episode1(Departure)Chapter4
昼食を終えた一行は、大会会場近くに設けられた練習場へ移動していた。
明日の本番に備え、選手たちは最後の調整を行っている。
その中でも注目を集めていたのは、やはり足を負傷した上級生だった。
「本当に大丈夫なんですか?」
引率教師の一人が心配そうに尋ねる。
上級生は静かに頷いた。
そして足に巻かれていた包帯を解き始める。
固定具も外す。
周囲の教師たちは息を呑んだ。
まだ完治には程遠い。
それでも彼は立ち上がる。
「ここまで治療に専念してきました……」
ゆっくりと足に体重を乗せる。
わずかに顔をしかめるが、それでも倒れない。
「なんとか動いてみせます!」
その言葉には、この大会へ懸けてきた想いが滲んでいた。
剣術教師は複雑そうな表情を浮かべる。
「無理はするな」
静かな声だった。
「お前にはまだまだ将来もある」
上級生は頷いた。
だが瞳の奥の闘志は消えていない。
そんな空気を吹き飛ばしたのはクリスティアンだった。
木剣を肩に担ぎながらニヤニヤしている。
「へへっ、先輩〜」
上級生が振り返る。
「代表に選ばれる腕前、見せてください!」
あからさまな挑発だった。
周囲の教師たちが顔をしかめる。
しかし上級生は逆に笑った。
「言うじゃないか」
木刀を構える。
「だが、あまり舐めるなよ!」
次の瞬間。
地面を蹴った。
負傷しているとは思えない鋭い踏み込み。
一気に間合いを潰す。
「おおっ!」
引率教師が思わず声を上げる。
「よかった! 元の迫力が戻ってる!」
誰もが安堵した。
これなら出場できるかもしれない。
そう思った。
しかし――。
その希望は一瞬で打ち砕かれる。
カンッ!!
乾いた音が響いた。
何が起きたのか理解できた者は少ない。
クリスティアンはその場からほとんど動いていなかった。
ただ木剣を軽く振っただけ。
それだけだった。
だが。上級生の木刀は遥か上空へ舞い上がっていた。
くるり。
くるり。
青空の下で一回転。
二回転。
そして。
ドスッ!
地面へ突き刺さる。
練習場が静まり返った。
誰も言葉を発せない。
上級生本人ですら目を丸くしている。
クリスティアンは首を傾げた。
「先輩」
木剣を肩に担ぎ直す。
「まだまだ鈍ってるでしょ?」
にっと笑った。
「勘を取り戻すまで相手しますよ!」
教師たちは絶句した。
負傷していたとはいえ、相手は学校代表。
三年生のエース。
それを一合で武器ごと弾き飛ばしたのだ。
しかも本人は本気ですらない。
上級生はしばらく呆然としていた。
だがやがて――。
ふっと笑う。
「ははっ……」
肩の力が抜けたような笑みだった。
そして両手を上げる。
「降参だ、クリスティアン」
「え?」
クリスティアンは目を瞬かせる。
「先輩、まだ足が――」
「いや」
上級生は首を振った。
「足もだがな」
そして地面に突き刺さった自分の剣を見る。
苦笑しながら続けた。
「クリスティアン」
「はい」
「やっぱり君が出るべきだ」
教師たちが息を呑む。
上級生はまっすぐ後輩を見つめた。
「俺の足が万全でも」
少しだけ悔しそうに笑う。
「君に勝てる気がしない」
沈黙。
誰も否定できなかった。
剣術教師も。
引率教師たちも。
そしてクリスティアン本人でさえ。
この時初めて理解し始めていた。
自分が思っている以上に、自分の剣は特別なのだと。
遠く離れた観客席では、他校の選手たちが練習を終えて戻り始めていた。
その中の何人かは、今の光景を目撃していた。
そして後にこう語ることになる。
――西大陸剣術大会に、とんでもない無名の怪物が紛れ込んできた、と。
練習場には、まだ衝撃が残っていた。
一合。
たった一合で学校代表の木剣を弾き飛ばした少年。
教師たちも他校の選手たちも、どこか現実味を失った表情をしている。
そんな中。
当の本人だけが困惑していた。
「か、勘弁してくださいよ!」
クリスティアンは慌てて両手を振る。
「二年の俺に代役なんて……!」
まるで無茶振りされた子供のような反応だった。
だが上級生は笑っている。
剣術教師も笑っている。
なぜか自分以外の全員が納得していた。
「先生!何とか言ってくださいよ!」
助けを求めるように振り返る。
すると剣術教師は腕を組みながら愉快そうに言った。
「だから準備をしておけと言っただろ」
「聞いてませんでした!」
「聞いてなかったのはお前だ」
周囲から笑いが起きる。
クリスティアンは頭を抱えた。
「そんなぁ……」
その肩に、ぽんと手が置かれる。
振り返ると上級生だった。
「お前なら納得して任せられる」
先ほどまで悔しそうな顔をしていた男とは思えないほど晴れやかな表情だった。
「先輩……」
「代役なんだから気負うな」
肩を抱く。
「気楽にやってくれ」
「いやいやいや!」
クリスティアンは全力で首を振った。
「気楽にって!」
「おう」
「王国中から強い奴ら集まってるんでしょ!?」
「そうだな」
「全然気楽じゃないじゃないですか!」
上級生は豪快に笑った。
教師たちも苦笑する。
だが誰一人として代役の話を取り消そうとはしなかった。
「えぇぇぇっ……」
クリスティアンはとうとう天を仰いだ。
辺境の村で静かに暮らす予定だった人生が、少しずつおかしな方向へ転がっている気がした。
その様子を見ながら、剣術教師はそっと胸中で呟く。
(よし……)
口には出さない。
だが内心では小さく拳を握っていた。
(これでクリスティアンが大会に出られる)
サンシーロ。
王国最高峰の才能が集う場所。
そこで何かを感じてほしい。
何か一つでも心を動かされてほしい。
村だけではない世界を知ってほしい。
(何か感じてくれたら……)
それだけで十分だった。
--
その頃。
大会本部では代表変更の手続きが行われていた。
引率教師が書類を提出する。
受付担当者は慣れた様子で目を通していたが――。
途中で手が止まった。
「代表変更……」
書類を見直す。
そして小さく呟いた。
「ビリンデッリ……?」
隣の職員も反応する。
「どうした?」
担当者は名前を指差した。
「いや……まさか」
再び書類を見る。
クリスティアン・ビリンデッリ。
年齢十七歳。
デッレ・アルピ高等部。
担当者は思わず息を呑んだ。
「ビリンデッリ……まさか」
その姓には特別な意味があった。
百年戦争を生きた者なら知らぬ者はいない。
英雄パオロ・ビリンデッリ。
数々の戦場で王国を救った伝説の騎士。
その名を継ぐ者が現れたのだ。
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同時刻。
大会会場の別区画。
最終調整を行う有力選手たちの姿があった。
木剣の音が響く中、一人の青年がふと大会運営の掲示板へ視線を向ける。
マウロ・ミッコリだった。
同年代にして既に前線で武功を挙げる若き騎士。
その隣にはエンツォ・コッツァもいる。
二人とも大会優勝候補として名を知られていた。
マウロは張り出された代表変更一覧を見つめる。
「ビリンデッリ……」
エンツォも気付く。
「本当だ」
二人は顔を見合わせた。
エンツォが先に口を開く。
「あの英雄の息子か」
マウロは答えなかった。
ただ、その名を見つめる目がわずかに細くなる。
どこか懐かしむような、あるいは何かを確かめるような視線だった。
「どうした?」
エンツォが不思議そうに尋ねる。
マウロはすぐにいつもの笑みを浮かべた。
「いや」
木剣を肩に担ぐ。
「少し興味が湧いただけだ」
空気がわずかに変わる。
二人とも英雄譚を聞いて育った世代だった。
パオロ・ビリンデッリ。
戦場で伝説を残した男。
その息子が、今大会に出場する。
マウロはゆっくり木剣を肩に担いだ。
口元には不敵な笑み。
「面白そうだな」
エンツォも静かに笑う。
「同感だ」
まだ誰も知らない。
当のクリスティアン本人だけが、自分がどれほど注目され始めているのか理解していなかった。
そして大会初日。
彼はその事実を嫌というほど思い知ることになる。




