【第324話:花畑の川渡り事件】
――ふわり、と何か柔らかいものに包まれている。
ロイはゆっくり目を開けた。
視界いっぱいに広がるのは、花、花、花。
甘い香り、柔らかな風、そしてすぐそこにはきらきら光るのどかな川。
「……俺、死んだ?」
あまりに平和な光景に、ロイは半ば確信した。
あの激戦のあと、力尽きたのかもしれない。
これは天国というやつか。
「死んでないわよ?」
「うわっ!?」
突然、肩越しにふわっと顔をのぞき込んできたのは、白いワンピース姿の少女だった。
背中に羽が生えている。
顔立ちは天使そのものだが、雰囲気はどこかふわふわしている。
「えっと……あなたは?」
「私? 天使ミリエルよ。あと、あなた死んでないわ。ただの時渡りの狭間に迷いこんでるだけ」
「そんなことある!?」
死後の世界だと思っていたロイは、ずっこけそうになった。
「でね、あの川を渡ったら元の異世界に戻れるの。簡単でしょ?」
「その“戻る川”、普通にそこ流れてる川なの!?」
「そうよ? ああいうの、大体川でしょ?」
「聞いたことない!」
しかし、この天使には迷いがない。
つまり、たぶん何も考えていない。
「じゃ、行きましょ。ついてきて」
そう言って、天使は川に入る。
ざぶざぶと、靴のまま。
「なんかもう嫌な予感しかしないんだが……」
ロイも覚悟を決め、ついていく。
水はひんやりとして心地よい。
美しい花畑が遠ざかり、向こう岸が近づいてきた。
その瞬間――
空間が、ぐにゃり、とねじれ始めた。
「おっ、戻るんだな!」
「うん、そう……あれ?」
天使がぴたりと止まる。
「ど、どうした?」
「……私まで異世界に行っちゃうじゃない!」
「いや、気づくの遅っ!!」
天使は慌てて羽ばたいた。
「ちょ、ちょっと待って、私ここで働いてるのよ!? 勤務中に勝手に異世界ってまずいわ!」
「今さら!? もう空間ねじれてるって!」
「いったん戻らないと! 花畑に! 花畑が私の職場なの!」
「職場って言い方!」
天使が必死に逆方向へ泳ぐ。
しかし、渦のような時の流れがふたりを飲み込み始める。
「やだやだやだ! 異世界こわい! 虫多そう!」
「おまえ天使だろ!!」
「羽は飾りよ!!」
「そんな設定あるのかよ!!」
ツッコミどころしかないまま、時空の渦は最高潮に達する。
そして――
バシュゥゥン!!
強烈な光が弾け、ロイと天使はまとめて異世界へ吸い込まれていった。
残されたのは
風に揺れる花畑と、川のせせらぎだけだった。
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