケイスケが宿へ向かって歩いていると
突然。ケイスケの手がクリスティアンの上着のポケットへ伸びた。
「えっ!? ちょ、ちょっと何するんですか!?」
クリスティアンは慌てて飛び退く。
だがケイスケは何食わぬ顔で一枚の小さな紙切れを取り出した。
「……やはりな。」
静かに呟く。
そこには綺麗な文字で時間と住所が書かれていた。
ケイスケは紙を眺め、小さく笑う。
「食えない女だ……。」
口元が緩む。
「だが、そこもまたいい。」
クリスティアンは目を丸くした。
「い、いつの間にそんなメモが……」
「ラウンジでだ。」
ケイスケは紙をひらひら振る。
「お前が耳まで真っ赤になってる間にな。」
そしてその紙をクリスティアンの胸へ押し返した。
「ほら。」
「え?」
「にゃんこに気を使う必要はねぇ。」
ニヤリと笑う。
「行ってこい。」
クリスティアンはメモを見つめたまま固まる。
「で……でも。」
ケイスケはクリスティアンの肩を力強く叩いた。
「大人になってきやがれ。」
豪快に笑う。
「ガハハハハ! じゃあな!」
そのまま片手を上げ、夜道の向こうへ歩き去っていった。
「ケ、ケイスケさん!」
呼び止めても返事はない。
クリスティアンは一人取り残された。
静かな夜道。
街灯の下で、ゆっくりとメモを開く。
そこには
『明日の夜 二十時』
『○○通り ロマニスタ裏通り 三番地』
短く、それだけが記されていた。
クリスティアンはしばらくその紙を見つめる。
そして夜空を見上げ、小さく呟く。
「……行っていいのかな?」
--
夜も更けた頃。
ようやく寮へ戻ったクリスティアンは、自室の扉を閉めるとその場で大きく伸びをした。
「今日は色々あったな……」
朝は市場。
海。
動植物園。
カルチョ観戦。
居酒屋。
そして人生で初めてのラウンジ。
一日とは思えないほど濃密な時間だった。
「休暇って……こんなに疲れるのかよ。」
苦笑しながらベッドへ倒れ込む。
靴を脱ぐのも半分ほどしかできず、そのまま枕へ顔を埋めた。
「あぁ……もう無理だ……。」
瞼が重い。
数秒後には規則正しい寝息が部屋へ響いていた。
まるで戦場から帰ってきた兵士のように、死んだような眠りだった。
--
どれほど眠っただろうか。
ドンドンドンドン!!
突然、激しいノックが部屋中に響く。
「おーい!! クソガキ!!」
さらに扉が叩かれる。
「起きろーー!!」
「んん……。」
クリスティアンは布団の中でもぞもぞと動く。
まだ夢と現実の境目だった。
「全く……朝早すぎるだろ……。」
半分眠ったまま呟き、重い身体を引きずるように起き上がる。
髪は寝癖で跳ね放題。
目は半分しか開いていない。
欠伸をしながら扉を開けると
そこにはアウローラが立っていた。
クリスティアンの寝ぼけた顔を見るなり、
「ぶっ――!」
吹き出す。
「ギャハハハハ!」
腹を抱えて笑い始めた。
「なんて面しやがる!」
涙を浮かべるほど笑う。
「その様子じゃロマニスタで相手にもされなかったな!」
クリスティアンは眠そうな目のまま鼻を鳴らした。
「へっ。」
少しだけ胸を張る。
「セリーナさんに可愛がって貰ったぜ。」
勝ち誇ったような表情だった。
アウローラは一瞬きょとんとした。
そして。
「ギャハハハハハ!!」
さらに大爆笑。
「お、お前……!」
笑いすぎて壁にもたれ掛かる。
「それは揶揄われてるだけだ!」
腹を押さえながら指を差す。
「あの人がガキなんか相手にするわけねぇ!」
クリスティアンは一気に自信を失った。
「……やっぱりそうかな。」
肩を落とす。
アウローラは笑いを落ち着かせながらクリスティアンの肩をぽんと叩いた。
「そうだよ。」
ニヤリと笑う。
「だから今日もアタシに付き合え。」
クリスティアンは眠気に勝てなかった。
「わりぃ……。」
欠伸を一つ。
「ねみい……。」
そのまま踵を返し、ふらふらとベッドへ戻る。
そして何事もなかったかのように布団へ潜り込んだ。
「おやすみ……。」
数秒で再び寝息が聞こえ始める。
アウローラのこめかみに青筋が浮かんだ。
「コラ!!」
勢いよく部屋へ踏み込む。
「起きろ!!」
そのまま自分まで布団の中へ潜り込んでクリスティアンの身体を揺さぶった。
「今日はまだまだ遊ぶぞクソガキ!!」
「んんん……。」
クリスティアンは布団にしがみついたまま抵抗する。
「あと五分……。」
「五分じゃねぇ!」
「十分……。」
「増えてんじゃねぇか!!」
朝の静かな寮に、二人の騒がしい声が響き渡った。
朝焼け前の薄暗い部屋。
窓の外はまだ夜の名残を残し、静かな風だけがカーテンを揺らしていた。
アウローラは布団へ潜り込んだまま、小さく俯いていた。
「頼むよ……」
普段の威勢のいい声とは違う。
今にも消えてしまいそうな弱々しい声だった。
「朝だけでいいから……付き合ってくれ」
その一言で。
クリスティアンは違和感を覚えた。
「……ん?」
眠そうに布団から顔だけを出す。
いつものように「遊びに行こうぜ!」と騒ぐアウローラではない。
冗談を言う気配も。
悪戯っぽく笑う様子もない。
ただ、肩だけが小さく震えていた。
クリスティアンはゆっくりと身体を起こす。
「どうした?」
問いかける声も自然と静かになる。
アウローラは少しだけ唇を噛み締めた。
そして。震える声で呟く。
「昼には……出発なんだ」
一度言葉を切る。
視線を床へ落としたまま続けた。
「戦場に」
その一言だけで十分だった。
部屋の空気が変わる。
クリスティアンの眠気は一瞬で吹き飛んだ。
アウローラは両手をぎゅっと握り締める。
「アタシさ……」
声が震える。
「いつになっても出撃は慣れねぇ」
笑おうとする。だが笑えない。
「怖いんだよ」
ぽつりと漏れた本音。
昨日まで市場ではしゃぎ。
海で昼寝をし。
動物園で騒ぎ。
ピッツァを頬張り。
居酒屋で笑い。
いつものアウローラだった。
だが、それは戦場へ向かう前だからこそ無理に明るく振る舞っていたのかもしれない。
彼女はまだ若い。
それでも何度も戦場へ赴き、生きて帰ってきた傭兵だった。
だからこそ知っている。
出撃した者全員が帰って来られるわけではないことを。
静かな部屋に沈黙が流れる。
クリスティアンは何も言わなかった。
ただ真っ直ぐアウローラを見つめる。
そして布団から立ち上がると、大きく伸びをした。
「すぐ支度する」
短く言う。
「少しだけ待ってくれ」
その返事を聞いた瞬間。
アウローラは張り詰めていた肩の力を少しだけ抜いた。
「……おう」
安心したように小さく笑う。
ほんの少しだけ。
いつものアウローラの笑顔が戻っていた。




