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ビリンデッリの血〜東西大陸百年戦記〜  作者: エリカサファイア
episode0(Prologue)

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episode0(Prologue)Chapter2

場面は変わり、デッレ・アルピ村の一角。


初夏の柔らかな陽射しの下で、アンジェリカ・ビリンデッリは鼻歌を歌いながら洗濯物を干していた。

挿絵(By みてみん)

洗い立ての白いシーツが風に揺れる。

その表情はどこか明るい。

自然と口元が緩んでしまうのを隠せない様子だった。


すると隣家の主婦が微笑みながら声をかけた。

「アンジェリカ婦人〜。」


「はい?」


「本日は大層ご機嫌そうで。」


アンジェリカは目を丸くした。

「えっ!?そうでしょうか?」

思わず頬を赤くする。


その様子を見て周囲の主婦たちが笑い出した。

「ふふふ。隠さなくても分かりますわ。」


別の主婦が肩をすくめる。

「パオロ様がお帰りになられるのでしょう?三ヶ月ぶりの凱旋ですもの。無理もないわ。」


アンジェリカはますます顔を赤くした。

「もう、皆様ったら……。」


だが否定はしない。

それが何よりの答えだった。


主婦たちは優しく笑う。


この村の男たちの多くは東西戦争へ駆り出されている。

夫の帰りを待つ気持ちは誰もが同じだった。


アンジェリカは少し表情を和らげた。

「皆様の旦那様も無事にお帰りになられて何よりですわ。」


すると隣の主婦が大袈裟に手を振った。

「何をおっしゃいますか!」


周囲が吹き出す。


「うちのボンクラなんて戦場で膝抱えて丸くなってるだけですわよ!パオロ様とは天地の差です!」

「あははは!」


再び笑い声が広がった。

アンジェリカも思わず口元を押さえる。


その時だった。

遠くから若い男の悲鳴のような声が響いた。

「おーい!!」

皆が振り返る。

「誰かぁぁぁ!!」

切羽詰まった声だった。

「手を貸してくれぇぇ!!」


主婦たちの笑顔が消える。


別の主婦が首を傾げた。

「あら?どうしたのかしら……?」


アンジェリカも声の方向へ視線を向ける。

その瞬間だった。

彼女の表情が変わった。

長年の経験が警鐘を鳴らしていた。

戦場から帰る兵士。

助けを求める叫び。

嫌な予感しかしない。

洗濯籠を放り出す。


「アンジェリカ婦人?」

呼び止める声も聞かず、彼女は走り出した。


裾を掴みながら石畳を駆ける。

そして村の入口近くまで辿り着いた時――。

アンジェリカは息を呑んだ。


若い便箋配達の青年が、一人の男を肩に担ぎながら必死に歩いていた。


全身が血に染まっている。

鎧は砕け。

包帯は赤黒く染まり。

滴り落ちた血が道を汚していた。

その男の顔を見た瞬間。

アンジェリカの世界が止まる。


パオロだった。

意識を失い、力なく頭を垂れている。


青年はアンジェリカに気付くと安堵したような顔になった。

「お、おお!助かったぁ!」

肩で荒く息をしながら叫ぶ。

「この人、騎士団のパオロ・ビリンデッリ様だよな!?家はこの辺だったはずなんだけど……!」


アンジェリカは一瞬だけ顔を手で覆った。

震える指先。

胸の奥から込み上げる恐怖。

だが――。

次の瞬間には消えていた。


戦争が始まってから何度目だろう。

彼女は知っている。

今、自分が取り乱してはならないことを。

ゆっくりと手を下ろす。

そして毅然とした表情を作った。


「私が彼の妻です。」


青年が目を見開く。

アンジェリカはパオロの腕を肩に回した。

「すぐに家まで運びます。」

そして真っ直ぐ青年を見た。

「申し訳ありませんが、もう少しだけお手伝い願えますか?」

挿絵(By みてみん)

青年は慌てて頷く。

「わ、わかった!もちろんだ!」


二人は力を合わせる。

意識のないパオロを支えながらゆっくりと歩き始めた。

家までの道のりは決して長くない。


だがアンジェリカには永遠にも感じられた。

夫の身体から伝わる熱。

包帯越しに滲む血。

そして弱々しい呼吸。


どうか生きていて。

どうか今回も――。


祈るような思いを胸に抱きながら、アンジェリカは一歩ずつ前へ進んでいった。

二人は力を合わせながらパオロを寝室へ運び込む。


「そっと……お願いします。」

アンジェリカの指示に従い、青年は慎重にパオロの身体を支える。


やがて寝台へ横たえられると、アンジェリカは迷うことなく机の引き出しを開けた。

中から取り出したのは小さな医療用のハサミだった。

「少し下がっていてください。」

そう言うなり、彼女はパオロの身体に巻かれた包帯へ刃を入れる。

チョキ、チョキ、と小気味よい音が響く。


何度も繰り返してきた作業だった。

包帯が解かれていく。


そして最後の一枚が外された瞬間――。

青年は息を呑んだ。


「うっ……」


胸から脇腹にかけて走る深い裂傷。

剣で抉られた跡。

無数の打撲痕。

治りかけた傷の上に新たな傷が重なり、歴戦の兵士であることを雄弁に物語っていた。

さらに長旅の影響もあり、一部は化膿しかけている。

独特の臭いが室内に漂った。


青年は思わず右手で口元を押さえる。

「うぇ……」

顔色が悪くなる。


しかしアンジェリカは眉一つ動かさなかった。

慣れていた。

あまりにも。


棚から取り出したポーションを清潔な布へ染み込ませる。

そして傷口を丁寧に拭いていく。


血の塊。

汚れ。

化膿しかけた部分。


一つ一つを根気よく取り除いていく。

まるで壊れ物を扱うような優しい手つきだった。

やがて処置を終えると、新しい包帯を取り出す。


腕。

胸。

脇腹。


全てを慣れた手捌きで巻いていく。

無駄のない動きだった。


青年は再び口元を押さえながらも感心したように呟く。

「お……奥さん、すげぇ……」


アンジェリカは最後の結び目を作る。

そして小さく息を吐いた。

「ふぅ……」

険しかった表情が少しだけ和らぐ。


ようやく彼女は青年へ向き直った。

「本当にありがとうございました。」

深々と頭を下げる。

「主人を助けていただき感謝しております。」

さらに続ける。

「あなたが運んでくださらなければ、手遅れになっていたかもしれません。」


青年は慌てて両手を振った。

「い、いやいや!俺なんか何もしてませんよ!」

顔を赤くしながら俯く。

「失礼なことに何度もえずいてしまって……ただ見ていただけです。」


アンジェリカは優しく微笑んだ。

「無理もありません。」


穏やかな声だった。


「これだけの傷を見て、平然としていられる方の方が少ないのです…まして戦場帰りの傷は独特ですから。」

挿絵(By みてみん)

青年は少し救われたような顔になり、アンジェリカの佇まいに思わず頬を赤面させる。

そして次の瞬間、何かを思い出したように立ち上がった。

「あっ!お、俺、神官様を呼んできます!」

勢いよく扉へ向かう。

「すぐ戻りますから!」


「ええ、お願いします。」


青年は慌てた様子で家を飛び出していった。

足音が遠ざかる。

静寂が訪れた。


アンジェリカは苦笑した。

「あらまぁ……」

誰もいない部屋で小さく呟く。

「お若いのね。」

そして椅子を引き寄せると、眠るパオロの傍へ腰を下ろした。


額へそっと手を伸ばす。

熱はまだ高い。

だが先ほどより呼吸は落ち着いていた。


アンジェリカは安心したように微笑む。

「まだまだ私も若者を惑わせてしまうみたいですよ。」

冗談めかして言う。

「あなたもあまり家を留守にすると、間違いが起こるかもしれませんよ?」


その時だった。

眠っているはずのパオロの眉がわずかに動いた。

口元が少しだけ歪む。


アンジェリカは目を丸くする。

そしてくすりと笑った。

「あらまぁ……」


顔を近づける。

「聞こえました?」

しかし返事はない。

だが確かに反応した。


アンジェリカは優しく囁く。

「心配なら早く起きてください。」

震えそうになる声を懸命に抑えながら。

「早く……あなたの声を聞かせて。」

そう言って身を屈める。

そして眠る夫の頬へ、そっと口づけた。


戦場でも。

死線の向こうでも。

何度傷つこうとも。

帰ってきてほしい。


ただそれだけを願いながら、アンジェリカは静かに夫の手を握り続けていた。

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