episode0(Prologue)Chapter13
激戦は続いていた。
互いに幾百もの剣を交わしながらも、なお決着はつかない。
だが――。
パオロの瞳が鋭く細められた。
「そろそろ終わりにしよう、エミリアーノ。」
その瞬間。
彼の全身を淡い青の闘気が包み込む。
大地が軋む。
そして次の瞬間には、パオロの姿が消えていた。
「――ッ!」
観戦していた兵士たちからどよめきが上がる。
神速。
まさにそう呼ぶべき踏み込みだった。
だが。
エミリアーノの口元には笑みが浮かんでいた。
「勝ち急いだか、パオロ・ビリンデッリ!!」
ジャブラニが閃く。
パオロの突撃を読み切ったかのような完璧な迎撃。
勝負は決した。
誰もがそう思った。
だが。
「――読んでいるのはお互い様だ。」
パオロの声。
エミリアーノの剣が空を切る。
紙一重でかわしていた。
さらに体を捻り、その勢いのままレジスタを振り抜く。
今度こそ。
今度こそ勝負が決まる。
その瞬間だった。
「先生!! 危ない!!」
悲鳴にも似た声が響く。
ジョルディだった。
彼は反射的に魔法剣を掲げていた。
「炎竜よッ!!」
剣先から巨大な炎の奔流が放たれる。
それは竜の形を取りながら戦場を駆けた。
「なにぃッ!!」
パオロが目を見開く。
回避は間に合わない。
炎の奔流が彼を飲み込んだ。
爆発的な熱風が吹き荒れパオロの身体を焦がしていく。
その一瞬。
ほんのわずかな隙…それだけだった。
だが英雄同士の戦いでは、その一瞬こそが致命的だった。
「――ッ!!」
エミリアーノの瞳が揺れる。
だが振り抜いた剣は止まらない。
ジャブラニの切っ先がパオロの心臓を貫いた。
静寂。
時間が止まったようだった。
パオロの手からレジスタが滑り落ちる。
彼は何かを言おうとした。
だが言葉にはならない。
視線だけが空を見上げる。
故郷の村。
アンジェリカ。
クリスティアン。
様々な想いが胸をよぎった。
そして――。
大量に吐血をし、心臓から血を垂れ流しながらゆっくりと膝をつく。
そのまま血の海と化した大地へ倒れ込んだ。
アリアンツ平原が静まり返る。
誰も動けない。
誰も声を出せない。
やがて。
サンシーロ騎士団の誰かが叫んだ。
「ひ……卑怯だぞ!!」
その一言が戦場を揺らした。
次々と怒号が上がる。
「パオロ様!!」
「許さん!!」
「仇だ!!」
騎士たちが武器を抜く。
だが。それより先に。
「貴様ァッ!!」
怒声を上げたのはエミリアーノだった。
彼は振り返るとジョルディの頬を平手で打ち抜いた。
乾いた音が響く。
ジョルディがよろめく。
「先生……。」
「何をしたかわかっているのか!!」
エミリアーノの顔は怒りで歪んでいた。
その怒りは敵に向けられたものではない。
弟子に向けられたものだった。
一方で。
サンシーロ騎士団は突撃を開始していた。
「パオロ様の仇だァァァ!!」
怒りと悲しみが入り混じる。
しかし。
エミリアーノは振り返りざまにジャブラニを振るった。
「散れッ!!」
猛烈な風圧が戦場を駆け抜ける。
突撃してきた騎士たちが次々と吹き飛ばされる。
だがエミリアーノの表情に勝者の喜びはない。
ジョルディは頬を押さえながらも顔を上げた。
「申し訳ございません……ですが先生が殺されるのを黙って見ているわけにはいきません!」
声は震えていた。
それでも彼は目を逸らさない。
「先生はカンプノウになくてはならないお方です! 今ここで失うわけには――」
再び平手打ちが飛ぶ。
「黙れ!!」
ジョルディが地面に倒れる。
エミリアーノの肩が震えていた。
「私に恥をかかせおって……。」
彼は拳を握り締める。
倒れたパオロを見た。
長年追い続けた宿敵。
本来ならば。互いの全てをぶつけ合い。剣のみで決着をつけたかった。
その願いは叶わなかった。
やがてエミリアーノは静かにジャブラニを鞘へ納めた。
「……撤退だ。」
周囲がざわめく。
「し、しかし!」
東方連合軍の将校が慌てて進み出る。
「サンシーロ騎士団を討つなら今が絶好の機会では!?」
誰もがそう思った。
敵将を失った今こそ勝機。
だが。
エミリアーノは首を横に振る。
その横顔には苦い悔しさが滲んでいた。
「私にも……プライドがある。」
短い言葉だった。
それだけで十分だった。
東方連合軍は命令に従う。
ゆっくりと撤退を始める兵士たち。
その中央で。
エミリアーノは最後に一度だけ振り返った。
夕日に照らされるアリアンツ平原。
そして倒れたままの宿敵。
「……さらばだ、パオロ。」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
やがて東方連合軍は去り――。
戦場には、深い悲しみに包まれたサンシーロ騎士団だけが残された。
--
西大陸――辺境の村デッレ・アルピ。
その日の村は、どこか妙だった。
昼下がり。
空は晴れている。
風も穏やかだ。
それなのに村人たちは落ち着かない様子で空気の変化を感じ取っていた。
村の入口から、一団がゆっくりと歩いてくる。
全員が白い装束を身に纏い、顔には無機質な白い仮面。
そしてその中央には、数人がかりで運ばれる一つの棺。
異様な光景だった。
村人たちがざわつく。
「な、なんだありゃ……?」
「王都の使者か?」
「いや……あの白装束は……」
誰かの声が震えた。
その一方で。
神官学校の帰り道。
ディメトリオも異変に気付いていた。
「な……なんだってんだ……?」
理由は分からない。
だが胸がざわつく。
心臓が嫌な音を立てる。
冷たいものが背筋を伝った。
隣にいたダミアーノ・スキラッチは、その集団を見た瞬間に全てを悟ったようだった。
老神官は静かに目を伏せる。
そして胸の前で十字を切った。
祈るように。
悼むように。
ディメトリオの顔色が変わる。
「先生……?」
スキラッチは答えなかった。
答えられなかった。
――その頃。
ビリンデッリ家。
アンジェリカは庭先で洗濯物を干していた。
白装束の集団を見た瞬間。
手が止まる。
握り締めた洗濯物がくしゃりと潰れる。
だが。
彼女は逃げなかった。
叫ばなかった。
ゆっくりと目を閉じる。
そして深く息を吸った。
覚悟を決めるように。
静かに前へ歩き出した。
やがて白装束の一団が彼女の前で立ち止まる。
代表と思しき男が一歩前へ出た。
その足元には棺。
そして金貨の入った袋が置かれる。
男は深く頭を下げた。
「この度は、ご愁傷様でございます。」
周囲の空気が凍りつく。
誰も言葉を発せない。
別の白装束の男が静かに言った。
「棺開けは奥様ご自身の手でお願いいたします。」
アンジェリカは頷く。
震える手を隠そうともせず。
ゆっくりと棺へ歩み寄った。
指先が冷たい。
呼吸が浅い。
それでも。
彼女は窓を開けた。
カチリ――。
小さな音が響く。
その中に眠っていたのは。
パオロ・ビリンデッリだった。
死化粧が施されている。
戦場で見せる険しい顔ではない。
家族と過ごす時のような穏やかな表情だった。
まるで眠っているだけのように。
今にも目を開けて、
「ただいま」
そう言いそうなくらいに。
アンジェリカの唇が震える。
しかし涙は流さない。
ゆっくりと窓を閉じた。
そして白装束の者たちへ向き直る。
「遠方からご苦労様でした。」
声は震えていない。
「主人を届けてくださり感謝いたします。」
深々と頭を下げる。
その姿に白装束たちもまた頭を下げた。
代表の男が静かに言う。
「では……我々はこれにて。」
一団は踵を返す。
誰も引き留めなかった。
やがて白装束の集団は村を後にする。
残されたのは棺と沈黙だけだった。
周囲の婦人たちが震える声を漏らす。
「あ……アンジェリカ婦人……」
「ま……まさか……」
アンジェリカは振り返る。
そして小さく微笑んだ。
「皆様、お気遣いありがとうございます。」
優しく礼をする。
「驚かせてしまい申し訳ございません。」
その瞬間だった。
堰を切ったように婦人たちが泣き崩れる。
「あぁぁ……」
「パオロ様ぁぁぁぁ!!」
「そんな……嘘でしょう……」
村の英雄だった。
誰よりも優しかった。
誰よりも強かった。
その死は村全体の喪失だった。
そんな時だった。
遠くから慌ただしい足音が聞こえてくる。
「おい!急げ!」
ディメトリオの声。
「嫌な予感がするんだ!」
その直後。
もう一つの声。
聞き慣れた少年の声。
「なんだよ!学校抜け出して知らねえぞ!」
クリスティアンだった。
婦人の一人が慌てて言う。
「アンジェリカ婦人……クリスティアンくんよ。」
「棺は一旦私が預かるわ。」
母親としての情けだった。
少しでも時間を稼ぎたい。
だが。
アンジェリカは静かに首を横へ振った。
その瞳には揺るぎがない。
「いいえ。」
穏やかな声だった。
しかし強かった。
「クリスティアンもビリンデッリ家の跡取りです。」
棺へ視線を向ける。
そして息子が走ってくる方向を見る。
「しっかりと向き合わせます。」
誰よりも苦しいはずなのに。
誰よりも悲しいはずなのに。
アンジェリカ・ビリンデッリは。
英雄の妻として。
そして一人の母として。
毅然とその場に立ち続けていた。




