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ビリンデッリの血〜東西大陸百年戦記〜  作者: エリカサファイア
episode2(SanSiro)

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episode2(SanSiro)Chapter4

夜も更け、騎士団育成部の寮。

質素な木造の一室には、必要最低限の家具しかない。

窓の外からは、眠らない大都市サンシーロの喧騒が微かに聞こえていた。


クリスティアンは荷物を床に置き、父パオロから受け継いだ剣『レジスタ』を静かに壁へ立て掛ける。

鞘には、アンジェリカが夜なべして縫ってくれた小さなお守りが揺れていた。

それを見つめると、胸が締め付けられる。


「……」


ベッドへ倒れ込む。

天井を見上げたまま、深く息を吐いた。

「俺は……サンシーロに何しに来たんだ……」

静かな部屋に、その独り言だけが虚しく響いた。


今日一日を思い返す。

サンシーロへ到着した時。

マルコは笑顔で迎えてくれた。


『必ず帰ってくると信じていた』


その言葉が嬉しかった。

だがその数時間後には、


『僕の勘違いだったかもしれない』


そう言って背中を向けられた。

胸が痛んだ。

そして適性試験。

全力で剣を振った。

父の剣を。

自分の剣を。

全部見せた。

それでも返ってきた言葉は…


『剣士の才能はない』

『弓をやれ』

『嫌なら帰れ』


拳を強く握る。

悔しさが込み上げる。


「……チクショウ。」


あの時の怒りが蘇る。

セバスティアーノに殴られ、

地面へ叩きつけられ、

頭を踏みつけられた。


ドナドーニには魔術を浴びせられ、

「魔術でも苦労する」

と鼻で笑われた。


悔しかった。

情けなかった。


だがその後。

酒場で出会ったエンツォだけは違った。


『一ヶ月だけでも弓をやってみろ。』

『素人の弓が必要なほどロッソ・ネーロは困っちゃいねえ。』

『必要だから弓をやれって言ってるんだ。』


その言葉だけは嘘には聞こえなかった。

さらに自分を庇い、

アウローラとの喧嘩でも最後まで味方してくれた。

マウロに殴られても、

「クリスティアンは本物だ!」

と叫んでくれた。


クリスティアンは苦笑する。

「……今の俺の一番の味方は。」

少し笑う。

「間違いなくエンツォだな。」


あの口は悪い。

態度も最悪。

しかし誰よりも真正面から向き合ってくれた。

そんな気がした。


一方で、頭の片隅には別の顔も浮かぶ。

豪快に笑うケイスケ・ナガトモ。


『ネラッズーロに来い。俺が面倒見てやるぜ。』


あの言葉にも嘘は感じなかった。

差別される者達の部隊。

傭兵。

成果を出した者だけが稼げる世界。


もしロッソ・ネーロで居場所がなくなれば、

あそこなら受け入れてくれるかもしれない。


クリスティアンは静かに目を閉じた。


「……でも。」


故郷の景色が浮かぶ。


アンジェリカ。

ディメトリオ。

剣術の先生。

ダミアーノ神官。

見送りに来てくれた村のみんな。


「頑張れ!」

「死ぬなよ!」

「必ず帰ってこい!」


あの笑顔。

あの拍手。

あの期待。


それらを思い出した瞬間、

簡単に逃げるわけにはいかないと胸が熱くなった。


ゆっくりと体を起こす。

壁に立て掛けた『レジスタ』へ歩み寄る。

鞘に結ばれたアンジェリカのお守りをそっと握った。


「……よし。」


静かな声だった。

だが、その瞳には先ほどまでとは違う光が宿っていた。


「エンツォの言う通りだ。」

「まずは一ヶ月。」

「一ヶ月だけ弓を頑張ってみる。」

「それで結果も成果も出ないなら……。」


少しだけ笑う。


「ネラッズーロに逃げて金を稼いで、故郷へ帰ればいい。」


それは逃げ道ではあった。

しかし今はまだ、その時ではない。

クリスティアンは拳を握る。

「あの教官共を……一ヶ月だけ信じてやる。」


悔しさも。

怒りも。

全部飲み込む。

「来てすぐ帰るなんて、あそこまで送り出してくれた故郷のみんなに示しがつかねえ。」

最後にレジスタへ軽く触れた。


「見ててください、父様。」

「母様。俺は……まだ終わっちゃいません。」


その夜。

少年はようやく覚悟を決めた。

剣を振るえない日々が始まる。



--



夜明け前。

サンシーロ騎士団育成部の訓練場は、まだ朝靄に包まれていた。

誰もいない静かな弓術教室。

整然と並べられた訓練用の弓と的だけが、今日も新たな訓練生を待っている。

その扉が静かに開いた。


ギィ……


一番乗りだった。

クリスティアン・ビリンデッリ。

昨日まで肌身離さず持ち歩いていた父の剣『レジスタ』は、今日は部屋に置いてきた。

その背には剣はなく、空っぽだった。

代わりに、深く息を吸い込み教室の中央へ歩み出る。


(まずは一ヶ月……。)

(俺は弓を学ぶ。)


その瞳に迷いはなかった。

すると後方の扉が勢いよく開く。

スキンヘッドの大男――セバスティアーノ・バレージが姿を現した。

クリスティアンを見るなり鼻で笑う。

「なんだ、まだいたのか。」


昨日までなら、その一言で噛みついていただろう。

しかし今日は違う。

クリスティアンは静かに歩み寄ると、深々と頭を下げた。


「バレージ教官。」

「目上の方々に数々のご無礼を失礼致しました。」

「このクリスティアン・ビリンデッリ、一から弓を学ぶ所存です。」

「徹底的にご指導、よろしくお願いします!」


教室に響くほどの大きな声だった。

額が床につきそうなほど深く頭を下げる。


セバスティアーノは無言でその姿を見つめる。

しばらく沈黙が流れた。

やがて鼻を鳴らす。

「……どういう風の吹き回しか知らんが。」

腕を組みながら、じっとクリスティアンを見据える。

「昨日、貴様が起こしたらしい揉め事で何か変わったみたいだな……。」


ほんの一瞬だけ。

本当に一瞬だけ。

口元が僅かに緩んだ。


しかし次の瞬間には鬼教官の顔へ戻る。

「その肩で弓が引けるか!!」


ドォン!!


怒号が教室中に響いた。

「さっさとアンドレアに頭を下げて治療してこい!!」

「治療もせず訓練しようとは何を考えている!」


クリスティアンはビクリと背筋を伸ばした。

「は、はい!!今すぐに行って参ります!!」

全力で駆け出していく。


その姿を見送りながら、セバスティアーノは腕を組んだまま小さく呟いた。

「……少しは騎士らしい顔になったじゃねぇか。」



--



魔術教室。

棚には無数の魔導書が並び、水晶や魔石が整然と置かれている。

そこではアンドレア・ドナドーニが朝から魔法陣を描いていた。


「失礼します!!」


クリスティアンが飛び込んでくる。

ドナドーニは顔も上げずに言う。

「……なんだ。」


クリスティアンは再び深々と頭を下げた。

「ドナドーニ教官。」

「昨日は感情的になり、大変失礼致しました。」

「どうか私を一からご指導ください!」

その瞬間。


ゴッ!!


「ぶっ!!」


拳がクリスティアンの頬へめり込む。

勢いよく吹き飛び、そのまま床へ転がる。


「ぐっ……!」


立ち上がろうとした瞬間。

ドナドーニは胸ぐらを掴み上げた。

鋭い眼光が至近距離で突き刺さる。


「いいか。」


低く響く声。


「高貴なるサンシーロ騎士団たるもの。」

「プライベートで揉め事を起こすことは、何があろうと断じて許さん。」


さらに胸ぐらを引き寄せる。


「例えロッソ・ネーロの若輩者でもだ。」


そのまま勢いよく――


ドォン!!


クリスティアンを床へ叩きつけた。


「ぐはっ!」


息が詰まる。


ドナドーニは見下ろしたまま続ける。

「感情のコントロールも出来ぬ未熟者が、戦場へ出られると思うなよ。」


教室は静まり返る。


やがてドナドーニは一つ息を吐いた。

「……まぁ。」

相変わらず鋭い目つきのままだったが、その声だけは少しだけ柔らかくなった。

「性根を入れ替えて戻って来たことだけは認めてやる。」

右手をクリスティアンの肩へ向ける。


淡い蒼色の魔法陣が展開され、水の粒子が優しく傷口を包み込んだ。

肩に刺さっていたダガーの傷がみるみる塞がっていく。

「死んだつもりで一から励め。」


クリスティアンは治っていく肩を見つめたあと、ゆっくりと頭を下げた。

「……はい。ありがとうございます、ドナドーニ教官。」

その返事には、昨日までの反発はもうなかった。


ようやく彼は、「学ぶ者」としての第一歩を踏み出したのである。

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