episode2(SanSiro)Chapter2
夕暮れのサンシーロ。
石畳を踏み鳴らしながら、クリスティアンは無我夢中で走っていた。
頬はまだ熱い…バレージに殴られた痛みよりも、胸を抉られた言葉の方が何倍も痛かった。
「やってられるか……!こんなところ……!」
涙を拭いながら角を曲がった、その時だった。
「おぅ! クリスティアン!」
聞き覚えのある声が飛ぶ。
銀髪を揺らしながら歩いてきた青年――エンツォ・コッツァだった。
「来たか……って、おーい!!」
エンツォは異変に気付く。
頬は赤く腫れ、目は真っ赤。
今にも泣き崩れそうな顔だった。
クリスティアンは無理に笑おうとする。
「わりぃ……。もう、やってらんねぇ。帰るわ。」
そのまま走り去ろうとした。
しかし、
「待てよ。」
エンツォが腕を掴む。
「何があったんだ?……ちょっと付き合え。」
有無を言わせず肩を押し、そのまま近くの酒場へ連れて行った。
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夕方の酒場は騎士達で賑わっていた。
木のテーブルには酒瓶が並び、笑い声が飛び交う。
二人が席へ着くと、白髪混じりのマスターがグラスを二つ置く。
「お前らはジュースな。」
琥珀色ではなく、鮮やかなオレンジ色。
果汁たっぷりのオレンジジュースだった。
エンツォが頬を膨らませる。
「ちぇっ。しけてやがんなぁ。」
マスターは鼻で笑う。
「未成年に酒なんぞ飲ませられるか。」
そのやり取りにも、クリスティアンは反応しない。
俯いたまま黙り込んでいた。
エンツォは肩を組み、いつもの調子で笑う。
「初日早々どうした?」
「バレージやドナドーニのクソセンコー共と揉めたか?」
クリスティアンは悔しそうに唇を噛む。
「あぁ……。クソだよ、アイツらは。」
その一言で、エンツォの表情が変わった。
「……マジで揉めたみてぇだな。」
軽口は消え、真剣な眼差しになる。
クリスティアンは堰を切ったように話し始めた。
「エンツォやマウロが認めてくれた剣を……。」
「アイツらは才能がないって言うんだ。」
「弓をやれ。やれないなら田舎へ帰れって……。」
拳を握る。
「俺は父様みたいな剣士になるために……。」
「デッレ・アルピも……母様も置いて来たのによ……。」
最後の言葉は涙で震えていた。
エンツォは静かに頷く。
「……そうか。」
少し考えてから、ゆっくり尋ねる。
「んで?どうするんだ?」
「せっかく来たのに、このまま帰るのか?」
クリスティアンは苦笑する。
「俺の剣が必要ないなら……。いる意味もないじゃないか。」
エンツォは腕を組みながら言った。
「でもよ。弓のお前は必要なんだろ?」
「じゃなきゃ、あのセンコー共は弓をやれなんて言わねぇ。」
「俺には真意は分からねぇ。」
「でも、素人の弓が必要なほどロッソ・ネーロは困っちゃいねぇよ。」
クリスティアンが顔を上げる。
「……俺の弓が?」
「あぁ。」
エンツォは真っ直ぐ答えた。
「だから、一ヶ月だけでもいい。やってみろよ。」
「サンシーロ騎士団で弓を教われる人間なんて、そうはいねぇぞ。」
クリスティアンは目を丸くする。
「優しいんだな……エンツォは。」
エンツォは照れ臭そうに鼻を掻いた。
「俺は家柄が低くてよ。」
「ここへ来るまで苦労したし、来てからも人一倍苦労した。」
「だから多少は気持ちが分かる。」
「お前は血統はエリートだけど、育ちは俺に近い。」
クリスティアンは思わず吹き出した。
「バカにしてるだろ。」
二人が笑った、その時だった。
バァン!!
酒場の扉が勢いよく開く。
「おい!!酒だ酒だ〜!!酒持って来い!!」
店中へ響く豪快な声。
金髪を短く刈り込み、頭頂部と毛先だけ少し伸ばした独特の髪型。
日に焼けた肌。
肩には大剣。
陽気そのものの男が、大股で店へ入ってきた。
クリスティアンは思わず振り返る。
「うぉっ……なんだ?」
エンツォが笑う。
「あれか?この酒場の名物だ。」
「ネラッズーロ第五十五番隊副隊長。ケイスケ・ナガトモ。」
クリスティアンはまじまじと眺める。
「なんか……独特な風貌だな。」
「あぁ。東洋のパロマって国の出身らしい。」
「ネラッズーロは外国人や外来種で構成される部隊なんだ。いわゆる傭兵ってやつさ。」
その時。
ケイスケがこちらへ気付いた。
「おっ?なんだ小僧!」
「シケたツラしやがって!新入りか?」
豪快に笑うと、いきなりクリスティアンへ肩を回した。
「こんな日は飲んだらいいんだよ!!」
マスターがすぐさま睨む。
「そいつはガキだからダメだ。酒は禁止。」
「ちぇー。」
ケイスケは肩を竦める。
エンツォが笑い転げる。
「もう出来上がってんのかよオッサン。」
ケイスケは豪快に笑った。
「堅ぇこと言うなよヒヨッ子!」
「俺たち傭兵はテメェら正規兵と違って出世しねぇ!」
「稼いだ金で酒飲むのが一番の生き甲斐なんだぜ!」
振り返りながら叫ぶ。
「なぁ、アウローラ!」
その隣では、金色のウェーブがかった長髪をハーフアップにまとめた少女が、大きく欠伸をしていた。
頭には猫耳。
腰からはしなやかな尻尾。
「ナガトモ副隊長……。」
「私は娼婦じゃないんだよ。」
「酒くらい一人で飲みな。」
「こっちはもう眠いんだ。」
不機嫌そうにぼやく。
クリスティアンは目を見開いた。
「ね……猫!?いや、人間!?」
その一言で。
猫耳がぴくりと立つ。
少女はゆっくり振り返った。
「あん?」
鋭い金色の瞳。
次の瞬間にはクリスティアンの胸ぐらを掴んでいた。
「なんだアンタ。私の顔になんか付いてたかい?」
「失礼な奴だね。」
クリスティアンは慌てる。
「い、いや……その……。」
エンツォが間に割って入った。
「わりぃわりぃ。こいつ田舎出身でさ。」
「獣人を見るのは初めてなんだ。」
アウローラは鼻を鳴らしながらクリスティアンを見下ろす。
その視線が、ふと腰の剣で止まった。
「……おい。」
彼女の表情が変わる。
「アンタ、その剣……もしかして。」
クリスティアンは自然と柄へ手を添える。
「俺の父様の剣がどうしたってんだよ。」
アウローラは息を呑んだ。
「……嘘だろ。」
「それ……パオロ隊長の《レジスタ》じゃないか。」
胸ぐらを掴む手に力が入る。
「アンタみたいな新入りが持っていい剣じゃねえよ。」
「しかもなんだこのお守り?ママの手作りってとこだな」
嘲笑するように笑いながら言う。
そして酒場の扉が閉まると同時に、喧騒はそのまま外へと流れ出した。
夜風が石畳を吹き抜け、野次馬たちが半円を描くように二人を囲む。
「喧嘩だ!」
「ロッソ・ネーロの新入りらしいぞ!」
「相手はアウローラか!」
歓声と口笛が飛び交う。
それを一瞥すると、クリスティアンはゆっくりと構えた。
対するアウローラは猫耳をぴくりと動かし、鼻で笑う。
「ハン! まだママのおっぱいが恋しいマザコンかよ……いや、ファザコンか?」
観客がどっと笑う。
クリスティアンの表情が変わった。
「……黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって。」
静かな怒気が滲む。
「俺の悪口は構わねぇ。」
一歩踏み出す。
「だが父様と母様を侮辱する奴だけは――誰であろうと許さねぇ!!」
木刀を突きつけた。
アウローラも口元を吊り上げる。
「いいさ。」
腰の木刀を抜き放つ。
「素人の人間如き、返り討ちにしてやるよ。」
「おいやめろクリスティアン!」
エンツォが背後から腕を掴む。
「落ち着け!!」
「離せ!!」
クリスティアンは振り払おうともがく。
「コイツだけは絶対に許せねぇ!!」
その様子を見ながら、
ケイスケはジョッキを片手に大笑いしていた。
「おーっ!若いってのはいいなぁ!!」
酒を掲げる。
「やれやれぇ!!」
するとネラッズーロの隊員たちまで騒ぎ始めた。
「おい賭けようぜ!」
「俺ァアウローラに五ロル!」
「じゃあ十ロル!」
「おいおい賭けになんねぇだろ!」
「パオロ隊長の息子ならワンチャンあるかもしれねぇから、一ロルだけ小僧に乗ってやる!」
爆笑が広がる。
エンツォは頭を抱えた。
「おいマスター!どうすんだよ!」
マスターは無言。
ただ静かに店の外を指差した。
「……ったく、使えねぇジジイだぜ。」
エンツォはため息をつく。
「表出ろ!!猫女!!」
クリスティアンは酒場の扉を蹴り開けた。
アウローラも肩を回しながら笑う。
「上等だ、マザコン!」
にやりと笑う。
「……いや、ファザコンか?」
再び野次馬が笑った。




