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ビリンデッリの血〜東西大陸百年戦記〜  作者: エリカサファイア
episode0(Prologue)

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episode0(Prologue)Chapter9

広場には重い沈黙が流れていた。

誰もが俯き、誰もが言葉を失っている。


パオロはマルチナの亡骸を丁寧に横たえると、ゆっくりと立ち上がった。

そして深く頭を下げた。

「俺がいながら……。」

拳を握り締める。

爪が掌へ食い込むほど強く。

「みんな、すみません。」


広場にいた誰もが息を呑んだ。

村の英雄。白銀の騎士。

幾度も村を守り続けてきた男が謝罪している。

だが誰も責めることはできなかった。


やがて一人の老人が前へ出る。

村でも最年長の男だった。

「おやめください、パオロ様。」

静かな声だった。


「ですが……。」

パオロが顔を上げる。


老人は首を横に振った。

「パオロ様で駄目だったのです。」

広場を見渡す。

村人たちも静かに頷いていた。

「ならば、それは誰にも救えなかったということ。」

老人は悲しそうに目を細めた。

「マルチナ嬢の運命だったのでしょう。」

苦しい言葉だった。

しかし責任を一人に背負わせないための言葉でもあった。

「我々は受け入れるしかありません。」


パオロは何も言えなかった。

ただ唇を噛み締める。

その表情は勝利を収めた騎士のものではなく、一人の人間のものだった。


やがて遺族が前へ出る。

マルチナの弟夫婦だった。

二人は亡骸の前に膝をつく。

静かに祈りを捧げる。

涙が止まらない。

それでも声を荒げることはなかった。


長い祈りの後。

弟は立ち上がる。

そしてパオロへ向き直った。

「パオロ様。」

掠れた声だった。


「申し訳ありません。」

パオロは再び頭を下げようとした。


だが弟は首を振る。

「違います。」

涙を拭う。

「礼を申し上げたかったのです。」


パオロが目を見開く。


「姉を連れ帰ってくださり、ありがとうございました。」

震える声。

それでも確かな感謝が込められていた。

「森に置き去りにされることなく、こうして別れを告げられる。」

弟は亡骸へ視線を向ける。

「それだけでも救われます。」


隣の妻も涙を流しながら頭を下げた。

「本当にありがとうございました。」


パオロは言葉を失う。

何かを言おうとしても声にならない。

ただ静かに頭を下げ返した。



--



その日。

デッレ・アルピ村から笑い声は消えた。

広場には花が供えられ。

家々の窓には祈りの灯がともされた。

村人たちはそれぞれの形でマルチナを悼む。


いつも野菜を分けてくれたこと。

困っている人を放っておけなかったこと。

誰にでも優しく接していたこと。


思い出が語られるたびに涙が零れた。


夕暮れ、赤く染まる空の下。

クリスティアンは広場の端に立っていた。

父の背中を見つめながら。


パオロは責められていない。

むしろ感謝されている。

それでも誰よりも苦しそうだった。


クリスティアンには分かった。

父は魔獣を倒した。

村を守った。

誰よりも強かった。

それなのに。救えない命があった。


剣を振るうだけでは守れないものがある。

強ければ全てを守れるわけではない。

その現実をクリスティアンは初めて知った。


そして同時に。

守れなかった時にどう振る舞うべきかも。

父は言い訳をしなかった。

責任から逃げなかった。

悲しむ人々と共に悲しみ続けた。

クリスティアンは静かに拳を握る。

十歳の少年にはまだ理解できないことも多い。

だが一つだけ分かった。


本当に強い人間とは。

勝つ人間ではない。

守れなかった悲しみから目を背けない人間なのだと。


夕陽に照らされる父の背中は、その日いつもよりずっと大きく見えた。



--



夜。


デッレ・アルピ村は深い静寂に包まれていた。

昼間の悲しみがそのまま村全体を覆っているようだった。

ビリンデッリ家も例外ではない。

居間の窓辺に立つパオロは、暗闇に沈む村をじっと見つめていた。

その背中はどこか小さく見える。

クリスティアンはそんな父の姿を見上げる。

昼間からずっと胸の中に引っ掛かっていた言葉があった。


「父様……」

パオロは振り向かない。

クリスティアンはそれでも続ける。

「これが……剣を持つ者の責任なのですね。」

静かな声だった。


パオロは何も答えない。

ただ窓の外を見つめ続ける。


村の灯り。

遠くの家々。

そして今日失われた命。

様々なものがその瞳に映っていた。


沈黙が続く。

クリスティアンもそれ以上は何も言わなかった。


代わりにアンジェリカがそっと肩を抱く。

「クリスティアン。」

優しい声だった。

「もう寝なさい。」

母の温もりが伝わる。

「明日は学校よ。」


クリスティアンは少しだけ迷った。

父を一人にしていいのだろうか。

そう思ったが、結局小さく頷く。

「はい、母様。」

そしてパオロへ向き直る。

「父様、母様。おやすみなさいませ。」

深々と頭を下げた。



「ああ。」

パオロは短く答える。

それでも息子を思う優しさは感じられた。


クリスティアンはそのまま寝室へ向かう。

階段を上る足音がやがて消えていった。


しばらくして。

アンジェリカはテーブルの上に一枚の羊皮紙を置いた。

びっしりと文字が並んでいる。

戦闘報告書だった。

パオロが書くはずだったもの。

そして毎回アンジェリカが代筆しているもの。

「今回が最後ですよ。」

少し呆れたように言う。


パオロは振り返り、苦笑した。

「すまない……。」

力のない声だった。

「いつもいつも。」


アンジェリカは小さくため息を吐く。

「あなたはいつもそう。」

窓辺まで歩み寄る。

「何でも一人で背負い込んで。」

パオロは黙ったまま聞いている。

「悪い癖ですよ。」


その言葉にパオロは僅かに笑った。

無理に作った笑顔だった。

「いや……。」

声は弱々しい。

「君がいてくれる。」

そしてゆっくり振り返る。

「君と結婚して、本当に良かった。」


アンジェリカの表情が柔らかくなる。

何も言わずに歩み寄ると、そっとパオロを抱きしめた。


鎧もない。

剣もない。

今ここにいるのは英雄ではなく、一人の夫だった。


「ゆっくり休んでください。」

アンジェリカは優しく言う。

「先に寝ていますね。」

パオロの心情を察していた。

今は無理に慰めるより、一人になる時間が必要なのだと。


パオロもそれを理解している。

「ああ。」

静かに頷く。

「俺もすぐ行くよ。」


アンジェリカは最後に微笑むと寝室へ向かった。


やがて居間には再び静寂が戻る。

パオロは椅子に腰を下ろした。

冷めかけたエスプレッソを口にする。

苦味が口いっぱいに広がった。

まるで今の気分そのものだった。


窓の外を見る。

今日も守れなかった。

また一つ命が失われた。

騎士になって何年経っただろう。

数え切れないほど戦ってきた。


それでも――。


パオロは自嘲気味に笑う。

「何がサンシーロ騎士団だ……。」

小さく呟く。

誰も聞いていない。

だからこそ本音だった。

「故郷の人間一人守れずに。」


その言葉は夜の闇へ溶けていく。

英雄と呼ばれる男は、その夜だけは誰よりも弱い一人の男だった。

パオロはエスプレッソを飲み干すと静かに立ち上がる。

そして誰もいない居間の灯りを消し、寝室へ向かうのだった。

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