episode6(underworld)Chapter2
その時
バンッ!!
病室のドアが勢いよく開いた。
「クリスティアン!!」
全員が振り返る
そこにいたのはエンツォだった。
「目覚めたってマジか!?」
息を切らしながら、勢いよく病室へ飛び込んでくる。
「エンツォ……。」
クリスティアンが驚いたように目を丸くする。
エンツォはベッドの傍まで駆け寄ると、クリスティアンの顔を確認する。
「お前……本当に生きてるんだな……!」
「う、うん……。」
クリスティアンは少し恥ずかしそうに目を逸らす。
「……なぁ。」
「ん?」
「オレ……昨日のクエストの帰りから、記憶がなくて……。」
その言葉に、病室の空気が一瞬静まり返った。
クリスティアン自身も、自分に何が起きたのか分かっていない。
ただ覚えているのは
無の世界。
父パオロ。
ケイスケ。
そして、みんなの声。
最後に聞こえた、母アンジェリカの声。
「……一体、何があったんですか?」
クリスティアンは、不安そうに周囲を見回した。
「目覚めたのね?」
病室の入口から、柔らかな女性の声が響いた。
クリスティアンがゆっくり顔を向ける。
そこには、白衣姿の若い女性が立っていた。
「……?」
女性はベッドへ歩み寄り、クリスティアンの顔色を確認する。
「私はララ・トリチェッリ。あなたの担当看護師よ」
そして、少しだけ苦笑した。
「あと五分、私が見つけるのが遅かったら死んでたんだから」
「……え?」
クリスティアンの表情が固まる。
「死んで……?」
自分がそこまで危険な状態だったとは、まるで実感がない。
すると、ララの背後から、別の女性が入ってきた。
「あなた、道端で脇腹から大量に血を流して倒れていたのよ」
気怠そうな口調。
しかし、その目だけは医療者として鋭かった。
「私はアンドレイーナ・タッキナルディ。ここの主任です」
アンドレイーナはクリスティアンの脇腹へ視線を落とす。
「矢が抜けた後も出血が止まらなくてね。搬送された時は血圧もかなり落ちていたわ」
「……。」
クリスティアンは息を呑む。
「それで、俺は……?」
「意識もほとんどなかったわ」
アンドレイーナは淡々と続ける。
「ララが回復魔術で血流を維持して、応急処置をしながら運んできた。病院に着いてからは、私たちが止血と傷の処置を急いで行ったの」
ララも静かに頷く。
「到着した時には、顔が真っ青だったんだから」
「……俺が?」
「ええ」
ララは笑おうとしたが、その表情には当時の緊張がわずかに残っていた。
「あと少し遅れていたら、本当に間に合わなかった」
クリスティアンは言葉を失った。
するとアンドレイーナが、隣に立つララの頭をぐっと押さえるように撫でる。
「この子が夜遊びしてなかったら、間違いなく死んでたわね」
「ちょ、姐さん!」
「ララが遊びに行っていたことを、あなたは感謝しなさい」
「姐さん! そこまでバラしちゃダメ!」
ララの顔が一気に真っ赤になる。
「私はただ、たまたま外に――!」
「夜に騎士団の男性と歩いていたんでしょう?」
「それは……!」
「十分、夜遊びよ」
「うぅ……!」
緊迫していた病室の空気が、ほんの少しだけ緩む。
クリスティアンはそんな二人を見つめながら、改めて自分の脇腹に触れる。
包帯の奥には、まだ鈍い痛みが残っている。
「……俺、本当に死にかけてたんですね」
ララは少し黙った。
そして、今度はふざけることなく、優しく微笑んだ。
「そうよ。でも――生きてる」
アンドレイーナも静かに頷く。
「だから今は余計なことを考えないこと。傷が開いたら、今度こそ本当に笑えないわよ」
「……はい」
クリスティアンは小さく返事をした。
そして、命を救ってくれた二人へ深く頭を下げる。
「ありがとうございます……本当に」
ララは照れたように笑い、アンドレイーナは小さく肩をすくめた。
「礼は傷が治ってからでいいわ」
白い病室に、ようやく穏やかな空気が戻ってきた。
「しかし……誰がそんなことを……?」
エンツォが、重い口調で呟いた。
「暗殺事件に巻き込まれたかもしれねえな」
病室にいた全員の視線が、一斉にエンツォへ向く。
「俺を……?」
「そうだ」
セバスティアーノが腕を組み、険しい顔を浮かべた。
そして、頭をガシガシと掻く。
「昨日テメェが倒れてた周辺の道で、ビアンコ・ネーロ五番隊隊長――ダリオ・カッレーラと同伴してた、テメェの女の店のキャストの死体も見つかってんだよ」
「……!」
その瞬間。セリーナの肩が、大きく震えた。
「キャストの……死体……?まさか。カッレーラさんと同伴してたって……」
掠れた声だった。
セバスティアーノは頷く。
「だから宮廷は大騒ぎだ。カンプノウの暗殺者が、サンシーロの中に紛れ込んでるんじゃねぇかってな」
「……そんな……」
セリーナは両手を胸元で握り締めた。
指先が白くなるほど、強く。
毎日顔を合わせ、笑い合っていた仲間。
その一人が、もう帰ってこない。
その瞬間、セリーナの脳裏に――ひとつの光景が浮かんだ。
--
昨夜ではない。
ほんの数日前の、いつものロマニスタ。
営業前の店内で、そのキャストが笑いながら言っていた。
『セリーナさん、今日も綺麗ですねぇ』
『またそんなこと言って。あなた、誰にでも言ってるでしょう?』
『そんなわけないじゃないですか。セリーナさんだけですよ』
そう言って笑った彼女の手には、営業前に磨き上げたグラスがあった。
セリーナは呆れながらも笑っていた。
『じゃあ、そのグラス全部ピカピカにしておいてね』
『えぇー!? 私ばっかりですか?』
『口を動かす暇があるなら手を動かす』
『はいはい、姐さんは厳しいなぁ』
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そんな、何でもない会話。
明日もきっと続くと思っていた時間。
「……私が……」
ぽつりと、セリーナの口から言葉が漏れた。
「セリーナ?」
クリスティアンが声をかける。
「私が……もっと早く……」
「え?」
「何か、おかしいと思っていれば……」
セリーナの瞳から、涙が一粒落ちた。
「最近、街の様子がおかしかった。騎士団の人たちも慌ただしくて……店の周りにも、知らない人が増えて……」
唇が震える。
「なのに私は……何も気づかなかった」
あの笑顔を思い出す。
もう二度と見られない笑顔。
「昨日だって……」
セリーナは胸元を押さえた。
「いつも通り、店で笑って……『また明日』って……」
声が詰まる。
「……私は、普通に『お疲れさま』って言ったの」
涙が頬を伝う。
「それが最後になるなんて……思わなかった……」
「セリーナ、それは…」
「それだけじゃないの」
クリスティアンの言葉を遮るように、セリーナは首を横に振った。
「クリスティアンまで……」
彼女の視線が、ベッドへ向く。
何重にも巻かれた包帯。
青白い顔。
まだ血の気の戻らない唇。
それを見た瞬間、堪えていた感情が一気に溢れた。
「もし……あなたまで死んでいたら……」
声が震える。
「私……どうしたらよかったの……?」
「セリーナ……」
「私の店の子が死んで……その上、クリスティアンくんまで……」
涙が次々と頬を伝う。
「私が……ロマニスタに関わらせなければ……」
「違うよ」
クリスティアンが、静かに言った。
「俺が勝手に…」
「違う!」
セリーナが初めて声を荒らげた。
病室に響いた自分の声に、本人自身が驚く。
「……ごめんなさい」
セリーナはすぐに俯いた。
「ごめんなさい……」
両手で顔を覆う。
「怖かったの……」
嗚咽が漏れる。
「クリスティアンが目を覚まさなかったらって……」
「……」
「病院に運ばれたって聞いた時も……血だらけだったって聞いた時も……」
セリーナは震える声で続ける。
「また、私の大切な人が死んじゃうんじゃないかって……」
クリスティアンは何も言えなかった。
ただ、ベッドの上からセリーナを見つめる。
やがてセリーナは、涙で濡れた顔を上げた。
そして、アンドレイーナの前へ歩み出る。
「……本当に、ありがとうございます」
深々と頭を下げる。
「クリスティアンを助けてくださって……本当に……ありがとうございます……」
大粒の涙が、床へ落ちた。
アンドレイーナは煙草を咥えたまま、しばらくセリーナを見つめていた。
やがて、ふっと息を吐く。
「よしなよ」
「……え?」
「アンタの店のキャストは死なせちまったんだ」
その言葉に、セリーナの身体がまた震える。
「……はい」
「だからって、アンタが全部背負うことじゃない」
アンドレイーナは煙草の灰を落とした。
「この坊やが助かったのは、アタシの腕だけじゃない。この坊や自身の生命力の賜物だよ」
そして、ベッドのクリスティアンを見る。
「流石、パオロ・ビリンデッリの息子だねぇ」
穏やかに笑う。
その言葉に、セリーナはもう一度クリスティアンを見た。
生きている。確かに、ここにいる。
それだけで、胸の奥に張り付いていた恐怖がほんの少しだけ剥がれていく。
「……よかった……」
セリーナは胸元を押さえた。
「本当に……生きてて……よかった……」
そして再び涙を流しながら、クリスティアンへ微笑んだ。
その笑顔は、喜びだけではなかった。
大切なものを失った痛みと。
もう一つまで失わずに済んだことへの、安堵の涙だった。




