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ビリンデッリの血〜東西大陸百年戦記〜  作者: エリカサファイア
episode1(Departure)

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episode1(Departure)Chapter14

旅立ちの日は、雲ひとつない快晴だった。

デッレ・アルピ村の入口。

いつもなら荷馬車が数台通るだけの場所に、今日は多くの人々が集まっていた。


老人も。

子供も。

農夫も。

商人も。

皆が一人の少年を見送るために。

クリスティアン・ビリンデッリを見送るために。


馬車の傍には見慣れた顔ぶれが並んでいる。

ディメトリオ。

ダミアーノ神官。

剣術教師。

サンシーロへ同行した上級生。

クラスメイト達。

そして近所の住民達。

皆それぞれの表情で彼を見ていた。


寂しさ。

期待。

誇らしさ。

不安。

様々な感情が入り混じっている。


ディメトリオが腕を組みながら笑った。

「まぁ、そうなるよな」


クリスティアンも苦笑する。

「あぁ……結局な」

頭を掻く。

数か月前まで。

自分は絶対に村を離れないと思っていた。

それなのに。

今こうして旅立とうとしている。

人生とは本当にわからない。


ディメトリオが手を差し出した。

「三年だ」

真剣な顔だった。

「三年だけ待ってろ」


クリスティアンもその意味を理解する。

サンシーロ神官学院への推薦。

ディメトリオもまた、それを目指している。

「すぐに追いつく」

力強い言葉。

そして。

「死ぬなよ」


クリスティアンは笑った。

「お前こそな」

二人は固く握手を交わす。

幼い頃から共に育った親友。

その手の感触は、妙に温かかった。


続いてダミアーノ神官が前に出る。

白い法衣が朝日に照らされていた。

「クリスティアン」

穏やかな声。

しかしその瞳は真剣だった。

「サンシーロ騎士団は、『ロッソ・ネーロ』であっても貴方が想像している何倍も辛く、何倍も苦しい場所です」

周囲も静まり返る。

「才能だけでは生き残れません」

「努力だけでも足りません」

「運すら必要になるでしょう」


神官は一度言葉を区切る。

そして微笑んだ。

「ですが」

「少しでも結果を出せば、世界の英雄になれます」

「頑張ってください」


クリスティアンは深く頭を下げた。

「はい……神官」

拳を握る。

「覚悟しています」


今度は剣術教師だった。

いつも通りの仏頂面。

しかし目元は少し赤い。

「クリスティアン」

「はい」

「サンシーロに行ったら座学もサボれませんよ」


周囲が吹き出した。

教師は続ける。

「真面目にしっかりやるんですよ」


クリスティアンが顔を真っ赤にする。

「先生ぇ……」

頭を抱える。

「見送りの場でそれやめてくださいよ」

周囲から笑いが起きた。


剣術教師も珍しく笑う。

「それが一番心配なんじゃ」


クラスメイト達が次々と前に出る。

花束。

手紙。

お守り。

木彫りの人形。

様々な贈り物が渡されていく。

「頑張れよ!」

「有名人になれよ!」

「絶対帰って来いよ!」

クリスティアンは何度も頭を下げた。


そして。

いよいよ馬車へ乗り込もうとした時だった。

遠くから声が響く。


「クリスティアン!!」


皆が振り返る。

村道の向こう。

必死に駆けてくる人影。

栗色の髪を揺らしながら。

息を切らしながら。

アンジェリカだった。


「母様!?」

クリスティアンが目を見開く。

駆け寄る。

「見送りは来られなかったんじゃ……」

アンジェリカは膝に手をつきながら息を整えた。

「はぁ……はぁ……」

そして苦笑する。

「嫌よ」

正直な言葉だった。

「あなたを奪われる場に立ち会うなんて」

目を伏せる。

「本当は来たくなかった」


だが。

アンジェリカは顔を上げた。

涙を堪えるように微笑む。

「でも」

「最期になるかもしれないから」

その言葉に周囲が静まり返る。

百年戦争。

騎士団。

前線。

誰もが理解していた。

これは栄光への旅立ちであると同時に。

死への旅路でもあることを。


アンジェリカは背中に背負っていた長い包みを差し出した。

「そしてこれを」

クリスティアンが受け取る。

布を解く。

現れたのは。

一振りの剣だった。


銀色の刀身。

使い込まれた鍔。

歴戦を物語る細かな傷。

しかし今なお美しい…パオロ・ビリンデッリが愛用した騎士剣『レジスタ』


クリスティアンの呼吸が止まる。

「これは……」

声が震える。

「父様の……」


アンジェリカは頷いた。

「ええ」

優しく微笑む。

「あの人のお墓に飾りっぱなしにするより」

剣を見つめる。

「あなたが使う方が、あの人も喜ぶわ」


クリスティアンは『レジスタ』を握る。

重い。

だが不思議と手に馴染む。

まるで。

ずっと前から自分の物だったかのように。

父の温もりが残っている気がした。

その時だった。

柄を握り直そうとして、クリスティアンは違和感に気付く。


「……あれ?」


鞘の先端近く。

革紐で小さな布袋が結び付けられていた。

手のひらに収まるほどの小さなお守り。

丁寧な刺繍が施されているが、どこか不格好で素人仕事なのが分かる。

クリスティアンが目を瞬かせる。

「母様、これは?」


アンジェリカは少しだけ顔を赤くした。

「気付いちゃった?」

照れ臭そうに笑う。

「その剣をお墓から持って帰った日に付けたの」


クリスティアンはお守りを見つめる。

見慣れた縫い方だった。

幼い頃に着ていた服のほつれを直してくれた時と同じ。

母の手仕事だ。


アンジェリカは視線を逸らしながら続ける。

「神官様に祝福していただいた布と、あなたが小さい頃に使っていた毛布の切れ端を中に入れてあるの」

そして少しだけ寂しそうに微笑んだ。

「騎士団の鎧にもなれないし、剣にもなれないけれど……せめて母親らしいことをしておきたくて」


クリスティアンの胸が熱くなる。

「母様……」


アンジェリカは首を横に振った。

「開けちゃ駄目よ?」

「え?」

「中を見たら効き目がなくなるんだから」

真顔で言う。

だがその直後、自分でも少し可笑しくなったのか小さく笑った。


クリスティアンも思わず吹き出した。

「なんですかそれ」

「母親の勘よ」

「全然信用できません」

「失礼ね」

二人は顔を見合わせる。

そして同時に笑った。


旅立ち直前になってようやく。

いつもの母と息子の顔に戻れた気がした。

クリスティアンはそっとお守りを握る。

そして父の剣――『レジスタ』の鞘へ視線を落とした。

英雄パオロ・ビリンデッリの剣。

その鞘には今。

英雄の証だけではなく。

母の願いも結び付けられている。


クリスティアンは大切そうにお守りへ触れた。

「必ず持って帰ります」


アンジェリカは涙を堪えながら頷く。

「ええ」

「約束よ」

その小さなお守りは。

これから始まる長い旅路で。

誰よりも強くクリスティアンを守ろうとする母の想いそのものだった。


クリスティアンがゆっくりと顔を上げる。

アンジェリカを見る。

そして深く頭を下げた。

「母様」

声は力強かった。

「お身体に気を付けてください」

一呼吸置く。

「今生の別れかもしれません」

アンジェリカの瞳が揺れる。


クリスティアンは背筋を伸ばした。

父譲りの青い瞳。

母譲りの優しい顔立ち。

もう少年ではない。

旅立つ一人の剣士だった。

「改めて――」

剣を胸に当てる。

「クリスティアン・ビリンデッリ」

力強く宣言する。

「行って参ります!」


その瞬間。

歓声が上がった。

拍手が響く。

村中の人々が叫ぶ。

「頑張れー!!」

「英雄になれよ!!」

「絶対帰って来い!!」

「パオロ様の息子ならやれる!!」

ディメトリオも。

神官も。

教師達も。

皆が手を振っている。


アンジェリカも泣きながら笑っていた。

「行ってらっしゃい」

その一言だけ。

だが。

そこには母親としての全てが込められていた。


クリスティアンは馬車へ乗り込む。

御者が鞭を鳴らす。

馬車がゆっくりと動き始めた。

デッレ・アルピ村が遠ざかっていく。

故郷が小さくなっていく。

誰も見ていない馬車の中。

クリスティアンは窓際に座った。

膝の上には父の剣。

その柄を強く握る。

そして。

堪えていた涙が溢れた。


大粒の涙だった。

ぽろぽろと落ちる。

止まらない。

故郷。

母。

仲間。

思い出。

全てが胸に押し寄せる。

だが。

その涙は弱さではなかった。

決意の涙だった。

クリスティアンは涙を拭う。

レジスタを胸に抱く。

そして静かに。

しかし誰よりも力強く誓った。


「必ず――」

拳を握る。

「必ず出世して戻ります」

青空の向こう。

サンシーロへ。

世界へ。

英雄パオロ・ビリンデッリの息子ではなく。

一人の剣士。

クリスティアン・ビリンデッリとして。

その第一歩が今、始まった。



episode1(Departure)  fin

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