episode2(SanSiro)Chapter20
朝靄がまだ訓練場を包む頃。
クリスティアンは一人、中庭でレジスタを振っていた。
ヒュッ。
ヒュッ。
三か月前とは比べ物にならないほど滑らかな剣筋。
踏み込みも、体重移動も、呼吸も一つに噛み合っている。
しかし、その表情はどこか冴えなかった。
「……いざ自由に過ごせと言われたら難しいな……。」
剣を止め、空を見上げる。
フランコから与えられた課題。
『一週間好きに過ごせ。ただし無駄に過ごすな。』
何をすれば強くなれるのか。
何を見れば、何を学べばいいのか。
考えれば考えるほど答えは出ない。
「友達を作れって言われてもな……。」
苦笑しながら再びレジスタを構える。
ヒュッ。
ヒュッ。
ヒュッ。
何百回と素振りを繰り返す。
その最中にふと、剣を止めた。
「……そうだ!!」
クリスティアンは目を輝かせた。
「考えてるくらいなら、本物を見に行けばいいんだ!」
レジスタを背負うと、そのまま全力で駆け出した。
目指す先は――サンシーロ騎士団最強を誇る部隊の一つ。
ビアンコ・ネーロ第二番隊合同訓練場。
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広大な訓練場では、白銀の鎧を纏った精鋭騎士たちが静かに準備を進めていた。
そこに息を切らしたクリスティアンが飛び込む。
入口に立つ衛兵へ敬礼する。
「失礼します!第二番隊隊長マーク・フェラーラ隊長にお取り次ぎをお願いします!」
数分後。
堂々たる体躯の男が姿を現した。
白銀の外套。
無駄のない立ち姿。
その眼光だけで歴戦の猛者だとわかる。
クリスティアンは姿勢を正した。
「ビアンコ・ネーロ第二番隊隊長、マーク・フェラーラ隊長でしょうか!」
マークは穏やかな表情で頷いた。
「そうだが……。」
そして首を傾げる。
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「なにィ!?見学をしたい?」
思わず聞き返してしまう。
クリスティアンは力強く頷いた。
「はい!」
マークは顎に手を当て、少年をまじまじと見つめる。
「しかし君……見たところ訓練生のようだが、訓練はどうした?」
クリスティアンは胸を張って答えた。
「一週間休暇を頂きました!」
「目標であるビアンコ・ネーロの訓練を見学できる最大のチャンスなんです!」
「お願いします!!」
そう言って深々と頭を下げる。
マークは目を丸くした。
「訓練生が一週間も休暇……?」
「なんだ、怪我でもしたのか?」
クリスティアンは首を横に振る。
「いえ!」
マークは苦笑しながら続ける。
「我々はサンシーロの合同訓練では、大したことはしないぞ。」
「訓練生ならロッソ・ネーロの訓練を見学した方が、よほど勉強になると思うが……本当にいいのか?」
クリスティアンは迷いなく答えた。
「構いません!」
その瞳は真っ直ぐだった。
「私はビアンコ・ネーロの騎士団の皆様を、この目で見て、肌で感じたいんです!」
「強さだけじゃなく、立ち居振る舞いも、考え方も、全部学びたいんです!」
その熱意に、マークはしばらく黙っていた。
やがて小さく笑う。
「……そこまで言うのなら。わかった。」
「ただし、くれぐれも邪魔だけはしないようにな。」
そう言って後ろを振り返る。
「おい、ブラージ。」
一人の屈強な騎士が前へ出た。
「彼を訓練の邪魔にならず、見学できそうな場所へ案内してやってくれ。」
「承知しました、隊長。」
ブラージはクリスティアンへ穏やかに微笑む。
「こちらへどうぞ、訓練生。」
「ありがとうございます!」
クリスティアンは深々と頭を下げ、ブラージの後に続いた。
誰も知らない。
この一週間の過ごし方が、少年の剣士としての価値観を大きく変えることになることを。
こうしてクリスティアン・ビリンデッリの、一週間の特別な休暇が静かに幕を開けた。
クリスティアンはブラージに案内され、訓練全体が見渡せる場所へ立つ。
「ここなら邪魔になりません。ごゆっくり。」
「ありがとうございます。」
軽く頭を下げると、クリスティアンは食い入るように訓練場を見つめた。
しかし…
予想していた光景とはまるで違っていた。
怒号はない。
教官の怒鳴り声もない。
殺気だった空気もない。
白銀の鎧を身に纏った騎士達は、まるで休日の広場に集まった友人同士のように笑い合っていた。
「おい、昨日帰国早々酒場でまた飲み過ぎただろ。」
「仕方ねぇだろ。あそこの店主が注ぎまくるんだからよ。」
「あははは!結局潰れたのはお前だけだったじゃねぇか!」
笑い声があちこちから響く。
その中心へ、第二番隊隊長マーク・フェラーラが歩み出た。
「よーし、野郎ども。」
全員が自然と隊長へ目を向ける。
マークは肩の力を抜いたまま笑った。
「今日は二時間ほど軽く身体を動かせ。」
「終わったら完全休養だ。」
「家族に会うもよし。」
「酒を飲みに行くもよし。」
「恋人と過ごすもよし。」
「各々好きに過ごせ!」
その一言で、
「おぉーーーっ!!」
「ヒャッホー!!」
「隊長最高!!」
「今日も飲むぞー!」
訓練場が一気に明るい歓声に包まれた。
クリスティアンは目を丸くする。
「……まるで別世界だ。」
思わず呟いてしまう。
ロッソ・ネーロ育成部では考えられない光景だった。
その時。
近くで木剣を交えていた一人の隊員が笑いながら話しかけてきた。
「おい坊主。」
ガンッ。
軽く木剣を合わせながら笑う。
「訓練なんか見たってつまんねぇだろ〜。」
「休暇ならさっさとフィアンセとデートでもしてきた方がいいぜ。」
その横で鍔迫り合いをしていた相手も吹き出した。
「ちげぇねぇ!あははは!」
二人は笑いながらも、木剣は寸分の狂いもなく動いている。
クリスティアンはただ呆然と見つめた。
(全員が敵の訓練生に……。)
(マウロ隊長が隅々まで弛んでいないか目を光らせるロッソ・ネーロとは……。全然違う……。)
あまりにも空気が違う。
誰も肩肘を張っていない。
誰も怒鳴られない。
それなのに
そしてクリスティアンは違和感を覚えた。
「……ん?」
目を凝らす。
一人。また一人。
よく観察していく。
「……違う。」
隊員達は雑談している。
笑っている。
余所見までしている。
それなのに。
全員の足運びが揃っている。
重心が一切ぶれない。
剣先は常に相手の急所を捉え、
呼吸も乱れず、
互いの間合いも完璧だった。
「……いや。」
クリスティアンの背筋を冷たいものが走る。
「これ……実は相当レベルが高いぞ……。」
自然と身体が震えた。
その時だった。
一人の隊員が突きを放ちながら笑う。
「久々のサンシーロだ。」
「今日はラツィアーレ(サンシーロを代表する高級リストランテ)でも行くか?」
鋭い突き。
相手はそれを紙一重で受け流しながら笑い返す。
「バーカ!」
「そんな高ぇ店に行くなら、お前じゃなくて女と行くよ!」
カンッ!
軽く剣を弾く。
そのやり取りを聞いていた別の隊員が吹き出した。
「おーい、お前最近イラリーに入れ込みすぎだろ!」
「今までいくら貢いだんだ?」
「言ってみろよ!」
その瞬間、
「ぶっ!!」
「やめろって!」
「隊長まで笑わないでくださいよ!」
「ははははは!」
訓練場中が大爆笑に包まれた。
マークも腹を抱えて笑っている。
それでも
誰一人として剣筋は乱れない。
足運びも止まらない。
攻防は途切れない。
まるで雑談そのものが訓練の一部であるかのようだった。
クリスティアンは息を呑む。
「あんなに雑談して……。」
「こんなに緩くやっているのに……。」
「一切の無駄がない……。」
三か月間、鬼教官たちの地獄の訓練を潜り抜けてきた彼だからこそ分かった。
本当に強い者たちは、力んで強さを見せつける必要がない。
その余裕こそが、ビアンコ・ネーロというサンシーロ騎士団最高峰の実力を物語っていた。




