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才色兼備の多彩で最強のカッコイイ保科さんは、どうにも僕にだけは可愛い一面を見せてくれるらしい。  作者: 沢田美


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8/12

また明日

 その場に落ちた沈黙は、不思議と気まずくはなかった。


 ただ、ひどく落ち着かないだけだった。


 僕が口を滑らせてしまった言葉の余韻が、まだ中庭の空気に残っている気がする。三毛猫はそんな人間同士の空気などどうでもいいらしく、花壇の縁で前足を揃え、眠たそうに目を細めていた。


 保科――翼は、しばらく顔を逸らしたまま黙っていた。


 夕方の光が頬の輪郭を淡く照らしていて、その横顔は綺麗なのに、今はそれ以上に無防備だった。いつもなら真っ直ぐ前を向いて、言葉に迷うことなんてないみたいな顔をしているのに、今は何を言うべきか本気で困っているのがわかる。


「……帰る」


 ようやく出てきたのは、それだけだった。


「え」


「これ以上ここにいたら、たぶん無理」


 何が無理なのかは聞かなくてもわかった。聞いたらたぶん、もっとまずいことになる。


 翼は小さく息を吐くと、制服の裾を整えてから歩き出した。僕も少し遅れてそのあとを追う。並んで歩くにはまだ微妙に気恥ずかしくて、けれど離れすぎるのも違う気がして、半歩ぶんだけ後ろを歩いた。


 校舎へ戻る手前で、翼が足を止める。


「蓮」


「うん」


「さっきの」


 僕は反射的に身構えた。やっぱり取り消してほしいと言われるだろうか。軽率だったと怒られるだろうか。そう思ったのに、翼は少しだけ視線を泳がせてから、言った。


「……忘れなくていいから」


 胸の奥が熱くなる。


「でも、何回も言わないで」


「それはなんで」


「慣れてないの」


 すごく小さい声だった。


 あまりにも正直で、僕は一瞬、返す言葉を失う。翼はそんな僕の沈黙をどう受け取ったのか、少しだけ眉を寄せた。


「何」


「いや」


「いや、じゃなくて」


「可愛いなって思って」


 また言ってしまった、と思った時には遅かった。


 翼はぴたりと動きを止める。数秒前まで少しだけ戻りかけていた落ち着きが、一瞬で吹き飛んでいた。


「……ほんとに禁止」


「ごめん」


「全然ごめんって思ってないでしょう」


「少しは思ってる」


「少しじゃ足りない」


 言葉はきついのに、声が少しもきつくないせいで迫力が足りない。しかも耳がまた赤い。自分でもそれをわかっているのか、翼はますます不機嫌そうな顔を作るのだが、残念ながら今は逆効果だった。


 そのまま僕らは昇降口まで歩いた。


 靴を履き替え、校門へ向かう頃には、空はかなり夕方の色になっていた。部活帰りの生徒たちがあちこちにいて、二人きりの中庭とは違って、ここでは自然と距離が開く。


 それでも同じ方向へ歩いていること自体が、なんだか落ち着かなかった。


「蓮って、こっち方面なんだ」


「うん。駅とは反対」


「そう」


 会話が途切れる。


 けれど、その沈黙が前みたいに重くはない。話すことに困っているというより、互いに変に意識しすぎてうまく言葉が選べないだけだった。


 校門を出て少し行ったところで、背後から聞き覚えのある声が飛んだ。


「ちょっと待って、二人ともー!」


 振り返ると、加瀬陽菜がこちらへ走ってくるところだった。少し遅れて、その後ろに篠宮千歳もいる。加瀬は息を切らしながら僕らの前で止まると、まず翼を見て、それから僕を見て、最後ににやりと笑った。


「やっぱり一緒に帰ってる」


「陽菜、声が大きい」


 翼が即座に言う。


「だって確認したかったんだもん」


「何を」


「いろいろ」


 いろいろ、で済ませるあたりが加瀬さんらしい。篠宮さんはその隣で、僕と翼を一度ずつ見比べてから静かに言った。


「陽菜がどうしても気になるって言うから」


「千歳も気になってたでしょ?」


「否定はしない」


 二人とも、あまりにも遠慮がない。


 翼は明らかにため息を堪えていたが、完全に追い払うつもりもないらしい。たぶん、この二人に対しては最初から諦めているのだろう。


「で?」


 加瀬さんがずい、と顔を寄せる。


「さっき中庭で、何話してたの?」


「話してない」


「嘘。絶対なんかあった」


「なかったわ」


「翼の“なかった”は信用度五割なんだよね」


「低すぎない?」


「今までの実績的に妥当」


 加瀬さんは即答した。


 その横で篠宮さんが小さく息をつく。


「陽菜、あまり詰めると本当に嫌われるよ」


「それは困る」


「なら黙って」


「千歳、今日ちょっと厳しくない?」


「平常運転」


 二人の掛け合いが妙に完成されていて、僕は少しだけ気持ちが緩んだ。


 すると、その瞬間を見逃さなかったらしい加瀬さんが、ぱっと僕のほうを向く。


「あ、今ちょっと笑った」


「え」


「前より顔やわらかくなったよね、篠原くん」


 不意打ちだった。


 どう返せばいいかわからずにいると、翼が一歩だけ前へ出る。


「陽菜」


「はいはい、わかってるって。変な意味じゃないから」


 加瀬さんは両手を上げて降参の仕草をしたあと、少しだけ真面目な顔になった。


「でもさ、翼」


「何」


「最近の翼、前より話しやすい」


 その言葉に、翼がわずかに目を細める。


「急に何」


「ほんとだよ。前はもっとこう、全部一人で片づける感じだったじゃん。今もそういうとこあるけど、なんかちょっと違う」


 篠宮さんも頷いた。


「前より表情が増えた」


「……そんなことないと思うけど」


「本人は大体わからないもの」


 淡々とした口調なのに、妙に説得力があった。


 翼は何か言い返そうとして、結局何も言わなかった。代わりに、ほんの少しだけ僕のほうを見る。


 その視線は短かったけれど、加瀬さんも篠宮さんも、それに気づいたらしかった。


「なるほどねえ」


 加瀬さんが意味深に笑う。


「何が」


「別に?」


「陽菜」


「いやいや、何でもないって。ただ、翼にもちゃんとそういう相手がいるんだなって思っただけ」


 言い方は軽いのに、不思議と悪意はなかった。


 翼は呆れたように息をつき、それから少しだけ肩の力を抜く。


「……そういう相手、とかじゃない」


「へえ」


「本当よ」


「へえー」


 加瀬さんは明らかに信じていなかった。だが、それ以上追及すると今度こそ翼が本気で怒ると察したのか、すぐに話題をずらす。


「じゃあ、今日はここで解散にしよっか。千歳、寄り道する?」


「少しだけ本屋」


「じゃ、私も行く」


 そう言ってから、加瀬さんは最後に僕へ向き直った。


「篠原くん」


「はい」


「翼、見た目より全然不器用だから」


「陽菜」


「はいはい。だから、変に怖がらなくていいよってこと」


 その言葉は、からかいのようでいて、少しだけ本気が混じっている気がした。


 篠宮さんも僕へ小さく会釈する。


「また明日」


「う、うん。また」


 二人はそのまま手を振って去っていった。


 残された僕と翼の間に、少しだけ静かな時間が落ちる。


「……好き勝手言っていったわね」


 翼がぽつりと呟く。


「でも、たぶん心配してるんだと思う」


「わかってる」


 短い返事。けれど、その声音には嫌そうな響きはなかった。


 僕らの帰り道は、次の角で分かれる。そこへ着くまでの間、どちらからともなく歩調がゆっくりになった。


「蓮」


「うん」


「さっき、陽菜たちの前で」


「うん」


「何も言わなかったの、助かった」


 僕は少しだけ笑った。


「何を言えばよかったの」


「言わなくていいの」


「じゃあ言わない」


「……そうして」


 翼はそう言ってから、少しだけ迷うように指先を動かした。そして次の瞬間、僕の制服の袖をほんの少しだけ摘まむ。


 中庭で一度だけ触れられた時よりも、今のほうがずっと破壊力があった。


 人通りのある外で、誰かに見られてもおかしくない場所で、それでもほんの一瞬だけ触れてくる。その行為が、翼にとってどれだけ特別なことかくらい、もう僕にもわかる。


「……それと」


「うん」


「明日も、朝」


 翼は俯きがちに続ける。


「あの子、いるかもしれないから」


 猫のことを言っているのはわかる。


 わかるのに、今この瞬間、袖を摘まんだままそんなことを言われたら、どうしたって猫だけの話には思えない。


「行くよ」


 答えると、翼はようやく指先を離した。


「寝坊しないで」


「最近そればっかり」


「大事だから」


 真面目に言い切られて、僕はまた笑ってしまう。すると翼は少しだけ唇を尖らせたが、それ以上何も言わなかった。


 分かれ道の手前で、翼が足を止める。


「じゃあ、また明日」


「うん。また明日、翼」


 名前を呼ぶと、翼はやっぱり少しだけ肩を揺らした。でも、もう前みたいにすぐ止めたりはしない。ただ、困ったように目を逸らしてから、小さく返してくる。


「……また明日、蓮」


 その返事だけで、今日一日の終わりがひどく特別なものになった気がした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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