episode1(Departure)Chapter3
午後の授業が終わろうとしていた頃だった。
教室の扉が開き、職員が顔を覗かせる。
「クリスティアン・ビリンデッリ。至急、職員室へ来るように」
教室がざわつく。
クリスティアンは面倒そうに頭を掻いた。
「またか……」
一緒にいたディメトリオが吹き出す。
「今度は何やったんだ?」
「知らねぇよ」
クリスティアンは立ち上がりながら肩をすくめた。
「どうせまた説教だろ」
「じゃあ俺も行く」
「なんでだよ」
「面白そうだから」
結局、二人は揃って職員室へ向かうことになった。
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職員室の扉を開ける。
すると剣技教師をはじめ数人の教師が待っていた。
その様子を見たクリスティアンは露骨に嫌そうな顔をする。
「なんですか?」
ため息交じりに言った。
「また説教ですか?」
教師たちの眉がぴくりと動く。
その横でディメトリオが笑った。
「先生。こいつに座学なんて無駄ですよ」
「おい」
「頭まで筋肉ですから」
職員室に失笑が広がる。
クリスティアンも思わず苦笑した。
「そこまで言う必要ないだろ」
いつもの軽口。
教師たちも半ば慣れている。
しかし今日の呼び出しは説教ではなかった。
剣技教師は静かに口を開く。
「クリスティアン」
その声色に、いつもの小言とは違うものを感じた。
「彼を見てくれ」
教師が視線を向けた先。
そこには一人の男子生徒がいた。
松葉杖をつきながら椅子に腰掛けている。
足には厳重な固定具が巻かれていた。
「あっ」
ディメトリオが目を見開く。
「先輩!どうしたんですか!?」
思わず駆け寄る。
「酷い怪我だ……来週サンシーロの剣術大会でしたよね?」
彼の表情が曇った。
「すぐに僕が治療を――」
だが。
「待て」
別の教師が制した。
ディメトリオが振り返る。
「え?」
教師は首を横に振った。
「回復魔術はドーピング扱いになるんだ」
「ドーピング?」
「細胞を活性化させて再生するんだからな。競技規定で禁止されている」
ディメトリオは言葉を失った。
確かに回復魔術は治療ではある。
しかし同時に、通常では不可能な速度で肉体を再生させる力でもある。
大会前に使えば不正行為と見なされる。
「そういうことだ」
松葉杖の上級生が苦笑した。
悔しさを隠し切れない顔だった。
「もちろん俺は諦めるつもりはない」
その瞳にはまだ闘志が宿っている。
「残り一週間で治してみせる」
職員室が静まり返る。
そして彼は続けた。
「……ただ、治らなかった場合はな」
そこで教師たちが顔を見合わせる。
進路担当教師が前に出た。
「代役を立てないと彼の進路にも関わる」
「なるほど…欠席の際は代役を立てる力も問われると」
ディメトリオが頷く。
「学校の評判にも関わるんだ」
教師は真剣な表情で言った。
「だから実技の成績に優れたお前に補欠として同行して欲しい」
その言葉に職員室の視線が一斉に集まる。
クリスティアンは少し考えた。
補欠。
つまり本選手ではない。
あくまで保険。
万が一の場合の代理人。
「補欠ですか……」
教師たちは固唾を飲む。
断られる可能性も十分ある。
だが。
「補欠ならまぁ」
クリスティアンはあっさり頷いた。
職員室に安堵の空気が流れる。
ディメトリオは目を丸くした。
「珍しいな」
「補欠だろ?」
クリスティアンは平然としている。
「どうせ出番なんてないし」
教師たちは顔を見合わせた。
嫌な予感がする。
そして案の定、彼は続けた。
「父様が昔いたサンシーロも見てみたいしな」
ニヤリと笑う。
「一日くらい授業サボって観光するようなもんだろ?」
職員室に沈黙が落ちた。
教師たちは頭を抱えたくなった。
この少年は、自分がどれほど期待されているのかまるで理解していない。
だが剣技教師だけは口元を緩めていた。
(それでいい)
まずは連れて行くことが大事だ。
サンシーロを見せる。
本物の才能たちを見せる。
世界の広さを見せる。
そうすれば何かが変わるかもしれない。
クリスティアンはまだ知らない。
この何気ない承諾が、自らの運命を大きく動かす第一歩になることを。
故郷で一生を終えるはずだった少年の人生は――。
来週、サンシーロの地で大きく動き始める。
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翌朝まだ日も昇りきらない時間。
クリスティアンたちを乗せた馬車はデッレ・アルピ村を出発した。
サンシーロまでは馬車でおよそ八時間。
辺境の小村から王国有数の大都市へ向かう長旅である。
最初に通過するのはオリンピコ。
デッレ・アルピ村よりは大きいが、それでも農業を中心とした地方の町だ。
朝靄の中、畑からは湿った土と青草の匂いが漂い、鶏の鳴き声や家畜の声があちこちから聞こえてくる。
朝市の準備をする商人たちの姿が見え、木箱を運ぶ音や荷馬車の車輪が軋む音が静かな町に響いていた。
そこからさらに南へ進むとタルディーニへ至る。
石造りの建物が増え始め、騎士団の詰所や商会の支部も見られるようになる。
鍛冶場からは金属を打つ甲高い音が響き、通りには焼きたてのパンや香辛料の香りが混ざり合っていた。
街道を歩く旅人の数も明らかに増えていた。
そして最後に経由するのがディターリア。
サンシーロの外縁部を支える巨大な商業都市であり、ここまで来ると辺境とはまるで別世界だった。
高い城壁。
石畳の大通り。
色鮮やかな看板。
遠方から集まった商人や職人たち。
荷を呼び込む威勢の良い声が飛び交い、露店からは焼き肉や果実酒の甘い香りが流れてくる。
人波は絶えず動き続け、馬車の窓から見える景色だけでも目が追いつかないほどだった。
クリスティアンは窓から顔を出して何度も辺りを見回していた。
そして――。
正午過ぎ。
ついに馬車は王国最大級の都市へ到着する。
サンシーロ。
巨大な白い城壁が地平線の向こうまで続き、幾本もの尖塔が青空へ向かって伸びている。
近づくにつれ、その規模はさらに圧倒的なものとなった。
城壁の内側には無数の屋根が折り重なるように広がり、遠くには大聖堂らしき巨大な建築物まで見える。
街門には各地から訪れた馬車が列をなし、人々の活気ある声が絶えない。
商人の呼び声、鐘の音、馬のいななき、荷運び人たちの怒鳴り声が幾重にも重なり、まるで都市そのものが唸っているかのようだった。
風に乗って漂うのは焼きたてのパンの香り、香辛料の刺激的な匂い、そして大勢の人々が暮らす街特有の熱気。
辺境育ちの少年には圧倒される光景だった。
「でっけぇ……」
クリスティアンは思わず呟く。
馬車が停車し、一行は順番に降りていった。
地面へ足をつけた瞬間。
クリスティアンは大きく背伸びをした。
「ふぁぁああああぁぁ……」
骨が鳴るほど身体を伸ばす。
「疲れたぁぁぁ!」
八時間近く揺られ続けたのだ。
流石の彼も腰が悲鳴を上げていた。
するとすぐに上級生へ視線を向ける。
「先輩!脚はどうですか?」
期待半分、不安半分の表情だった。
上級生は松葉杖に体重を預けながら苦笑する。
「まだ歩くのがやっとだ……」
そして悔しそうに足を見下ろした。
「あと十二時間で回復は厳しいな」
その言葉に周囲の空気が少し重くなる。
クリスティアンも「そうですか……」と頷いた。
すると剣技教師が近付いてきた。
「クリスティアン」
「はい?」
「君が試合に出るかもしれん」
教師は真面目な表情だった。
「準備はしておきなさい」
だが当の本人は全く緊張感がない。
数秒考えた後。
「先生〜」
間延びした声を出した。
「そんなことより腹減ったよ!!」
教師たちが額を押さえる。
「飯いきましょ飯〜!!」
「お前は……」
呆れる剣技教師。
しかし長旅の後なのは事実だった。
そこで引率教師が苦笑しながら言う。
「今日はこちらで昼食を取ります」
一同の視線が集まる。
「早速行きましょう」
案内されたのは会場近くにあるトラットリアだった。
トラットリアとは家庭料理を中心に提供する大衆食堂のような店である。
高級料理を楽しむリストランテほど格式張っておらず、地元の人々が気軽に利用する温かな雰囲気が特徴だ。
美味しい料理を手頃な価格で味わえるため、旅人や商人にも人気が高い。
店へ向かう途中。
クリスティアンは不満そうに頬を膨らませた。
「えー!」
教師たちが嫌な予感を覚える。
「せっかく都会に来たんだからパァーッとリストランテに行きましょうよ!」
「そんな予算はないわい」
引率教師の一人が呆れる。
剣技教師は笑いながら言った。
「そうだなぁ〜」
わざと考えるふりをする。
「優勝したら高級リストランテに連れて行ってもいいぞ」
その瞬間。
クリスティアンの目が輝いた。
「やったぜ!!」
勢いよく振り返る。
そして松葉杖の上級生の肩を叩いた。
「先輩頼みますよ!!」
「お前なぁ!?」
上級生は思わず吹き出した。
「人任せか!」
一同から笑いが起きる。
重かった空気も少し和らいだ。
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やがて一行はトラットリアへ到着した。
木造の温かな店内には香ばしい匂いが漂っている。
席へ案内されると料理が次々と運ばれてきた。
まずは季節のサラダが運ばれてくる。
新鮮な葉野菜に赤いトマト。
香草の香りと酸味の効いたドレッシングが絶妙だった。
長旅で疲れた身体に染み渡る。
続いて新鮮なアサリのボンゴレ・ビアンコ。
大皿に盛られた細麺のパスタには白ワインとオリーブオイルの香りが絡み、殻付きのアサリが惜しげもなく乗せられている。
クリスティアンは早速一口頬張った。
「うまっ!!」
目を見開く。
「アサリってこんな味するのか!?」
海から遠いデッレ・アルピ村では滅多に食べられない代物だった。
続いて店の名物料理。
黄金色に揚がった巨大なカツレツ。
衣は薄くサクサク。
中の肉は驚くほど柔らかく、噛むたびに肉汁が溢れる。
「これは反則だろ……」
クリスティアンは感動していた。
教師の一人も頷く。
「美味いな……」
「でしょ!?」
なぜか自慢げなクリスティアン。
そして食後。
最後に運ばれてきたのはティラミス。
ふわりとしたクリーム。
ほろ苦いコーヒーの香り。
口の中で溶けるような食感。
クリスティアンは完全に無言になった。
数秒後。
「……天国か?」
真顔で呟く。
教師たちも思わず笑う。
サンシーロ到着初日。
まだ大会は始まっていない。
しかしクリスティアンにとっては既に十分すぎるほど衝撃的な一日だった。
そして翌日。
彼はこの都市で、自分の人生を大きく変える人物と出会うことになる。




