episode1(Departure)Chapter11
デッレ・アルピ村へ帰還した翌日。
クリスティアン達はそのまま学校へ向かっていた。
朝の校庭には既に生徒達が集まっている。
西大陸剣術大会へ出場した代表団の帰還。
それだけで村中の話題になっていたのだ。
職員達もどこか浮き足立っている。
やがて全校生徒が講堂へ集められた。
壇上へ立ったのは引率教師だった。
咳払いを一つ。
そして誇らしげに口を開く。
「諸君!」
講堂が静まる。
「まず報告がある!」
生徒達が身を乗り出す。
引率教師は満面の笑みを浮かべた。
「本来出場予定だった代表生徒ジャンルカが怪我を負ったため、急遽クリスティアンが代理を務めた!」
どよめきが起こる。
そして教師は拳を握りしめた。
「そして見事、一回戦突破を果たした!!」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
講堂が爆発した。
「おおおおおおおお!!」
「マジかよ!!」
「すげぇぇぇ!!」
拍手と歓声が響く。
引率教師はさらに続ける。
「デッレ・アルピ校の代表が一回戦を突破したのは――」
声を張り上げる。
「パオロ・ビリンデッリ様以来である!!」
さらに歓声が大きくなった。
教師達ですら拍手している。
しかし。
報告はまだ終わらない。
引率教師は人差し指を立てた。
「しかもだ!」
講堂が再び静まる。
「二回戦ではサンシーロ騎士団所属のエンツォ・コッツァと対戦!」
生徒達がざわつく。
騎士団。
その単語だけで別世界だった。
「惜しくも敗れはしたが――」
教師の声に熱が入る。
「三回戦を棄権に追い込んだ!!」
その瞬間。
講堂が揺れた。
「うおおおおおおおお!!」
「騎士団相手に!?」
「嘘だろ!?」
「クリスティアンやべぇぇぇ!!」
歓声は収まらない。
もはやお祭り騒ぎだった。
その中心で。
ディメトリオが真っ先に飛びついてきた。
「おいおいおいおい!!」
がしっ!と首を掴む。
そして頭をぐりぐりする。
「クリスティアン!!騎士団相手に互角とかお前凄すぎるぞ!!」
「やめろって!!」
クリスティアンが抵抗する。
「いてぇ!いてぇ!」
ようやく解放される。
制服も乱れた。
クリスティアンは肩を竦める。
「互角なんかじゃねえよ」
苦笑い。
「しっかり負けたって」
事実だった。
エンツォは圧倒的に強かった。
勝負になったかどうかすら怪しい。
だが周囲は納得しない。
「それでも凄いよ!」
「騎士団だぞ!?」
「普通なら一瞬で終わるって!」
口々に称賛される。
クリスティアンは困ったように頭を掻いた。
「みんな騒ぎすぎだよ」
少し寂しそうに笑う。
「本当に俺は大したことなんかしてないよ……」
視線が遠くなる。
マウロ。
エンツォ。
コロセウム。
父の名を呼ぶ大歓声。
「あの人達を見た後だとさ」
ぽつりと呟く。
「サンシーロでもそうだったけど……凄いのは父様だから」
その言葉に一瞬だけ空気が静かになる。
すると。
クラスの女子生徒が何気なく尋ねた。
「ねぇクリスティアン」
「ん?」
「やっぱりサンシーロに行くの?」
悪気はない。
純粋な興味だった。
周囲も静かになる。
ディメトリオも振り返る。
剣術教師も腕を組んだ。
「どうするんだ?」
面白そうに笑う。
クリスティアンは固まった。
「え?」
予想していなかった。
「い、いや!」
慌てて腕を組む。
「俺は村を魔獣やならず者から守らなきゃいけないからな!」
そう言った。
言ったのだが。
どこか歯切れが悪い。
ディメトリオが首を傾げる。
「なんか元気なくね?」
「気のせいだ!」
クリスティアンは即答した。
その日の授業。
だが。
明らかに様子がおかしかった。
いつも以上にぼーっとしている。
窓の外を見ている。
ノートも真っ白。
教師の話も聞いていない。
頭の中では。
ずっと。
同じ言葉が繰り返されていた。
――サンシーロに来いよ。
――勿体ねえな。
――パオロ様みたいになれそうなのに。
エンツォの声が
何度も。
何度も。
何度も。
頭の中を巡っていた。
「……ィアン」
声が聞こえる。
「……スティアン」
誰かが呼んでいる。
「クリスティアン!」
後ろから頭を叩かれた。
「へ?」
振り返る。
ディメトリオだった。
前を見る。
いつの間にか剣術教師が目の前に立っている。
教室中が笑いを堪えていた。
教師は呆れた顔だ。
「クリスティアン」
「は、はい!」
「まーたぼーっとしおって」
教卓を指で叩く。
「ほれ」
ニヤリと笑う。
「サンシーロ騎士団の若年層を中心に編成される部隊をなんと言うか答えなさい」
クリスティアンは慌てた。
頭をフル回転させる。
若い騎士団。
若い騎士団。
若い騎士団。
そして。
「あ!」
閃いた。
「そうだ!」
勢いよく立ち上がる。
「ロッソ・ネーロだ!」
教師が頷く。
クリスティアンは自信満々だった。
「リストランテと同じ名前だっけ!」
教室が笑いに包まれる。
教師も吹き出した。
「そうだ正解だ」
そして教師は続けた。
「では逆に」
腕を組む。
「熟練者で編成される部隊をなんと言う?」
「……」
教室が静まり返る。
ディメトリオが肩を震わせている。
教師は苦笑した。
「ビアンコ・ネーロだ」
黒板へ書く。
「覚えておきなさい」
そして少しだけ誇らしげに言った。
「パオロ様はこのビアンコ・ネーロで一個師団を超える約一万人を従えていたのですよ」
教室がどよめく。
「一万人!?」
「すげぇ……」
「流石パオロ様だ……」
クリスティアンも目を丸くした。
そんな話は聞いたことがない。
父は家でそんな事を語らなかったからだ。
「は、はい!」
慌てて頭を下げる。
「覚えておきまーす!」
その間の抜けた返事に。
教室中が大爆笑した。
ディメトリオは机を叩いて笑っている。
教師も肩を揺らしていた。
だが。
誰も気付いていなかった。
クリスティアンだけは。
笑いながらも。
心のどこかで。
『ビアンコ・ネーロ』
という名前を。
何度も何度も反芻していたことに。
まるで。
その響きが胸の奥に引っかかったように。
いつまでも。
いつまでも。
消えなかった。
--
放課後。
夕暮れのデッレ・アルピ村。
石畳の道を、クリスティアンとディメトリオが並んで歩いていた。
西日に染まる畑の向こうから、収穫を終えた農民たちの笑い声が届く。広場では子供たちが木剣を振り回し、その中にクリスティアンの真似をする姿もあった。
「見ろ!俺がクリスティアンだ!」
「じゃあ俺はエンツォ!」
「負けねぇぞー!」
木剣がぶつかる乾いた音に、ディメトリオが吹き出す。
「お前、もう村の英雄じゃねぇか」
クリスティアンは振り返って苦笑した。
「やめてくれよ」
頭を掻く。
「父様ならともかく、俺なんか」
「またそれか」
ディメトリオが呆れたように言う。
「もう少し自信持てよ」
しばらく、二人の間に沈黙が落ちた。
風が吹き、麦畑が揺れる。
やがてディメトリオがぽつりと聞いた。
「なぁ」
「ん?」
「サンシーロ、楽しかったか?」
クリスティアンの足が止まる。
見慣れた村の夕景が、ふいに遠く感じられた。
頭に浮かぶのは、別の光景だった。
数万人の歓声。
巨大なコロセウム。
マウロの剣。
エンツォの剣。
そして――
『ビリンデッリ!!』
という大歓声。
クリスティアンは少しだけ笑った。
「……まぁな」
「だろ」
ディメトリオも笑う。
「顔見りゃわかる」
「そんなにわかりやすいか?」
「めちゃくちゃな」
即答だった。
「今日の授業、全然聞いてなかっただろ」
「うっ」
痛いところを突かれる。
「いや、あれは」
「サンシーロのこと考えてたんだろ?」
「……」
図星だった。
ディメトリオは肩を竦める。
「別にいいじゃねぇか」
「何がだよ」
「行きたいなら、行きたいで」
クリスティアンが足を止めた。
ディメトリオは真顔だった。冗談ではない。本気だ。
「俺は」
クリスティアンが視線を落とす。
「村に残るって決めたんだ」
「知ってる」
「母様を一人にできない」
「それも知ってる」
「魔獣が出たらどうする」
「それも正しい」
ディメトリオは全部受け止めた。
それでも、言葉を続ける。
「でもさ」
夕陽を見ながら言った。
「それ、本当にお前の夢か?」
クリスティアンは黙る。
答えられなかった。
ディメトリオは続けた。
「村を守るのは立派だよ」
「俺もそう思う」
「だけど」
少し笑う。
「サンシーロの話してる時のお前、すげぇ楽しそうだったぞ」
クリスティアンは目を逸らした。
「そんなことねぇよ」
「ある」
即答。
「マウロの話してる時とか、特にな」
「……」
「エンツォに負けた話してる時ですら、楽しそうだった」
「負けたんだぞ、俺」
「だからだよ」
ディメトリオは笑った。
「悔しそうで、面白かった」
クリスティアンは言い返せなかった。
やがて村の分かれ道に着く。
ここで二人はいつも別れる。
ディメトリオは立ち止まった。
「まぁ」
軽く手を振る。
「どっちでもいいさ」
「どっちでも?」
「村に残ってもいい」
「サンシーロに行ってもいい」
そして笑う。
「ただ、後悔だけはするなよ」
クリスティアンは黙っていた。
ディメトリオは背を向ける。
数歩進んでから振り返り、ニヤリと笑った。
「でも俺は見てみたいけどな」
「何をだよ」
「パオロ様の息子が、どこまで行くのか」
そう言い残して走り去っていく。
「また明日なー!」
夕陽の中へ消えていった。
一人になったクリスティアンは、その場に立ち尽くした。
風が吹く。
村の匂い。
いつもの景色。
守りたい場所。
そのはずだった。
なのに、胸の奥が妙にざわつく。
――サンシーロに来いよ。
エンツォの声。
――君はどこまで僕を興奮させるんだ。
マウロの声。
――それ、本当にお前の夢か?
今度はディメトリオの声。
クリスティアンは空を見上げた。
夕焼けが広がっている。
そして、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……俺の夢って」
その答えは、まだわからない。
だが、少年の心は確かに揺れ始めていた。




