episode2(SanSiro)Chapter1
サンシーロ――。
幾度となく夢に見た石畳の街並みが、再びクリスティアンの目の前に広がっていた。
馬車から降り立ち、ゆっくりと大地を踏み締める。
「……帰ってきた。」
その一歩は、大会へ出場した時とはまるで違う。
今度は観光でも代理出場でもない。
騎士として、この街で生きていくために来たのだ。
そんな彼の前へ、一人の青年が歩み寄ってきた。
黒髪のボブカット。
涼しげな瞳。
『ロッソ・ネーロ』第六番隊隊長――マウロ・ミッコリだった。
マウロは柔らかな笑みを浮かべながら右手を差し出す。
「よく来てくれた。必ず帰ってくると信じていたよ。」
クリスティアンも迷わずその手を握る。
「父様が体感した世界を、俺も体感したくてな。」
その言葉にマウロは一瞬だけ目を細めた。
そして笑顔を消す。
「……一つ、いいかい?」
空気が変わった。
クリスティアンは首を傾げる。
「?」
マウロは静かな口調で言う。
「君はここへ来た以上、僕の部下になる。」
「今まで村ではそれで良かったのかもしれない。でも騎士団では違う。」
「言葉遣いには今のうちから気を付けてくれ。」
「僕も部下に示しがつかないし……君自身も、部下達から疎まれる。」
決して怒ってはいない。
だが、それは隊長としての忠告だった。
クリスティアンは慌てて姿勢を正す。
「あ……あぁ……。」
「し、失礼致しました。」
深々と頭を下げる。
マウロは満足そうに頷いた。
「それでいい。」
「まぁ君なら、僕の地位くらいすぐ追い付くだろうさ。」
そう言って豪快に背中を叩く。
「いってぇ……。」
クリスティアンは苦笑しながら姿勢を正した。
「あ……いえ。」
「頑張ります。」
「適性試験は今日中に合格して、前線で手柄を立ててみせます。」
その瞳には迷いがない。
マウロは嬉しそうに笑った。
「頼もしいな。」
「よし、長旅で疲れているだろうが、早速試験だ。」
「会場へ案内しよう。」
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二人は巨大な石造りの建物へと足を踏み入れた。
ここが『ロッソ・ネーロ育成部』。
未来の騎士達が最初に訪れる場所だった。
扉を開くと、三人の監査官が待ち構えていた。
最初に口を開いたのは、肩まで伸びた無造作な長髪と髭を揺らす大男。
豪放な雰囲気を漂わせる魔術教官――アンドレア・ドナドーニ。
クリスティアンを見るなり、盛大にため息を吐いた。
「マルコ……またか。」
「お前の無責任な推薦に付き合わされる身にもなってくれ。」
マウロはむっとした表情になる。
「今回は本物ですよ!」
「何といっても我が師、パオロ様の実の息子ですから!」
だがドナドーニは鼻で笑う。
「フン。血統だけで実力が決まるものか。」
続いて前へ出たのは、スキンヘッドに口髭を蓄えた屈強な男。
弓術教官――セバスティアーノ・バレージ。
腕を組み、短く言い放つ。
「まぁいい。さっさと剣を振って見せろ。」
クリスティアンは《レジスタ》を抜く。
父の剣。
母が託してくれた剣。
深く息を吸い込んだ。
「よし……先生達。目にもの見せてやりますよ!」
剣が唸る。
斬る。
踏み込む。
切り返す。
村で磨き上げた剣技。
大会で盗み覚えた騎士団の技。
持てる全てを惜しみなく披露した。
やがて静寂が訪れる。
クリスティアンは汗を拭いながら笑った。
「どうですか?」
「俺はどこの部隊に所属できますかね?」
その時だった。
部屋の隅で欠伸をしていた一人の男が立ち上がる。
眠たそうな目。
覇気のない表情。
剣術教官――フランコ・ガッリ。
彼は大きな欠伸を一つすると、興味なさそうに言った。
「剣士の才能はない。セバスティアーノに任せた。」
それだけ言い残し、踵を返して部屋を出ていく。
クリスティアンの思考が止まる。
「……は?」
次の瞬間。
「おい!!どういうことだよオッサン!!」
怒号が部屋に響いた。
ガッリは一度も振り返らなかった。
代わりにセバスティアーノが額を押さえ、大きく息を吐く。
「言葉の通りだ。お前に剣士の才能はない。」
「弓を学べ。」
クリスティアンは耳を疑った。
「……は?」
セバスティアーノは容赦なく続ける。
「部隊だなんて十年早い。」
「まずは育成部で俺が泣くまでみっちり叩き込んでやる。弓兵としてな。」
その一言が、クリスティアンの何かを切った。
「ふざけんな!!」
部屋中に怒声が響く。
「俺はマルコとエンツォに認められて!」
「故郷と母様と離れて!!ここまで来たんだぞ!!」
空気が張り詰める。
誰も何も言わない。
その沈黙を破ったのは、マウロだった。
彼は難しい表情でクリスティアンを見つめる。
そして静かに呟いた。
「……どうやら。」
「僕の勘違いだったのかもしれない。」
その顔には、隠し切れない失望が浮かんでいた。
マウロは踵を返し、何も言わず部屋を出ていく。
「えっ……。」
クリスティアンは呆然とその背中を見つめた。
「お、おい!マルコ!!」
返事はない。
「どういうことだ!?ふざけんな!!おい!!」
怒鳴り声だけが、広い試験場に虚しく響き渡った。
「ふざけんな……!」
「俺は……!故郷も、母様も置いてここまで来たんだぞ!!」
その瞬間だった。
――バキィッ!!
鈍い音が響く。
セバスティアーノ・バレージの拳が、容赦なくクリスティアンの頬を打ち抜いた。
「がっ……!」
身体が大きく吹き飛び、床を転がる。
口の中に鉄の味が広がった。
クリスティアンが何とか起き上がろうとすると、セバスティアーノはゆっくりと歩み寄る。
そして胸ぐらを乱暴に掴み上げた。
「何がパオロ・ビリンデッリの息子だ。」
低く響く声。
「このど素人が。」
クリスティアンは悔しさで歯を食いしばる。
セバスティアーノは目を逸らさず続けた。
「その剣を握る時間なんか、一秒たりともくれてやらん。」
「指がタコまみれになるまで、弓を握らせてやる。」
「貴様の幻想など、この育成部で叩き潰してやる。」
その言葉が、クリスティアンの理性を吹き飛ばした。
目には涙すら滲んでいる。
それでも怒りだけは消えない。
「ふざけんなぁぁぁっ!!」
「テメェらに!!俺の何が分かるんだ!!」
「チクショウ!!」
叫びながら拳を振り抜く。
しかし――。
「遅い。」
セバスティアーノは片手だけでその拳を受け止めた。
まるで子供の喧嘩でも相手にするような容易さだった。
「え……?」
次の瞬間。
身体が宙に浮く。
「うおっ――!」
ドォンッ!!
一本背負いのように地面へ叩きつけられる。
肺から一気に空気が押し出された。
「がはっ……!」
咳き込むクリスティアン。
その胸元へ、セバスティアーノは無造作に足を乗せた。
逃げようと身体を動かしても、まるで岩でも乗せられたように動けない。
「明日からは。」
「『ジジイ』でも『テメェ』でもない。」
「バレージ教官と呼べ。」
ぐっと踏み込む。
「……いいな。」
返事はない。
悔しさに震えるクリスティアンを見下ろしたまま、セバスティアーノは足をどけなかった。
そこへアンドレア・ドナドーニが歩み寄る。
「少し頭を冷やせ。」
彼は片手を軽く掲げた。
小さな魔法陣が浮かぶ。
「アクア。」
ぱしゃっ。
冷たい水が勢いよくクリスティアンの全身へ降り注いだ。
熱くなっていた身体が一気に冷やされる。
ドナドーニは鼻を鳴らした。
「もちろん、後方支援に必要な魔術は俺が叩き込む。」
「援護兵が魔術も使えんでは話にならんからな。」
そして皮肉っぽく笑う。
「まぁ……パオロ氏は魔術の才能はからっきしだった。貴様も苦労するだろうがな。」
クリスティアンは拳を握り締める。
身体は痛い。
心はもっと痛い。
セバスティアーノは冷たく言い放つ。
「嫌なら今すぐ故郷へ帰れ。」
「馬車代は出さん。自腹か……徒歩でな。」
その一言だった。
クリスティアンは勢いよく立ち上がる。
怒りで肩を震わせながら叫んだ。
「やってられるかよ!!」
剣を掴み、荷物を肩へ担ぐ。
「徒歩でデッレ・アルピ村に帰ってやる!!」
誰も止めない。
クリスティアンは試験場の扉を乱暴に開き、
「こんな騎士団なんか、こっちから願い下げだ!!」
そう吐き捨てると、そのまま外へ飛び出していった。
重い扉が激しい音を立てて閉まる。
部屋には静寂だけが残った。
セバスティアーノは腕を組み、小さく息を吐く。
「……さて。徒歩でどこまで行けるか。」
その表情からは怒りとも嘲りともつかない、複雑な感情は読み取れなかった。




