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ビリンデッリの血〜東西大陸百年戦記〜  作者: エリカサファイア
episode2(SanSiro)

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episode2(SanSiro)Chapter7

夜の帳が下り始めても、訓練場だけは無数の魔導灯に照らされ昼間のような明るさを保っていた。


セバスティアーノ・バレージは腕を組み、クリスティアンの前に立つ。

「構えろ。」

「はい!」


クリスティアンは教わった通り弓を握る。

しかし――。


「違う。」


バシッ!


細い木の棒で肘を叩かれる。


「痛っ!」

「肩が上がってる。」

「肩で引くな。背中で引け。」


クリスティアンは慌てて修正する。

「こうですか?」

「違う。」


バシッ!


今度は膝。


「腰が高い。」

「敵はお前の都合なんか待たねぇ。」

「もう一度。」

「はい!」


――五分後。


「違う。」


バシッ!


「手首。」

「はい!」

「違う。」


バシッ!


「顎。」

「はい!」

「違う。」


バシッ!


「呼吸。」

「はい!」

「違う。」


バシッ!


「視線。」

「はい!」

「違う。」


バシッ!


「重心。」


わずか十分で何十回も修正される。

クリスティアンの身体には赤い跡が増えていった。

汗が額から滴り落ちる。


「構え百回と言ったな?」

「はい!」

「今ので百回全部失格だ。」

「最初から。」

「……はい!」


一時間後。


腕は鉛のように重い。

肩は悲鳴を上げていた。

指先の皮も擦り切れ始めている。

それでも。


「止めるな。」

「はい!」

「震えるな。」

「はい!」

「歯を食いしばるな。」

「……はい!」

「呼吸。」

「はい!」

「まだ甘い。」


バシッ!


さらに二時間。

クリスティアンはようやく矢を一本渡された。

「撃っていいんですか!」

嬉しそうに笑う。


「誰が撃てと言った。」

「え?」

「その矢を一時間持ってろ。」

「……はい?」

「戦場では一本の矢も命だ。」

「雑に扱う奴に射る資格はねぇ。」


クリスティアンは両腕を前に突き出したまま矢を持ち続ける。


十分。

二十分。

三十分。

腕が震える。

汗が滴る。

「教官……。」

「落としたら最初から。」

「……!」


歯を食いしばる。

だが――。


カラン。


矢が地面へ落ちた。

セバスティアーノは無表情だった。

「最初から。」


クリスティアンは震える手で矢を拾う。

「……はい。」


さらに二時間。

ようやく的の前へ立たされる。


「撃て。」

「はい!」


ビュン!


矢は的のはるか左へ。


「拾ってこい。」


クリスティアンは全力疾走。

戻る。

また撃つ。

外れる。

走る。

戻る。

撃つ。

走る。

何十本。

何百本。

….足は棒になっていた。


深夜。


訓練場には二人だけ。


クリスティアンは息を切らしながら膝をつく。


「……はぁ……はぁ……。」


セバスティアーノは冷たく見下ろす。

「終わりたいか?」


クリスティアンは肩で息をしながら首を振る。

「……いいえ。」

「帰りたいか?」

「……帰りません。」

「故郷へ逃げるか?」


クリスティアンはゆっくり立ち上がった。

腕は上がらない。

指からは血が滲む。

それでも弓を握る。


「俺は……。」

「違う。」


セバスティアーノが即座に訂正する。


クリスティアンは息を整え直した。

「私は帰りません。」

「ロッソ・ネーロ育成部で学びます。」

「教官が認めるまで絶対に逃げません。」


沈黙。


やがてセバスティアーノはニヤリと笑う。

「……そうか。なら今日はここまでだ。」


クリスティアンは安堵したように息を吐く。


しかし。

「午前四時集合。朝食前に二千本。終わらなきゃ飯抜き。」

「寝坊したら倍。」


クリスティアンは目を見開いた。

「……に、二千本!?」


セバスティアーノは踵を返しながら笑う。

「安心しろ。」

「今日なんざ、準備運動にもなっちゃいねぇ。」

「明日からが本当の地獄だ。」


そう言い残し去っていく教官の背中を見送りながら、クリスティアンは震える両手で弓を握り直した。

(これが……サンシーロ騎士団。)

(父様が歩いた道……。)


全身は悲鳴を上げていた。

それでも、その瞳の炎だけは、訓練を始める前よりも強く燃え上がっていた。



--



訓練を終えたクリスティアンは、ふらふらとした足取りで寮へ戻ってきた。

肩は鉛のように重い。

指先は擦り切れ、弓を握っていた右手には新しい豆が幾つもできている。

汗と土埃で制服は汚れ、全身が悲鳴を上げていた。

「……ただいま。」

誰に言うでもなく、小さく呟く。


返事はない。

慣れない都会の寮。

故郷の家のように、アンジェリカが「お帰りなさい」と迎えてくれることもない。


静かな部屋に、ただ自分の荒い呼吸だけが響く。

クリスティアンはレジスタを壁に立て掛けようとした。

その時だった。

鞘に結ばれた、小さなお守りが目に入る。

アンジェリカが一針一針縫ってくれた、世界で一つだけのお守り。

思わずそれを優しく握り締める。

「……母様。」


胸が熱くなる。

泣きそうになる。

だが、すぐに首を横へ振った。


「泣くな。まだ一日目だ。」


ベッドへ倒れ込む。

全身が悲鳴を上げ、布団の柔らかささえ痛みに変わる。

天井を見つめながら、小さく呟く。

「……まずは一ヶ月。」

目を閉じる。

「まずは……一ヶ月。」


セバスティアーノの怒号。

アンドレアの拳。

マウロの叱責。

エンツォの励まし。

ケイスケの誘い。

アウローラとの戦い。


サンシーロに来てからの日々が脳裏を駆け巡る。


「……まずは、一ヶ月。」


何度も。何度も。

まるで自分に言い聞かせるように。


「まずは一ヶ月……。」


その言葉を最後に、クリスティアンは泥のような眠りへ落ちていった。



--



質素な一室。

テーブルには数本の酒瓶と簡単なつまみが並んでいる。

一日の訓練を終えた三人の教官が、ようやく腰を下ろしていた。


フランコ・ガッリが眠たそうに欠伸をしながら酒を口に運ぶ。

「……熱心だな。」


その一言に、セバスティアーノは鼻で笑う。

向かいではアンドレア・ドナドーニが豪快に酒を飲み干した。


「ハハッ。」

「程々にしないと、お前が先に倒れるぞ。」

「今日は五時間付きっきりだったらしいじゃねぇか。」


セバスティアーノは酒を注ぎながら肩を竦める。

「ヘッ……。」

「もう何年振りかわからねぇくらいに、ビアンコ・ネーロ級の逸材を指導出来るんだ。」

「楽しくて仕方ねぇよ。」


その言葉に、フランコが静かに頷く。

「ビアンコ・ネーロになれるかは、お前の指導に掛かってる。」


「剣術だけじゃない。」

「実戦での立ち回り。」

「動き方。」

「視野。」

「全部叩き込め。」


アンドレアも酒を揺らしながら笑った。

「剣の振りは本物だ。」

「間違いなく、今の振りだけなら即ビアンコ・ネーロでも通用する。」

「だが立ち回りが、ドが付く素人

「あのまま戦場へ放り込めば。」

「敵を一人斬って、二人目で死ぬ。」

「いや、一人斬る前に囲まれて終わるかもしれん。」

「だから実戦の立ち回りを徹底的に叩き込まなきゃならねぇ。」

「なまじ剣の振りが本物だから、本人も周囲も勘違いする。」

「難儀な小僧だ。」

そう言って豪快に笑い、酒を流し込む。


フランコも珍しく口元を緩めた。

「俺から言わせたら。」

「剣の振りもまだまだ改善の余地がある。」

「可能性は無限大だ。」


彼は静かにグラスを傾ける。

「……パオロめ。」

「あいつ、敢えて本格的な指導をしなかったな。」

「俺達を試す気だったんだろう。」

「『息子をどこまで育てられる』とな。」


セバスティアーノは豪快に笑った。

「違いねぇ。」

「マウロのクソガキなんざ、あいつの剣の振りには目もくれず立ち回りだけ見て露骨にガッカリしてやがった。」

「そろそろ奴にも、俺達の指導力ってもんを見せつけてやらねぇとな。」


アンドレアが酒瓶を持ち上げる。

「ほら、注いでやる。」


琥珀色の酒が静かにグラスへ満たされる。

三人はグラスを軽く合わせた。


カチン。


フランコが笑う。

「未来のビアンコ・ネーロ。」

「潰すんじゃないぞ。」


セバスティアーノは酒を見つめ、小さく笑った。

「そいつは、あいつ次第だ。」

「まぁ……。」

「あれだけ虐めても、潰れるタマじゃなさそうだ。」

彼は酒を一気に飲み干す。

そして窓の外、静かな夜空を見上げながら呟いた。

「……楽しみだぜ。」

「いつか、パオロを超える日がな。」


三人の教官は誰一人としてクリスティアンを見限ってはいなかった。

むしろ彼らは、彼の才能を誰よりも高く評価していた。

だからこそ甘やかさない。

その未完の才能を、戦場で生き残れる本物の騎士へと鍛え上げるために。

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