↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ビリンデッリの血〜東西大陸百年戦記〜  作者: エリカサファイア
episode2(SanSiro)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/124

episode2(SanSiro)Chapter6

午後。


クリスティアンは修理した弓を抱え、息を切らしながら弓術教室へと駆け込んだ。

「はぁ……はぁ……!」

勢いよく扉を開ける。

「失礼しま――」

その足が止まった。


教室ではちょうど訓練が終わったところだった。

生徒たちは弓を片付け、それぞれ疲れ切った表情で帰り支度をしている。

床には無数の矢。

的には何百本もの矢が突き刺さっていた。


(……遅かった。)


五時間。

修理に費やした時間は、訓練のすべてを終わらせるには十分すぎる時間だった。

しかしクリスティアンはすぐに顔を上げる。

まだ諦めなかった。

近くを歩く訓練生へ駆け寄る。


「おい!」

「待ってくれ!」

「弓の手入れを教えて欲しいんだ!」


だが、その生徒は視線すら向けない。

無言で横を通り過ぎる。

「……。」

別の生徒にも声を掛ける。

「頼む!」

「今日来たばかりで何も分からないんだ!」


その生徒も無言。

さらに別の生徒。


「少しだけでいい!」

「弓の扱いだけでも――」


誰一人として立ち止まらない。

目も合わせない。

まるでそこにクリスティアンなど存在しないかのように。

やがて最後の一人も教室を後にした。


静まり返る教室。

クリスティアンは拳を握り締めた。

「なんだよ!!」

悔しさを隠せず叫ぶ。

「少しくらい付き合ってくれてもいいじゃねえか!!」

その声だけが虚しく響く。

すると背後から低い声が聞こえた。


「あれが明日からのテメェだ。」


振り返る。

セバスティアーノ・バレージだった。

腕を組み、壁にもたれ掛かっている。

静かな口調で続ける。

「抗うかはテメェ次第だ。」


クリスティアンは言葉を失った。

育成部には友達はいない。

助けてもくれない。

教えてもくれない。

ここでは、自分で掴み取るしかないのだ。


セバスティアーノが手を差し出した。

「見せてみろ。」


クリスティアンは慌てて弓を渡す。

「はい!」


セバスティアーノは弓を細かく眺める。


弦。

握り。

木材。

補修跡。


指先でなぞりながら確認していく。

そして少し笑った。

「……これを五時間で?」


クリスティアンは姿勢を正す。

「はい!私なりに調べて手直ししました!」

直立不動で答える。


セバスティアーノは鼻で笑った。

「ガキの工作だな。」

容赦ない一言だった。


クリスティアンは悔しそうに拳を握る。

それでも真っ直ぐ答える。

「それでも……。」

「授業に出られないよりはマシだと判断して戻りました!」


セバスティアーノは何も言わない。

一本の矢を手に取る。

静かに番えた。


ギリ……


教室が静まり返る。

そして。


ヒュン――ッ!!


放たれた矢は一直線に飛び、


ドスッ!!


教室の一番奥、的の中心を正確に射抜いた。

微塵の狂いもない。


クリスティアンは目を見開く。

「……すげぇ。」

思わず声が漏れた。

あれほどボロボロだった弓で。

まるで新品のような一射だった。


セバスティアーノは弓を返しながら言う。

「おい。今から予定を全部キャンセルして五時間時間を作れ。」


クリスティアンは一瞬理解できなかった。

「え……?……い、いや!」

姿勢を正す。

「はい!!畏まりました!!」

腹の底から返事をする。


セバスティアーノは相変わらず険しい顔のまま続けた。

「俺は物覚えの悪い無能が大嫌いなんだ。」

「だから二度は教えん。」


クリスティアンは息を呑む。

「一度だけ。」


セバスティアーノは弓を軽く持ち上げた。

「俺のやり方の弓の手入れを教えてやる。」

「それをどう生かすかはテメェ次第だ。」


その言葉を聞いた瞬間。

クリスティアンの表情がぱっと明るくなる。

「あ……。ありがとうございます!!」

思わず駆け寄り、両手でセバスティアーノの手を握った。


固く、力強く。

心からの感謝だった。

しかし次の瞬間――


ゴンッ!


「痛っ!」


拳骨が頭に落ちる。

セバスティアーノは呆れたように鼻を鳴らした。

「馬鹿野郎。」

「教官に気安く握手する暇があるなら、その感謝は技術で返せ。」


クリスティアンは頭を押さえながらも、嬉しそうに笑った。

「……はい!」

その返事は、この日一番の大きな声だった。


鬼教官の厳しさの奥に、ほんの僅かな期待が隠されていることを、クリスティアンはようやく感じ始めていた。

クリスティアンは勢いよく背筋を伸ばし、傷だらけの弓を胸に抱えたまま叫んだ。


「教官! 今からお時間はございますか!?」


夕日に染まり始めた訓練場に、その大きな声が響く。


片付けを終えようとしていたセバスティアーノ・バレージは足を止め、ゆっくりと振り返った。

その鋭い眼光がクリスティアンを射抜く。

「……今からか?」

低く、感情の読めない声だった。

普通なら「明日にしろ」と追い返されても不思議ではない。


しかしクリスティアンは一歩も引かなかった。

傷だらけの手で弓を抱え直し、深く頭を下げる。

「教官のお時間が許されるまで弓を教えてください!!」

「今日の授業には間に合いませんでした……!」

「だからこそ、一秒でも多く教わりたいんです!」

「お願いします!!」

その声には、昨日までの反発も、自信過剰さもなかった。

ただ、純粋に学びたいという覚悟だけがあった。


セバスティアーノはしばらく無言でクリスティアンを見つめる。

やがて口元がほんの僅かだけ吊り上がった。

「……いいだろう。」


クリスティアンの表情が一気に明るくなる。


だが次の瞬間、その笑みは凍り付いた。

「覚悟しろ。」

教官の声には、一切の冗談がなかった。

「今からテメェは弓しか握らせねぇ。」

「握り方、立ち方、呼吸、筋力、姿勢、道具の手入れ……。」

「全部叩き直す。」

「泣こうが喚こうが帰さねぇ。」

「俺が『終わり』と言うまで今日は終わらん。」


クリスティアンは一瞬だけ息を呑む。

(……これが本当の訓練。)

だが、その瞳に迷いはない。

「望むところです!!」

力強く返事をする。


セバスティアーノは鼻で笑った。

「威勢だけは一人前だ。」

「ならまず百回。弓を構えろ。」

「矢は放つな。構えるだけだ。」

「百回終わるまで腕を下げたら最初からやり直し。」


クリスティアンは目を丸くした。

「……え?」

「放たないんですか?」


その瞬間。


ゴンッ!!


拳骨が頭に落ちる。


「痛っ!!」

「だから素人は嫌いなんだ。」

セバスティアーノは腕を組みながら吐き捨てた。

「矢を飛ばす前に、自分の身体を思い通りに扱え。」

「飛ばす技術はその後だ。」

「基礎を舐める奴は、一生一流にはなれねぇ。」


クリスティアンは頭をさすりながらも、大きく頷いた。

「……はい!!では始めます!!」

夕日に照らされた訓練場で、クリスティアンは静かに弓を構える。


その姿を見つめるセバスティアーノは、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。

「……パオロ。お前の倅は、不器用だ。」

「だが――根性だけは、お前以上かもしれんな。」

こうして、クリスティアンの過酷な弓術修行が、本当の意味で幕を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。