episode1(Departure)Chapter9
エンツォ・コッツァの猛攻は止まらなかった。
ギィィン!!
ガァン!!
バキィッ!!
木刀がぶつかり合う音がコロセウムに響く。
だが。
もはや試合というより一方的な制圧だった。
クリスティアンは歯を食いしばりながら防ぎ続ける。
見たこともない連撃。
体感したこともない速度。
感じたこともない重さ。
剣術教師ですら眉をひそめるほどの高水準な剣技だった。
「くっ……!」
木刀を受けるたびに腕が痺れる。
肩が悲鳴を上げる。
足が沈む。
これまで戦った誰とも違う。
村の魔獣とも。
学校の生徒とも。
まるで違う。
これが。
現役騎士団。
戦場を生き抜く剣士の実力だった。
観客席では引率教師が青ざめていた。
「あわわわわ……」
顔色が悪い。
「これが現役騎士団の実力……」
隣の上級生も苦笑する。
「やっぱり別格ですね」
先ほどまで大歓声だった会場も静かになり始めていた。
誰の目にもわかる。
実力差が。
クリスティアンは善戦している。
だが押されている。
完全に。
観客たちも固唾を飲んで見守っていた。
それでも。
クリスティアンは倒れない。
肩。
腕。
脇腹。
脚。
木刀が掠めるたびに傷が増えていく。
制服は既にボロボロだった。
息も荒い。
視界も揺れる。
それでも。
「まだだ……」
木刀を握る。
「必ずチャンスはある」
そう呟く。
諦めていなかった。
一度でも隙ができれば。
一度でも届けば。
勝機はある。
そう信じていた。
そして。
エンツォが決めに来る。
「これで終わりだ!」
木刀へ魔力が流れ込む。
青白い光。
冷気。
観客席がざわつく。
騎士団式魔剣術。
その一撃で試合を終わらせるつもりだった。
だが。
その瞬間。
クリスティアンの目が光る。
(今だ!!)
踏み込む。
全身全霊。
ありったけの力。
父の形見のように何度も振り続けてきた一撃。
ドォォォン!!
木刀が唸る。
エンツォの攻撃より先に。
クリスティアンの木刀が届いた。
「っ!?」
エンツォが目を見開く。
避けきれない。
胸を掠める。
顎を打つ。
鮮血が飛ぶ。
観客席が総立ちになる。
当たった。
エンツォに。
確かに。
だが。
エンツォは笑った。
「残念だったな」
次の瞬間。
木刀から冷気が噴き出した。
「――アイスバーン」
ゴォォォッ!!
氷魔法が炸裂する。
クリスティアンの脚が一瞬で凍り付く。
「なっ!?」
動けない。
そこへ。
エンツォの木刀が閃いた。
バキィィン!!
手首を打つ。
激痛。
木刀が宙を舞う。
石畳へ転がる。
勝負は決した。
審判が叫ぶ。
「勝者!!」
会場全体が静まり返る。
「エンツォ・コッツァ!!」
歓声が爆発した。
『コッツァァァァ!!』
『エンツォ!!』
『騎士団!!』
スタンドが揺れる。
クリスティアンは地面に座り込んでいた。
「ぎゃああああああ!!」
手首を押さえる。
既に青黒く変色している。
「いてぇぇぇぇ!!」
先ほどまでの格好良さが消えた。
上級生が吹き出す。
「ははは!」
「最後まで締まらねぇな!」
一方。
エンツォは木刀を掲げる。
右手を高く突き上げた。
「騎士団の名誉は守ったぜ!」
歓声がさらに大きくなる。
騎士団支持者たちが大喜びしていた。
引率教師は肩を落とす。
「ダメだったか……」
がっくりとうなだれる。
しかし。
上級生は立ち上がった。
そして大きく拍手する。
「惜しかった!」
パンパンパン!
「よく頑張ったぞクリスティアン!」
観客席からも拍手が起こる。
負けた。
だが誰も彼を笑わない。
むしろ称賛していた。
騎士団候補をここまで追い詰めたのだから。
剣術教師も静かに微笑んでいた。
満足そうだった。
勝敗ではない。
彼が見たかったもの。
それは。
クリスティアンが世界を知ること。
そして。
自分より強い相手へ挑むことだった。
それは十分果たされた。
スタンドではマウロ・ミッコリが立ち上がる。
大きな拍手。
惜しみない称賛だった。
「見事だエンツォ!」
そして。
闘技場へ向かって叫ぶ。
「そしてクリスティアンも素晴らしかった!」
観客席からも拍手が広がる。
敗者への敬意。
それは剣士たちにとって最高の賛辞だった。
エンツォが歩み寄る。
そして右手を差し出した。
「へっ」
笑う。
「なかなかやるじゃねえか」
クリスティアンを見る。
「サンシーロに来いよ」
純粋な誘いだった。
挑発ではない。
認めたからこその言葉。
クリスティアンは少し驚いた。
そして。
負傷していない左手を差し出す。
固い握手。
「強かった……」
素直な言葉だった。
「完敗だ」
少しだけ笑う。
「でも残念だけど」
視線は遠く。
「俺は村を離れられないよ」
エンツォは眉を上げた。
「そうなのか?」
少し残念そうに笑う。
「勿体ねえな」
肩を竦める。
「サンシーロで本格的に学べば」
そして。
真っ直ぐクリスティアンを見る。
「パオロ様みたいになれそうなのに」
クリスティアンの表情が変わる。
「父様のように……か」
初めてだった。
父と比べられて嫌な気がしなかったのは。
エンツォは笑う。
「まぁいい」
背を向ける。
「いつでも待ってるぜ」
そう言って去ろうとした。
その時だった。
ふらり。
エンツォの身体が揺れる。
「……あ?」
足が止まる。
視界が歪む。
呼吸が乱れる。
ドサッ。
片膝をついた。
会場がざわつく。
「おい!?」
「どうした!?」
「怪我か!?」
エンツォ自身も困惑していた。
胸を押さえる。
呼吸が荒い。
「まさか……」
視線がクリスティアンへ向く。
「胸と顎に受けた一撃が……?」
信じられない。
あれは掠っただけだ。
致命傷でも何でもない。
それなのに。
身体が言うことを聞かない。
「いや……」
汗が流れる。
「掠めただけだぞ……?」
そして。
ようやく理解した。
クリスティアンの一撃が。
想像以上に深く身体へ響いていたことを。
医療班が駆け寄る。
審判も慌てる。
エンツォは苦笑した。
「すいません」
呼吸を整えながら言う。
「三回戦は棄権します」
一瞬。
コロセウムから音が消えた。
歓声も。
ざわめきも。
拍手さえも。
誰もがその言葉の意味を理解できず、ただ呆然とエンツォを見つめる。
そして。
数拍遅れて。
『なにィィィ!?』
『棄権だと!?』
『エンツォが!?』
『冗談だろ!?』
爆発したような動揺が会場を飲み込んだ。
観客席が揺れる。
選手たちも立ち上がる。
教師たちも顔を見合わせる。
勝者だったはずの男が。
現役騎士団の実力者が。
次を戦えない。
その事実が信じられなかった。
「まさか……クリスティアンの一撃で?」
誰かが漏らした呟きが。
波紋のように広がっていく。
ざわめきは次第に驚愕へ変わった。
ただ一人。
マウロ・ミッコリだけが静かだった。
騒然とする観客席の中で。
彼だけが目を細める。
そして。
誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「そうか……」
その一言には重みがあった。
驚きではない。
確信だった。
「やはり君は――特別だ」
周囲の喧騒とは対照的に。
その声だけが不思議なほど静かに響く。
視線の先には。
何が起きたのか理解できず、呆然と立ち尽くすクリスティアン・ビリンデッリ。
敗者のはずだった少年。
だが今この瞬間。
誰よりも多くの視線を集めていた。
マウロはわずかに笑う。
「本当に面白いな、クリスティアン」
観客たちの動揺はまだ収まらない。
エンツォの棄権。
その理由。
そしてクリスティアンという存在。
誰もが考え始めていた。
大会はまだ終わっていない。
だが。
この日、コロセウムにいた者たちはきっと忘れない。
現役騎士団を戦闘不能寸前まで追い込み。
本人すら気づかぬまま結果を残した、一人の少年のことを。
その余韻だけが。
いつまでも会場に残り続けていた。




