episode2(SanSiro)Chapter12
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った酒場。
客もまばらになり、暖炉の火だけが店内を橙色に照らしていた。
カウンターには、大ジョッキに注がれた酒。
しかし――。
ケイスケ・ナガトモは珍しく、その酒に一切口を付けず腕を組んで考え込んでいた。
その様子に、グラスを磨いていたマスターが眉をひそめる。
「なんだ?頼むだけ頼んで飲まねえのか?」
「酒が泣くぞ。」
ケイスケは我に返ったように顔を上げた。
「……ん?いや。」
「久々に、いい目を見てな。」
そう言ってニヤリと笑う。
マスターは呆れたように鼻を鳴らした。
「なんだそれ。」
ケイスケは椅子にもたれ、天井を見上げる。
「是非ネラッズーロに欲しい。」
「だが……。ありゃ俺の元に収まるタマじゃねえな。」
「今は迷ってるだけだ。まだまだ青臭ぇ。」
「だが、あの目はいい。折れてねぇ。」
「どれだけボロボロになっても、まだ前だけ見てやがる。」
豪快な男とは思えないほど静かな口調だった。
「……まだまだサンシーロも見限らなくて良さそうだ。」
そう呟き、ようやくジョッキへ手を伸ばす。
マスターは苦笑した。
「ん?あのパオロのガキか?」
「俺にはそうは見えんがな。」
ケイスケは酒を軽く揺らしながら笑う。
「ガハハ。」
「お前さんに人を見る目があったら酒場なんかやってねぇよ。」
「正直な。俺ぁカンプノウのコルチョネス(傭兵部隊)にでも渡ろうかと考えてた。」
「どうせ傭兵なんざ、金を積まれりゃどこへでも行く。それが俺たちだ。」
一拍置いて、豪快に笑う。
「だが。もう少しだけ、テメェの不味い酒に付き合ってやる。」
マスターは肩をすくめる。
「けっ。ぬかせ。」
二人は同時に笑った。
その横では。
酒場の長椅子を丸ごと占領するように、アウローラが猫耳をぴくぴく動かしながら熟睡している。
尻尾が時折ぱたぱたと揺れた。
「……んにゃ。」
「おい……クソガキぃ……。」
「私と……勝負しろぉ……。」
寝言だった。
ケイスケはその姿を見て腹を抱えて笑う。
「ガハハハハ!!」
「起きてる時より寝てる時の方が元気じゃねぇか!」
マスターも思わず吹き出した。
静かな夜の酒場に、二人の笑い声と、猫獣人の気の抜けた寝言だけが、いつまでも響いていた。
そして、カウンターを磨くマスターへ悪戯っぽく笑いかけた。
「おいマスター。正規軍と傭兵。しかも人間と獣人のカップル。」
「成立するか賭けねえか?」
マスターは「ぶっ」と吹き出しそうになりながら笑う。
「だはは!」
「普通ならあり得ねえが……。」
そう言って視線を長椅子へ向ける。
そこではアウローラが尻尾を抱え込むように丸くなり、気持ち良さそうに眠っていた。
猫耳だけが時折ぴくぴくと動く。
ケイスケもその姿を見て肩を震わせる。
「おいおい。それじゃ賭けにならねえだろ。」
豪快に笑う。
マスターも頷いた。
「よっぽどパオロのガキにいいとこ見せたかったんだろうな。」
「最初はあんなに突っかかってたくせに。」
ケイスケは腹を抱えて笑う。
「ガハハ!」
「やたら勝負したがるのも完全に惚れてやがる。」
その瞬間。
長椅子のアウローラが寝返りを打った。
「……んにゃ。」
「おい……クソガキぃ……。」
「逃げんのかぁ……。」
どこか幸せそうな寝顔だった。
二人は顔を見合わせる。
そして同時に吹き出した。
「ガハハハハ!」
「だははは!」
ケイスケは涙を拭いながら笑う。
「このにゃんこに付き纏われる男は大変だぞ。」
「本人は自覚ゼロだからなおさら始末が悪ぃ。」
マスターは苦笑しながらジョッキを片付ける。
「それ以前にだ。」
「傭兵といい仲になるなんて、マウロのガキが鬼みてぇな顔してつっかかるぜ。」
「あいつ、規律に関しちゃ融通が利かねえからな。」
ケイスケは「違いねぇ」と笑いながら酒を飲み干した。
そして静かに酒場の入口へ視線を向ける。
もうクリスティアンの姿はない。
夜の街へ消えていった若者の背中を思い浮かべながら、小さく呟く。
「さぁ、小僧……。」
「サンシーロは、お前が来ただけでこの有様だ。」
「正規軍も、傭兵も。人間も、獣人も。」
「みんな何かしら、お前に振り回され始めてやがる。」
ケイスケは口元を吊り上げる。
「……お前は、どう生きる?」
その問いに答える者はいない。
酒場には、眠る猫獣人の穏やかな寝息だけが静かに響いていた。
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まだ夜明け前。
窓の外は薄青く染まり始めたばかりだった。
エンツォは昨夜の傷と疲労から、ベッドの上で静かな寝息を立てている。
「……すぅ。」
クリスティアンはその姿を見つめ、小さく微笑んだ。
「昨日はありがとな。」
声には出さず、心の中だけで呟く。
起こさないよう静かに部屋を出ると、その足は真っ直ぐ図書室へ向かった。
--サンシーロ騎士団・図書室
古びた本棚が幾重にも並び、静寂だけが支配する空間。
クリスティアンは本棚を片っ端から探していた。
「ヴィクトール・ナダルの戦歴……。」
「どこかにあるはずだ。」
指で背表紙をなぞりながら探し続ける。
数分後。一冊の分厚い記録集を見つけた。
「……あった!」
嬉しそうに本を抱える。
受付の司書へ差し出すと、貸出手続きを済ませ、大切そうに胸へ抱えた。
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朝練が始まるまで、まだ少し時間がある。
クリスティアンは訓練場の隅へ座り込み、本を開いた。
『ブラウグラナ第八番隊隊員 ヴィクトール・ナダル』
『戦歴』
『援護射撃成功率 九八・七%』
『部隊生存率向上への貢献…』
「……すごい。」
「これが本物の後方支援……。」
食い入るようにページを読み進める。
その時。
背後から聞き慣れた低い声が飛んだ。
「なーに一丁前に読んでやがる。」
クリスティアンが振り返る。
「バレージ教官。」
立ち上がって一礼した。
「少しでも立ち回りを覚えなきゃいけませんので。」
セバスティアーノは本を一瞥すると鼻で笑う。
「ぬかせ!」
「弓の技術をもっと身につけてから小賢しいことをやれ!」
クリスティアンは思わず言い返す。
「しかし……」
「しかしじゃねぇ!!」
怒号が訓練場へ響く。
クリスティアンは思わず背筋を伸ばした。
セバスティアーノは煙草を咥えながら睨みつける。
「いいか。」
「本物の天才なら個人技だけで育成部の実戦演習なんか突破出来る。」
「ここで連携なんかで苦労してる様じゃ、テメェ自身がまだまだ甘ぇんだよ。」
その言葉は胸へ深く突き刺さった。
クリスティアンは何も返せない。
ただ唇を噛む。
セバスティアーノはさらに続ける。
「ロッソ・ネーロ正規軍へ行きたいなら。」
「弓でテメェ一人で戦場を支配しろ。」
「仲間なんかに頼るんじゃねぇ。」
「全部テメェ一人でやるんだ。」
クリスティアンは目を見開いた。
「全部……俺一人で?」
セバスティアーノは口元を歪める。
その笑みは挑発とも試練とも取れる、不敵なものだった。
「出来ねぇなら。村へ帰るんだな。」
その一言で十分だった。
クリスティアンはゆっくりと本を閉じる。
ヴィクトール・ナダルの戦歴をそっと脇へ置くと、修理した弓を手に取った。
そして迷いなく駆け出す。
訓練場の中央へ。
その背中を見送りながら、セバスティアーノは誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「……そうだ。今はまだ、それでいい。」




