↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ビリンデッリの血〜東西大陸百年戦記〜  作者: エリカサファイア
episode0(Prologue)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/124

episode0(Prologue)Chapter4

クリスティアンは寝台へ近づいた。

そして両手でパオロの右手を握る。

「改めて…父様。」

嬉しそうに笑った。

「お帰りなさいませ!」


パオロも自然と笑みを浮かべる。

「ただいま。」

そう言って息子の手を握り返した。

挿絵(By みてみん)

だが次の瞬間。

パオロの表情が少し変わる。


「おや?」


クリスティアンの手を見つめた。

十歳の子供の手とは思えない。

木刀を握り続けたことでできた硬い皮。

剣を振り続けた者特有の感触。


パオロは感心したように頷いた。

「かなり腕を磨いたようだな。」

力強く息子の腕を叩く。

「前よりずっと逞しくなった。」


クリスティアンは胸を張った。

「剣の腕だけは、もうそこら辺の大人には負けませんよ。」


その言葉にパオロは目を丸くする。

そして豪快に笑った。

「ははは!十歳でその域に達したなら天才少年じゃないか!」


クリスティアンは少し照れながらも誇らしげだった。


パオロはふと真面目な顔になる。

「クリスティアン。」


「はい。」


「お前はこのまま剣士を目指すのか?」


部屋が少し静かになる。

アンジェリカも息子を見る。


クリスティアンは迷わなかった。

真っ直ぐ父を見据える。

「はい!」

力強く答えた。

「勿論です!」

さらに一歩前へ出る。

「父様の異名――『白銀の騎士』は私が継ぎます!」

その瞳には一点の曇りもなかった。


パオロはしばらく何も言わなかった。

やがて小さく笑う。

「そうか……。」

視線を天井へ向ける。

「もうそんなことを考える歳か。」

どこか感慨深そうだった。

「子供の成長は早いな。」

そしてアンジェリカへ目を向ける。

「なぁ、アンジェリカ。」


アンジェリカは苦笑した。

「そうですよ。」

腕を組む。

「ですからあなたも、もう少し家に顔を出してください。」


パオロは視線を逸らした。

「努力はしているんだがな……。」


そのやり取りを見ていたスキラッチが穏やかに笑う。

「さて。」

杖を手に立ち上がった。

「パオロ様も目覚められましたし。」

ディメトリオを見る。

「一家水入らずの時間を邪魔するわけにもいきませんな。ディメトリオ。」


「はい?」

「我々は帰りましょう。」


ディメトリオは少し気まずそうに頭を掻いた。

「あー……先生。」


「なんですかな?」


「今から補講でしょうか?」

スキラッチは微笑む。

嫌な予感しかしない。

ディメトリオは続けた。

「実はガールフレンドとデートの約束がございまして……。」


スキラッチの眉が僅かに動いた。

「ほぉ。」

部屋の空気が変わる。

「ガールフレンドと……。」

一拍置く。

「デート……ですか。」


ディメトリオが恐る恐る頷く。


スキラッチは顎に手を当てた。

「それは困りましたなぁ。」

深刻そうな顔になる。

「若者の青春を邪魔するのは、この老耄としても本意ではありません。」


ディメトリオの顔がぱっと明るくなる。

「さすが先生!」

勢いよくスキラッチの手を握った。

「お話の分かる先生で幸せです!」


「そうでしょうとも。」

スキラッチはにこやかに頷く。

「存分に楽しんできなさい。」


ディメトリオの顔がさらに輝く。

しかし次の言葉で凍りついた。

「明日の補講を五倍の量にして、みっちり勉強していただきますので。何も心配はいりませんよ。」


ディメトリオの顔色がみるみる青くなる。

「……。い、今すぐ補講を受けます!!」

高らかに宣言した。


部屋中が爆笑に包まれる。

挿絵(By みてみん)

スキラッチは満足そうに頷いた。

「勉強熱心な生徒で助かりますな。」

杖を鳴らす。

「では参りましょう。」

ディメトリオの肩を掴む。

「皆様、お邪魔いたしました。」

「失礼します……。」

魂が抜けたようなディメトリオを引きずるようにして、スキラッチは神官学校へ向かっていった。


やがて二人の姿が見えなくなる。


クリスティアンは吹き出した。

「ははは!」

腹を抱える。

「ディメトリオの奴、今日は缶詰だな!」


すると次の瞬間。


ぐにぃ。


「いだだだだだっ!?」


アンジェリカに頬を抓られていた。


「クリスティアン。」

笑顔だった。

だが目が笑っていない。

「あなた、この前の数学の試験……赤点だったでしょう?」


クリスティアンの背筋が凍る。

「えっと……。」


「あなたも私と勉強です。」

有無を言わせぬ口調だった。

挿絵(By みてみん)

「うっ……。」

助けを求めるように父を見る。

だがパオロは視線を逸らした。

「それはいかんな。」

咳払いをする。

「しっかり勉強するんだぞ。」

完全に他人事だった。


ところが。

アンジェリカは見逃さない。


「あなた。」


穏やかな声。

だが非常に危険な声だった。


パオロの肩が震える。

「な、なんだい?」


アンジェリカはにっこり笑った。

「先日の戦闘報告書、まだでしたわよね?」


「……。」


「今回こそはご自分で作成してくださいね。」


パオロが固まる。


アンジェリカは追撃する。

「報告書一つ書けない騎士団員と噂が立てば、ビリンデッリ家の恥ですわ。」


「いや、その……。」

「今回は私、一文字も書きませんから。」


クリスティアンは思い出していた。

父が帰宅するたび。

騎士団へ提出する報告書をアンジェリカが代筆していたことを。

本人は「剣なら千人斬れるが文章は千文字も書けん」と豪語していた。

結果として毎回、妻が夜遅くまで机に向かうことになる。


パオロは完全に追い詰められていた。

「とほほ……。」

英雄と呼ばれる男は肩を落とした。


その姿を見てアンジェリカとクリスティアンは笑う。


窓の外では夕陽が村を赤く染めていた。

戦場のない、穏やかな時間。

それはビリンデッリ家にとって、何よりも大切なひとときだった。



--



夕暮れが近づく頃。

ビリンデッリ家の食卓では奇妙な光景が広がっていた。


クリスティアンとパオロ。

親子揃ってテーブルに座り、羽根ペンと羊皮紙を前に唸っている。


「うーん……。」

「むむむ……。」


まるで難敵を前にした剣士のような顔だった。

だが相手は魔物でも敵兵でもない。

数学と報告書である。


アンジェリカはそんな二人を見ながら苦笑した。

「クリスティアン。」


「はい。」


「その式は先ほども説明したでしょう?」


「あっ。」

クリスティアンは頭を掻く。

「そうだった。」


一方。

パオロの羊皮紙は三時間経過してもほとんど白紙だった。

ようやく書かれている文章も、

『敵兵と交戦した。勝利した。以上。』

で終わっている。


アンジェリカは呆れた。


「あなた。」

「なんだい?」

「それでは報告書ではなく日記です。」

「そうなのか?」

「そうです。」


パオロは本気で驚いていた。

戦場で百戦錬磨の英雄も、机に向かえばただの問題児である。


その後も時間は流れる。

クリスティアンは少しずつ理解を深めていった。

最初は苦戦していた計算も、今では何とか自力で解けるようになっている。

「おっ!」

嬉しそうに顔を上げた。

「できた!」


アンジェリカは優しく頷く。

「よくできました。」


一方。

パオロは依然として羊皮紙と睨み合っていた。

「敵兵が来た。」

書く。

止まる。

「敵兵を倒した。」

書く。

止まる。

「うむ。」

腕を組む。

「これ以上何を書く必要があるんだ?」


アンジェリカは額を押さえた。

そんな二人へ助言を送りながらも、アンジェリカの手は休まない。

台所では夕食の準備が進んでいた。


じゅう、と肉の焼ける音。

煮込まれた野菜の甘い香り。

炒めたにんにくの芳ばしい匂い。


それらが家中へ広がっていく。


やがて。

パオロの鼻がぴくりと動いた。


クリスティアンも顔を上げる。

「母様……。」


「なんでしょう?」


「いい匂いです。」


「そうかしら?」

アンジェリカは楽しそうだった。


鍋の中で煮込まれているのはポルペッティ。

牛肉と豚肉を合わせた肉団子をじっくり煮込む西大陸の家庭料理である。

ビリンデッリ家ではアンジェリカ特製の濃厚なトマトソースを使用していた。

完熟トマトを数時間かけて煮込み、香草と野菜の旨味を溶け込ませた自慢の一品だ。

肉団子がそのソースをたっぷり吸い込み、見るだけで食欲を刺激する。


もう一品はカポナータ。

茄子、玉ねぎ、パプリカなどをじっくり炒め、甘酸っぱい味付けで仕上げる野菜料理だ。


戦場では決して味わえない家庭の味である。

香りはますます強くなる。


パオロのお腹が鳴った。

ぐぅぅぅ。

沈黙。


クリスティアンのお腹も鳴った。

ぐぅぅぅ。

さらに沈黙。


アンジェリカは笑いを堪えていた。


パオロがとうとう頭を抱える。

「ダメだ!」

そう叫び、勢いよく立ち上がった。

「腹が減った!」

そして堂々と宣言する。

「夕食にしよう、アンジェリカ!」


クリスティアンもすぐさま追従した。

「母様……。」

瞳を潤ませる。

「私もお腹が空きました。」

その姿はまるで捨てられた子犬だった。


アンジェリカは肩を竦める。

「まったく。」

優しく笑った。

「我が家の男共は仕方ありませんね。」

そしてエプロンを整える。

「では夕食にしましょう。」


その言葉を聞いた瞬間。父子の顔が輝いた。


数分後。

食卓には豪華な夕食が並んでいた。


大皿に盛られたパスタ。

シンプルなにんにくオイルと刻みパセリだけで仕上げられているが、その香りは食欲を容赦なく刺激する。

艶やかな黄金色の麺が湯気を立てていた。


隣にはポルペッティ。

真っ赤なトマトソースの海に浮かぶ大きな肉団子。

ナイフを入れれば肉汁が溢れ出しそうだ。


そして彩り豊かなカポナータ。

茄子や野菜が宝石のように輝いている。


最後にアンジェリカが台所から戻ってきた。

手には刻みたてのフレッシュバジル。

鮮やかな緑をポルペッティへ散らしていく。

ふわりと香りが広がる。

それで完成だった。


パオロとクリスティアンは顔を見合わせる。

そして同時に叫んだ。


「いただきまーす!!」

挿絵(By みてみん)

フォークが一斉に動く。

パスタを豪快に巻き取る。

口へ運ぶ。

にんにくの香り。

オリーブオイルの旨味。

パセリの爽やかさ。

全てが口いっぱいに広がった。


「うまい!」

パオロが叫ぶ。


「最高だ!」

クリスティアンも負けていない。


ポルペッティへ飛びつく。

肉団子を頬張る。

瞬間、濃厚な肉汁とトマトソースの旨味が溢れ出した。

「んんんっ!」

目を輝かせる。

「母様!これ凄いです!」

続けてカポナータ。

野菜の甘味と酸味が口の中を整える。

再びパスタ。そして肉団子。

止まらない。

まるで戦場の兵士のような勢いだった。


アンジェリカはそんな二人を見つめる。

そして微笑んだ。

「もう……。」


呆れ半分。

嬉しさ半分。


「ゆっくり食べなさい。」

しかし二人の耳には届いていない。


久しぶりに家族三人で囲む食卓。

戦争の影が遠のいた、何よりも幸せな時間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。