episode1(Departure)Chapter6
試合開始の時間が近づいていた。
選手控室では、それぞれが最後の準備を進めている。
剣を確かめる者。
瞑想する者。
緊張で落ち着かず歩き回る者。
そんな中――。
「ほら、クリスティアン」
上級生が笑いながら声をかける。
「そろそろ本番だぞ」
クリスティアンは深呼吸を一つした。
だが緊張している様子はない。
むしろ――。
「よーし!」
勢いよく立ち上がる。
そして教師たちを指差した。
「先生達!!」
嫌な予感がした。
「優勝したらリストランテですからね!!」
教師陣がずっこけそうになる。
「まだ一回戦だぞ!」
「まず勝て!」
「飯のことしか考えてないのかお前は!」
だがクリスティアンは気にも留めない。
「約束ですよー!」
そう叫びながら壇上へ向かって駆けていった。
上級生が頭を抱える。
「本当に大丈夫かあいつ……」
--
そして――。
闘技場。
数万人の観客が見守る中、クリスティアンが入場する。
その瞬間だった。
『ビリンデッリ!!』
『ビリンデッリ!!』
『ビリンデッリ!!』
『ビリンデッリ!!』
地鳴りのような歓声。
再び会場全体が揺れた。
旗が振られる。
太鼓が鳴る。
発煙筒の煙が舞い上がる。
まるで優勝者の入場だった。
クリスティアンは頭を掻く。
「参ったなぁ……」
苦笑する。
「俺は父様じゃないよ」
だが歓声は止まらない。
観客たちは彼自身ではなく。
パオロ・ビリンデッリの面影を見ているのだ。
対戦相手も入場する。
鍛え上げられた肉体。
洗練された構え。
明らかに強者だった。
彼はクリスティアンを見据える。
そして鼻で笑った。
「随分と余裕だな」
剣を軽く振る。
その動きは流麗だった。
観客席からも感嘆の声が上がる。
「パオロ様のご息族とはいえ所詮は田舎の学校の代役」
さらに華麗な素振りを見せる。
「この大会の為に三年間腕を磨き続けてきた俺の敵ではない!」
自信に満ちた宣言だった。
普通の選手なら気圧される。
だが。
クリスティアンは首を傾げた。
「へぇ」
ぽつりと言う。
「都会の剣士がどんなもんかと期待したけど」
そして肩をすくめた。
「大したことないな」
会場がざわついた。
対戦相手の額に青筋が浮かぶ。
「なにィ……」
声が低くなる。
「貴様」
剣を構える。
「大観衆を前に大恥をかかせてやる」
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審判が中央へ出る。
「両者、構え!」
会場が静まる。
数万人の視線が集まる。
そして。
「――始め!」
号令が響いた。
瞬間。
対戦相手が消えた。
いや。
あまりにも速かった。
疾風の如き突進。
石畳を砕く勢いで間合いを潰す。
そして。
ガガガガガガガガッ!!
怒涛の連撃。
右。
左。
袈裟斬り。
突き。
逆袈裟。
まるで嵐だった。
観客席から歓声が上がる。
「速い!」
「凄い!」
「決まったか!?」
だが。
クリスティアンは。
カン!
カン!
カン!
紙一重で躱し。
必要最低限の動きで受け流し。
時には剣で受け止める。
汗一つかいていない。
対戦相手の表情が歪む。
「なっ……!」
さらに猛攻。
だが当たらない。
一撃も。
掠りもしない。
そして焦り始めた対戦相手は叫んだ。
「所詮田舎育ちだな!」
剣を振るう。
「全てが未熟!」
さらに振るう。
「よくわからない村で育った人間が!」
最後に大上段から振り下ろす。
「血統だけで一流の剣を身につけるわけがない!!」
その瞬間。
クリスティアンの表情が変わった。
笑顔が消える。
空気が変わる。
観客席の最前列にいたマウロ・コッツァが目を細めた。
(終わったな)
そう感じた。
クリスティアンは静かに言った。
「訂正しろ」
対戦相手が動きを止める。
「……あ?」
クリスティアンの瞳には怒りが宿っていた。
今までの軽い雰囲気が消えている。
「よくわからない村じゃねぇ」
低い声。
会場が静まり返る。
「デッレ・アルピ村だ」
握る剣に力が入る。
「故郷と仲間をバカにする奴は――」
一歩踏み込む。
誰も反応できなかった。
「許さねえ」
ドォォォン!!
空気が爆ぜた。
次の瞬間。
対戦相手の身体が吹き飛んでいた。
剣ごと。
防御ごと。
全てまとめて。
まるで巨人に殴られたかのように。
観客席が総立ちになる。
対戦相手は十数メートル吹き飛び――。
闘技場の壁へ激突した。
ドガァァァン!!
石壁が揺れる。
そして。
そのまま崩れ落ちた。
完全に失神している。
静寂。
誰も言葉を発せない。
最初に我に返ったのは審判だった。
震える声で宣告する。
「しょ……勝者!」
会場中の視線が集まる。
「クリスティアン・ビリンデッリ!!」
その瞬間。
コロセウムが爆発した。
『ビリンデッリ!!』
『ビリンデッリ!!』
『ビリンデッリ!!』
『ビリンデッリ!!』
地鳴りのような大歓声。
観客たちが総立ちになる。
旗が振られる。
太鼓が鳴る。
英雄の名が響き渡る。
控室では。
上級生が呆然としていた。
「か……」
口をぱくぱくさせる。
「勝っちまった」
いや。
勝ったどころではない。
圧勝だった。
引率教師は飛び上がっていた。
「やったぁぁぁぁぁ!!」
両拳を突き上げる。
「何年振りの勝利だ!?」
涙目で叫ぶ。
「パオロ様が我が校の学生だった頃以来だ!!」
周囲の教師たちも大興奮だった。
そして。
剣術教師だけは静かに微笑む。
観客席を埋め尽くす歓声を見つめながら。
壇上に立つ少年を見る。
「どうだ、クリスティアン」
誰にも聞こえない声だった。
だが確かな誇りが込められている。
「これがお前の――」
歓声が響く。
「剣士としての第一歩だ」
その言葉と共に。
クリスティアン・ビリンデッリの名は。
初めてサンシーロの空へ刻まれたのだった。
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試合終了後。
なおも鳴り止まない歓声の中、クリスティアンは観客へ軽く手を振りながら引率陣の元へ戻ってきた。
顔には満面の笑み。
まるで近所の子供たちとの遊びに勝ったかのような気軽さだった。
「先生ー!」
剣術教師へ向かって手を振る。
「勝ちましたよ〜!」
「見ていた」
教師は苦笑する。
「というか見ていない者がいないだろう」
クリスティアンは頭を掻きながら笑った。
「それで先生」
「ん?」
「あと何勝で優勝ですか?」
その言葉に教師たちは顔を見合わせる。
ついさっき一回戦を突破したばかりなのだ。
剣術教師は肩を竦めた。
「あと七勝だな」
「七勝かぁ」
「まだまだだぞ」
教師は笑う。
「ようやく一歩目だ」
すると横から引率教師が飛び込んできた。
目は真っ赤。
涙まで浮かんでいる。
「もう充分だぁぁぁ!!」
クリスティアンがびくっと肩を震わせる。
「うおっ!?」
引率教師は両肩を掴んだ。
「何年振りだと思ってるんだ!」
ぶんぶん揺さぶる。
「行けるところまで行けぇぇ!!」
「わ、わかりましたから!」
「先生落ち着いてください!」
周囲の教師たちが慌てて引き剥がす。
上級生はその様子を見ながら大笑いしていた。
「ははは!」
そしてクリスティアンに向かって叫ぶ。
「優勝してリストランテの飯食わせてくれ!」
クリスティアンも即座に笑い返す。
「任せてください先輩!」
拳を突き上げる。
「一番高いコース食っちゃいましょ!」
「おおっ!」
「それでこそだ!」
「俺も食うぞ!」
教師たちまで便乗し始める。
さっきまで辺境の学校だった集団とは思えないほど盛り上がっていた。
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その様子を少し離れた観客席から見つめる者がいた。
マウロ・ミッコリ。
若くして前線で武功を立てた天才剣士。
彼は黙ってクリスティアンを見つめていた。
その瞳には優しい光が宿っている。
そして。
気付けば一筋の涙が頬を伝っていた。
「先生……」
誰にも聞こえない声。
「あなたの忘れ形見は」
視線の先ではクリスティアンが笑っている。
仲間たちと笑い合い。
教師たちに囲まれ。
父によく似た笑顔を浮かべている。
マウロは目を細めた。
「こんなにも素晴らしい」
かつて憧れ続けた英雄。
パオロ・ビリンデッリ。
その血が。
その魂が。
確かに受け継がれていた。
その肩にぽんと手が置かれる。
振り返る。
そこにはエンツォ・コッツァが立っていた。
彼もまた優勝候補の一人。
鋭い眼差しの奥に闘志を宿している。
エンツォは観客席の下を見ながら言った。
「だがマウロよ」
マウロが顔を上げる。
エンツォは苦笑した。
「次は俺があいつの相手だ」
クリスティアンの名前は既に次戦の対戦表に記されている。
「残念ながらここまでだな」
肩を叩く。
冗談めいた口調だったが、その瞳は本気だった。
マウロはしばらく黙っていた。
そして。
ふっと寂しそうに笑う。
「そうか……」
視線を闘技場へ戻す。
「それは残念だ」
本当に残念そうだった。
もっと彼の試合を見ていたかった。
もっと成長する姿を見たかった。
そんな思いが滲んでいる。
エンツォは鼻で笑った。
「おいおい」
「ん?」
「まるで俺が負けて欲しいみたいな言い方じゃねぇか」
マウロも少し笑う。
「さてな」
エンツォは肩を竦める。
そして背を向けた。
「決勝で会おうぜ」
それはライバルへの宣言。
必ず勝ち上がるという自信。
そして約束だった。
「じゃあな」
マウロはその背中を見送る。
「……ああ」
静かに答えた。
観客席の向こうでは、まだビリンデッリコールが続いていた。
『ビリンデッリ!!』
『ビリンデッリ!!』
『ビリンデッリ!!』
その歓声の中心で笑う少年はまだ知らない。
次の相手が。
この大会屈指の実力者であることを。
そしてその試合が。
彼自身の実力を西大陸中に知らしめる戦いになることを。




