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ビリンデッリの血〜東西大陸百年戦記〜  作者: エリカサファイア
episode1(Departure)

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episode1(Departure)Chapter2

高等部の教室には、昼前の気だるい空気が流れていた。


教壇の前では剣技担当の教師が熱心に講義を続けている。

「マウロ・ミッコリ。彼は皆さんと同じ歳ながらサンシーロ騎士団で前線に立ち、既に活躍しています」

黒板に名前を書きながら教師は続ける。

「エンツォ・コッツァ。彼も皆様より歳下ながら、すでに戦場で戦果を挙げています」


教室のあちこちから感嘆の声が漏れる。

辺境の村に住む少年少女たちにとって、若くして名を上げた騎士たちは憧れの存在だった。


教師は頷いた。

「皆様も同様に活躍しなさいとは言いません。しかし――」


その頃。

窓際の席ではクリスティアンが頬杖をついていた。

春の風が窓から吹き込み、遠くで鳥が鳴いている。

正直なところ退屈だった。

英雄譚も戦術論も耳に入ってこない。

どうせ自分には関係のない話だと思っているからだ。


そんなクリスティアンの態度を見た教師の額に青筋が浮かんだ。

「クリスティアン」

返事はない。

「クリスティアン!」

それでも反応しない。

ついに教師は手元のチョークを摘まみ上げた。

「聞いているのですか!」


ひゅっ――


白い軌跡を描いてチョークが飛ぶ。

教室中の視線が集まった。


しかし次の瞬間。


パシッ。


クリスティアンは顔も向けず、右手を軽く上げただけだった。

飛来したチョークは人差し指と中指の間にぴたりと挟まれている。


一瞬の静寂。そして――


「おぉぉぉ!!」

教室中から感嘆の声が上がった。

「見えたか今の!?」

「速っ!」

「普通に受け止めたぞ!」

女子生徒たちまで目を丸くしている。


クリスティアンはようやく顔を上げた。

「先生、返しますよ」

そう言ってチョークを教壇へ放る。


教師は頭を抱えたくなった。

剣技に関してだけなら、この村どころか近隣一帯でも右に出る者はいない。

だが問題はそこではない。


「クリスティアン!」

教師は声を張り上げた。

「実技が素晴らしいのは結構です。しかし座学もきっちりやらなければなりませんよ!」


教室が静まり返る。

教師はそのまま説教を続けた。

「あなたと同じ歳ながら戦場で活躍しているのはミッコリとコッツァだけではありません」

黒板を指し示す。

「東大陸のジョルディ・バケーロなどは、一個師団を任されていると聞きます」

生徒たちからどよめきが起きる。


一個師団。

数千人規模の軍勢だ。

十代の若者に任されるにはあまりにも大きすぎる責任だった。


教師はクリスティアンを見据えた。

「もっと向上心を持ちなさい。あなたほどの才能が――」


しかし。

その言葉は途中で遮られた。

クリスティアンが静かに席を立ったからだ。


教室中の視線が集まる。


彼は真っ直ぐ教師を見つめて言った。

「諄いようですが」

穏やかな声だった。

だが揺るぎない意思が込められている。

「私はサンシーロには行きません」


教師が言葉を失う。


クリスティアンは続けた。

「この村に骨を埋めるつもりです」


その言葉に教室は静まり返った。

辺境の村の若者にとって、サンシーロへ行くことは成功の象徴だった。


騎士になる。

学者になる。

魔術師になる。

多くの者が夢見る道である。


だがクリスティアンは違った。

栄光にも名誉にも興味がない。

ただ母を守りたい。

ただ故郷を守りたい。

それだけだった。


教師はしばらく沈黙した後、小さくため息を吐く。

「……あなたらしいですね」

呆れたような声だった。

だがどこか諦めにも似た響きがあった。


教室の後ろではディメトリオが苦笑している。

(また始まったな)

そう思いながら。


一方で教師は内心複雑だった。

クリスティアン本人は気付いていない。

しかし彼の才能は、この小さな村に収まるにはあまりにも大きすぎた。


まるでかつてのパオロそのものだった。

だからこそ教師は歯痒かった。

この少年が本気で剣を志せば、どこまで高みに届くのか。

それを想像せずにはいられなかったのである。



--



授業が終わり、夕方の職員室。

窓から差し込む橙色の陽光が机の上を照らしていた。

剣技担当の教師は、採点途中の書類を前に腕を組んでいる。

頭の中を占めているのは、やはり一人の生徒だった。


クリスティアン・ビリンデッリ。


類まれな剣の才能を持ちながら、本人には出世欲も名誉欲もない。

教師は深いため息を吐いた。

「彼の村に残って母親を支え、村を守るという目標は立派だ」

誰に聞かせるでもなく呟く。

「むしろ今時の若者にしては感心するほど立派です」


だが――。


「このまま授業を適当にされると彼のためにもならないし、他の生徒にも悪影響だ」

実技では誰よりも優秀。

しかし座学になると露骨に興味を失う。

周囲の生徒たちもつられて集中力を欠くことがある。

「何かいい方法は……」

教師は椅子にもたれながら天井を見上げた。

その時だった。


職員室の反対側から大きな声が響く。

「なにィ!?怪我をして出られない!?」


職員室中の教師たちが一斉に振り返る。

叫んだのは進路担当の教師だった。

手紙を握りしめたまま青ざめている。


剣技教師は席を立った。

「いかがなさいました?」


進路担当の教師は額を押さえながら答える。

「いえ……彼が来週サンシーロで行われる西大陸剣術大会に出場予定だったのですが……」

手紙を見下ろす。

「訓練中に足を怪我してしまいまして」

肩を落とした。

「医師からも出場は無理だと言われました」


「なんと……」

剣技教師も眉をひそめる。

「それは困りましたなぁ」


西大陸剣術大会。

各地の学校や騎士養成機関から選ばれた若者たちが技を競う由緒ある大会である。

入賞者の中から将来の騎士団幹部や将軍候補が現れることも珍しくない。

推薦枠を失えば学校の評価にも関わる。


「代役を立てる時間もほとんどありませんし……」

進路担当の教師は頭を抱える。


その時。


剣技教師の脳裏に、一人の少年の姿が浮かんだ。

窓際で退屈そうに授業を聞く姿。

飛んできたチョークを二本の指で受け止めた姿。

そして――パオロ・ビリンデッリによく似た横顔。


教師の口元がわずかに緩む。

「先生」

進路担当の教師が顔を上げる。

「私の生徒に、あのパオロ・ビリンデッリ様の息子がおりましてなぁ」

「ほう?」

「代役にいかがでしょうか?」


職員室がざわつく。


数人の教師が顔を見合わせた。

「まさかクリスティアン君ですか?」

「噂の?」

「二年生の天才剣士ですな」


進路担当の教師も名前を聞いたことがあるらしい。

しかしすぐに難しい顔になった。

「あぁ、二年生ながら天才と噂の……」

腕を組む。

「ですが剣術大会は三年生が中心です。大丈夫でしょうか?」


年齢差は決して小さくない。

身体も経験も上級生の方が有利だ。

すると職員室の奥から声がした。


「大丈夫ですよ」


全員が振り向く。

そこには松葉杖をついた男子生徒が立っていた。

怪我をした本人だった。


教師たちが驚く中、彼は苦笑する。

「クリスティアンは天才ですよ」

そして少し肩をすくめた。

「三年の僕の何倍も強いです」


誰も反論できなかった。

彼自身、この学校の剣術部門では最上位の実力者である。

その本人が断言しているのだ。


「彼が代役なら何も異論はありません」


進路担当の教師は目を丸くした。

「そこまでですか……」

「ええ」

怪我をした生徒は即答する。

「正直、僕より上位に行ける可能性があります」


職員室に静寂が訪れた。


そして――。

剣技教師は満足そうに目を細める。

「では決まりですな」

内心では別のことを考えていた。


サンシーロ。

西大陸中の才能が集う場所。


そこで自分より強い者たちと剣を交えれば、クリスティアンの考えも少しは変わるかもしれない。

村だけを見ていた少年が、もっと広い世界を見るかもしれない。


教師は静かに笑った。

「さて……どうやって本人を説得しますかな」

その笑みは、まるで悪戯を思いついた子供のようだった。

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