episode3(vacation)Chapter1
翌朝。
まだ陽も昇り切らぬ薄明の中、クリスティアンは静かに目を開いた。
身体は自然と起き上がり、窓の外へ目を向ける。
規則正しい生活を三か月も続けたせいか、休暇だというのに身体が勝手に目覚めてしまう。
「……つい癖で早く起きてしまうな」
苦笑いを浮かべながら頭を掻く。
訓練の日なら、とっくに走り込みを始めている時間だった。
だが今日は違う。
フランコから与えられた大切な一週間の休暇。
休むこともまた課題の一つだ。
「眠るのも訓練だ……」
そう自分に言い聞かせ、再び布団へ潜り込む。
目を閉じた、その瞬間…
ドンドンドンドンドン!!
扉が壊れそうな勢いで激しく叩かれた。
「おーい!! クソガキーー!!」
甲高くよく通る聞き慣れた声が廊下に響き渡る。
クリスティアンは額に手を当て、大きくため息をついた。
「……嫌な予感しかしねぇ」
諦めたように立ち上がり、扉を開く。
「なんだいきなり…」
勢いよく飛び込んできたのは、黄金色の髪を揺らした猫型獣人の少女だった。
アウローラは満面の笑みを浮かべ、尻尾をぶんぶん振っている。
「にゃっひっひ〜! クソガキ! 今日はメアッツァ市場に行こうぜ!」
「……まーたサボりか?」
呆れたように肩を竦めるクリスティアン。
「サボりじゃねぇ! 休暇を満喫してんだよ!」
「同じだろ、それ。」
「細けぇこと気にすんな!」
アウローラは豪快に笑った。
クリスティアンも苦笑しながら腕を組む。
「まぁ……いいぜ。」
「おっ?」
「海って行った事ないからな。」
その一言にアウローラの猫耳がぴんっと立った。
「マジかよ!!」
目を輝かせながらクリスティアンの両肩を掴む。
「んじゃ決まりだ!! 早く着替えろって!!」
「はいはい。」
クリスティアンは寝巻きに手を掛け、そのまま脱ぎ始める…すると
「うにゃああああっ!!」
アウローラが耳まで真っ赤に染め、勢いよく飛び掛かった。
バシィッ!!
鋭い爪がクリスティアンの肩を引っ掻く。
「痛ぇ!! 何すんだ!!」
「レディの前で下着になる奴がいるかよ!!」
顔を真っ赤にしたまま怒鳴るアウローラ。
尻尾は完全に逆立っていた。
「いや、着替えろって言ったのお前だろ!」
「だからって目の前で脱ぐなぁぁ!!」
「面倒くせぇ猫だな……」
クリスティアンは肩をさすりながら呆れたように呟く。
「ったく……わかったよ。」
そう言うと隣の更衣室へ姿を消した。
扉が閉まる。
部屋に一人残されたアウローラは、その場へへたり込んだ。
「……す、凄かった。」
耳を押さえながら小さく呟く。
「……なんだあれ。」
思い出しただけで顔が熱くなる。
鍛え抜かれた肩。
無駄のない胸板。
布漉しでも主張が見えた下半身
三か月の地獄の訓練で作り上げられた騎士の身体。
「ば……バカ。」
誰にも聞こえないよう小さく呟き、両頬を押さえて深呼吸する。
「落ち着けアタシ……。」
しばらくして、更衣室の扉が開いた。
訓練着へ着替えたクリスティアンが笑顔で現れる。
「待たせたな。」
腰には愛剣レジスタ。
休暇とはいえ、騎士の装いだった。
「行こうぜ。」
アウローラは慌てて表情を取り繕うと、大きく笑って親指を立てる。
「おう!」
二人は肩を並べ、朝日に照らされるサンシーロの街を歩き始める。
潮風が街路を吹き抜ける。
向かう先は、西大陸最大の港町
メアッツァ港。
活気あふれる市場で、クリスティアンの休暇二日目が幕を開けようとしていた。
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石畳の大通りを抜けると、潮の香りが一気に濃くなった。
目の前には無数の帆船が停泊する巨大な港。そして港に隣接する市場からは、朝だというのに凄まじい活気が溢れていた。
「さぁ寄ってらっしゃい! 今朝獲れだよ!」
「新鮮なマグロだ! 安いよ安いよ!」
「海老だ! 貝だ! 今日一番の品だぞ!」
「そこの兄ちゃん! 見ていけ!」
魚屋、青果店、香辛料店、干物屋、露店
威勢の良い掛け声が四方八方から飛び交い、人々の笑い声や値切り交渉の声が絶えない。
漁師が大きな籠を担ぎ、料理人が目利きをし、旅人や商人が国籍を問わず行き交う。
市場全体が一つの生き物のように躍動していた。
クリスティアンは思わず足を止め、目を丸くする。
「すげぇなぁ……これが市場か。」
故郷デッレ・アルピ村にも朝市はあった。
だが、それは村人同士が細々と開く小さな市に過ぎない。
目の前に広がるのは、西大陸最大の都市・サンシーロだからこそ存在する圧巻の市場だった。
アウローラは得意満面に胸を張る。
「だろ〜? サンシーロ最大の市場だからな!」
尻尾を上機嫌に揺らしながら続ける。
「色んな国の市場に行ったけど、サンシーロ市場が一番凄ぇぜ。」
クリスティアンは感心したように頷いた。
「そうか。傭兵だから色んな国に行ったんだよな。」
少し興味深そうにアウローラを見る。
「どんな所にいたんだ?」
アウローラは指を折りながら懐かしそうに答える。
「サンパオロで生まれて、傭兵になったのは十四の頃だからな。そこからは戦場ばっかりだ。」
「アリアンツ、マラカナン、ボンボネーラ、トラッフォード……。」
「色んな国を転々として戦ってきたぜ。」
そう言って空を見上げる。
「でもな。」
「どこの国へ行っても、アタシは必ず港と市場だけは行くんだ。」
「なんでだ?」
クリスティアンが素直に尋ねる。
アウローラは満面の笑みで答えた。
「私は新鮮な魚に目がねえんだ!」
並べられた魚を見つめながら猫耳がぴくぴく動く。
「あぁ〜……美味そうだ〜。」
今にも涎を垂らしそうな勢いだった。
クリスティアンは思わず吹き出す。
「なるほど。猫だもんな。」
「うるせえ!」
アウローラが即座にクリスティアンの腕を軽く引っ掻く。
「猫だからじゃねぇ! 美味い魚が好きなんだよ!」
「はいはい。」
二人が笑いながら市場を歩いていると、一軒の魚屋から豪快な声が飛んできた。
「おぅ! 猫娘!」
日に焼けた大柄な店主がニヤリと笑う。
「男連れたぁ、どんな風の吹き回しだ?」
アウローラは腰に手を当て、不敵に笑った。
「へっへっへ〜。村育ちの田舎モンに魚を食わせてやろうと思ってな。」
店主は腹を抱えて笑う。
「なんでぃ!」
「サンパオロも十分田舎の港町だろうが!」
「うるせえ!」
アウローラは顔を赤くしながら店主を指差した。
「いいからさっさとなんか食わせろ!」
「朝から腹減ってんだよ!」
「ガハハハ!」
店主は豪快に笑いながら店の奥へ引っ込んでいく。
その様子を見ていたクリスティアンは、氷の上に美しく並べられた魚介へ視線を向けた。
銀色に輝く魚体。
殻の艶やかな海老。
口を開閉する貝。
どれも村では滅多にお目にかかれないほど新鮮だった。
思わず目を輝かせる。
「魚って久々だな。」
「村では中々手に入らないから。」
その言葉を聞いたアウローラは嬉しそうに笑った。
「にゃっひっひ!」
「今日は腹いっぱい海の幸を教えてやるよ、クソガキ!」




