episode2(SanSiro)Chapter17
--三日後。
魔術訓練所では訓練生たちが初級魔法の詠唱を繰り返している。
「アイスバーン!」
「フレイムゾーン!」
「もっと魔力を込めろ!」
アンドレア・ドナドーニの怒号が飛ぶ。
その時だった。
ギィィ……
訓練所の重い扉がゆっくりと開く。
全員の視線が一斉に入口へ向く。
そこに立っていたのは――クリスティアンだった。
だが、その姿は三日前とは別人だった。
頬はやつれ、
髪は乱れ、
目の下には巨大な隈が刻まれている。
三日間ほとんど眠っていないことが、一目で分かった。
その異様な迫力に訓練生の一人が腰を抜かす。
「ひいぃぃっ……!」
尻もちをついたまま後ずさる。
別の訓練生も顔を青ざめさせる。
「あ……あいつ……。」
「あいつ確か……弓術の問題児……。」
声が震えていた。
クリスティアンは誰にも目もくれず、魔法標的の前へ歩く。
静かに右手をかざした。
「――アイスバーン。」
ゴォッ!!
氷の魔力が迸り、標的一面を凍らせる。
続けて、
「フレイムゾーン。」
轟音とともに炎が噴き上がる。
氷が一瞬で蒸発し、熱風が訓練所を吹き抜けた。
さらに…
「ライトニングバーン。」
バチィィィン!!
雷光が標的へ突き刺さる。
木製の標的は黒く焦げ、白煙を上げた。
訓練生たちは言葉を失う。
「う、嘘だろ……。」
「三日前まで魔法なんか使えなかった奴が……。」
クリスティアンは振り返ることなく歩き出す。
真っ直ぐアンドレアの机へ向かい、
ドンッ!!
両腕を机へ叩きつけた。
訓練所中が静まり返る。
クリスティアンは充血した目でアンドレアを真っ直ぐ見据える。
「アンドレア教官。」
低く、
だが揺るがない声だった。
「俺に――」
拳を強く握る。
「エミリアーノ・ラウールとジョルディ・バケーロを討てるように鍛えてください。」
訓練所の空気が凍り付く。
誰も呼吸をしようとしない。
アンドレアはしばらく無言でクリスティアンを見つめていた。
そして。口元がゆっくりと緩む。
「フッ……。」
嬉しそうな笑みだった。
「一端の面をするようになったな。」
アンドレアは椅子から立ち上がる。
「なら――」
クリスティアンの肩を軽く叩いた。
「まず三日分食って、一日寝ろ。それからだ。」
クリスティアンは一瞬だけ目を閉じる。
「……わかりました。」
力なく頷くと、
そのままふらつきながら訓練所を後にした。
向かう先は食堂。
今にも倒れそうな足取りだった。
その背中が見えなくなると、
一人の訓練生が堪えきれず声を上げる。
「教官!!」
アンドレアが振り返る。
「なんだ。」
「なんであいつばかり特別扱いするんですか!?」
訓練生は悔しそうに拳を握る。
「俺たちだって毎日必死にやってるのに!!」
その瞬間。
ガシッ!!
「ぐぇっ!」
アンドレアが胸ぐらを掴み、そのまま軽々と持ち上げた。
鋭い眼光が訓練生を射抜く。
「才能ねぇ奴がピーピー騒ぐんじゃねえ。」
低い声が響く。
「悔しかったら――」
魔法標的を親指で指し示す。
「あいつがさっき見せた魔法よりも上位魔法を、今この場で複数回放ってみろ。」
訓練生は青ざめる。
「そ……それは……。」
「出来ねぇんだろ。」
アンドレアは鼻で笑い、胸ぐらから手を離した。
「だったら口じゃなく実力で示せ。」
「ここは才能ある奴が生き残る場所だ。」
訓練所は静まり返った。
誰一人、反論できる者はいなかった。
--
食堂は昼時だというのに静まり返っていた。
長机に並ぶのは、騎士団らしい質素な食事ばかり。
深皿には、ただオリーブオイルを回しかけただけの青菜のサラダ。
湯気を立てる皿には、具材もなく、粉チーズすら振られていない真っ赤なアラビアータ。
そして、刃物でも苦労するほど硬く焼かれた黒パン。
豪華さなど微塵もない。
「食べる楽しみ」ではなく、「生きるための燃料」。
それがサンシーロ騎士団の食事だった。
クリスティアンは椅子に腰掛けるなり、一切味わうことなくパンを千切って口へ押し込み、アラビアータを勢いよく啜った。
噛む。
飲み込む。
また啜る。
喉に詰まりそうになると、水を流し込み、再び食べる。
味など感じていない。
いや、感じようともしていなかった。
(食う。)
(身体を動かす。)
(また鍛える。)
そのためだけの作業だった。
三日間ほとんど眠らず、本を読み続けた男の目の下には濃い隈が刻まれ、頬も少し痩せている。
それでも手だけは止まらない。
周囲の訓練生たちは、思わず箸を止めてその様子を見つめていた。
「……なんだよ、あいつ。」
「味なんか全然分かってねぇぞ……。」
「食事っていうより……餌だ。」
「怖ぇ……。」
誰も声を張れなかった。
鬼気迫る執念だけが、その席にはあった。
その時だった。
「……随分、肝を舐めたみたいだな。」
低く落ち着いた声が食堂に響く。
クリスティアンはパスタを一口飲み込み、水で流してから静かに立ち上がった。
振り返る。
そこには、遠征から戻ったマウロが立っていた。
クリスティアンは姿勢を正し、拳を胸に当てる。
サンシーロ式の敬礼。
「マウロ隊長。よくぞお戻りで。」
食堂がどよめいた。
「あいつ……敬礼を。」
「前まであんな反抗的だったのに……。」
マウロは無言で近づき、クリスティアンの肩を軽く叩いた。
「ほう……見違えたな。」
「やっと少しは騎士道を理解したか。」
クリスティアンは静かに頷く。
「倒さなきゃいけない奴らが出来ましたから。」
「一日も早くビアンコ・ネーロへ行かなければならないので。……失礼。」
それだけ言うと再び席に座り、何事もなかったかのように食事を続ける。
パンを噛み砕き。
味気ないアラビアータを流し込み。
ただ栄養だけを身体へ送り込む。
その背中を見ながら、マウロは腕を組んだ。
「ビアンコ・ネーロか……。お前には十年早い。」
「サンシーロを舐めるなよ。」
しかしクリスティアンは返事をしなかった。
言い返しもしない。
ただ木製のコップを掴み、冷たい水を一気に飲み干す。
ゴク、ゴク、ゴク、と音だけが食堂に響く。
空になったコップを机へ置くと、再び無言でパンへ手を伸ばした。
その瞳には、もう迷いはなかった
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茜色に染まるサンシーロ騎士団の石畳を、クリスティアンは重い足取りで歩いていた。
三日間ほとんど眠らず本を読み続け、朝から魔術を放ち続け、ようやく腹に食べ物を流し込んだばかりの身体は限界だった。
肩は鉛のように重い。
足は前へ出すだけで震える。
それでも立ち止まることなく、寮への坂道を黙々と歩く。
「……まだ足りねぇ。」
小さく呟く。
「もっと……強くならなきゃ。」
誰に聞かせるでもない独り言だった。
ようやく部屋へ辿り着くと、扉を閉める力すら残っていない。
木刀も荷物も床へ置き、そのままベッドへ倒れ込んだ。
靴も脱がない。
上着もそのまま。
枕に顔を埋めた瞬間、意識は闇へ沈んでいった。
まるで死んだように。
微動だにしないまま…
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そこはどこまでも続く灰色の平原だった。
吹き荒れる風。
焦げた土。
そして、遠くで燃え続ける炎。
クリスティアンはレジスタを握り締める。
向かいには、一人の男。
黒い鎧。
雷を纏う名刀――ジャブラニ。
エミリアーノ・ラウール。
「来い。」
低い一言。
その瞬間。
雷鳴が轟き、視界が白く染まる。
「速ッ――!!」
気付いた時には、剣が目前まで迫っていた。
必死に受け止める。
だが次の瞬間には腹を蹴り飛ばされ、何十メートルも吹き飛ばされる。
立ち上がる。
また斬りかかる。
届かない。
弾かれる。
転がる。
何度挑んでも、何一つ届かない。
「遅い。」
エミリアーノの一太刀。
視界が暗転した。
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再び目を開ける。
今度は燃え盛る森。
木々の間を駆ける影。
「そこだ。」
若い男の声。次の瞬間、四方八方から炎が噴き上がる。
ジョルディ・バケーロ。
まだ若い頃の彼だった。
「くっ!」
左右へ飛ぶ。
だが逃げ道には既に炎の壁。
頭上から火球。
足元から火柱。
「読まれてる……!」
必死に飛び込む。
その瞬間。
炎の中から木刀が喉元へ。
「甘い。」
鈍い衝撃。
また視界が暗くなる。
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夢は終わらない。
エミリアーノ。
ジョルディ。
エミリアーノ。
ジョルディ。
斬られる。
焼かれる。
倒される。
何度も。
何十回も。
何百回も。
敗北だけが繰り返される。
それでもクリスティアンは立ち上がる。
歯を食いしばり、レジスタを握り直す。
「まだだ……。」
「もう一回……!」
「もう一度だ……!」
夢の中ですら、その執念だけは折れなかった。
夜は静かに更けていく。
そしてベッドの上では、眠ったままのクリスティアンが苦しげに眉を寄せ、小さく呟いた。
「……父様。……待っててください。必ず……俺が……。」




