第53話 温泉旅館の作戦会議
温泉を満喫した翌日の朝。
空はまるで洗い立ての藍染めの浴衣のように澄み渡って、旅館の窓から差し込む光が畳の上に四角い陽だまりを作っていた。
俺たちは、ユガミ温泉の俺の部屋で作戦会議を開くことになった。
議題は「今後俺たちはどうすべきか」。朝食後、ほどよく胃に重さを残す十時ごろ、全員が集合した。
俺の部屋を選んだ理由は単純だ。女の子たちの部屋に入るのが気恥ずかしいというだけなのだが、そんなことは口が裂けても言えなかった。だから前日の夕食時に、その理由をできるだけもっともらしく説明した。
「おほん、諸君、今後に関する会議を明日の朝、私の部屋で行いたい。その理由は三つある」
食事処の照明に照らされた白い皿の上で、みじん切りのネギが揺れていた。俺の視線はそこに固定されたまま、場にそぐわない緊張感をもって続けた。
「まず第一に、戦略や作戦を検討する際の環境が整っていることが最も重要である。海軍でも会議を行う際は、プライベートなものが少ない会議室や艦長室、長官公室などで行うことが多い。幸いにも、私の部屋の場合は、あまり個人の持ち物を広げておらず、会議の雰囲気を阻害する者が少ないうえに、書類や地図を広げるスペースも確保しているため、会議をするには適切な環境であると思う」
俺なりに精一杯の理由づけをしたつもりだった。まあ、実を言えば女性たちの部屋から漂う甘い香りに気を取られて真剣な会議ができないという心配があったのだが、そんなことを口にするわけにはいかない。
「第二に、女性たちの私室に男である私が立ち入ることは、礼節の観点から適切ではなく、ジェントルマンシップにも反する。女性である皆さんの休息空間は守られるべきだ」
俺の言葉に、三人は次第に表情を変えていった。陽菜は目を丸くし、スイリアは眉を微妙に動かし、ミアの猫耳は小刻みに震えていた。
「第三に、旅館の女将や他の宿泊客の目から見ても、女性の部屋に男性が長時間滞在することは誤解を招く恐れがある。そのような不要な憶測は避けるべきだろう」
俺が真面目な顔で最後まで説明し終えると、一瞬の静寂の後、三人は揃って噴き出した。
「あはははは、さだっち、急に改まったかと思ったら、突然どうしたの?」
陽菜はお腹を抑えて笑いながら、隣のスイリアに肘でつついた。
「そんなにかしこまらなくてもよろしいのに」
スイリアは上品に口元を押さえながらも、肩を小刻みに震わせている。
「芦名様は固いにゃ」
ミアの猫耳がピクピクと動き、尻尾が左右に大きく揺れた。
むっ、何がおかしいのだ。これでも一応気を使っているのに。
ここで輪を乱すようなことをすれば、元の世界に戻ることが出来なくなってしまう恐れがある。
俺の生存戦略上、きわめて重大な問題なのだ。だから、ジェントルマンシップに則った行動を心がけているだけだ。
決して、女性の部屋に入ると変な気分になるとか、そんなことは断じてかけらも思ったことはない。
……本当に、少しも。
「まぁ、さだっちがそこまで言うなら、うちはどっちでもいいけど、二人はどう?」
陽菜が笑いを堪えながら二人に視線を投げた。
「私もそれでよろしいですわ。殿方の部屋なんて初めてでドキドキしちゃいます……」
スイリアは最後の言葉を小声でつぶやいたが、敏感な俺の耳にはしっかりと届いた。思わず咳き込む。
「スイリア様のお心のままに」
ミアも素直に頷いた。
そんな経緯で、今、俺の部屋で四人が作戦会議を開いているわけだ。
畳の上に正座した俺は、敷いた地図や書類を整えながら息を吸い込み、先日手に入れた桐の扇子を軽く開いて咳払いをした。
「おほん、では、ここに第一回作戦会議を始める。おのおのがた、よろしいか」
なるべく格好つけたつもりだが、陽菜のくすくす笑いが聞こえる。
「はーい。相変わらず固いな……」
彼女は小声で呟いた。
「よろしいですわ」
「にゃ」
スイリアとミアはシンプルに応じた。
窓から差し込む陽の光が部屋の畳を明るく照らし、旅館特有の静けさが会議の場を包んでいる。
時折、廊下を歩く仲居さんの足音や、外から聞こえる鳥のさえずりだけが静寂を破る。
「まず、俺と陽菜だが、知っての通り、『この世界を救う』という目標を達成しなければ元の世界に帰れない。そもそも、『この世界を救う』ということについて、スイリアとミアに何か心当たりはあるか」
俺は窓際に座るスイリアに視線を向けた。朝日に照らされた彼女の銀紫色の髪が神秘的に光り、窓から吹き込む風でわずかに揺れている。
「そうですわね、ちょっと抽象的過ぎますし、規模を指定されていないので、どのくらいの規模のものが救われたと判定されるかがわかりませんわね」
スイリアは困ったように眉を寄せた。
「確かに、漠然としすぎていて、何から手をつけていいかわからないにゃ」
ミアも猫耳を下げて同意した。
その時、陽菜がぼんやりと窓の外を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「でも、なんかおかしくない?」
「え? 何が?」
俺は陽菜の方を向いた。彼女はまだ窓の外を見つめたまま、少し首を傾げている。
「だって、さだっちはタジマティアの町を怪物から救ったじゃん。でも、あの変な神様、全然現れないよね?」
陽菜の言葉に、一同はハッとした。確かにそうだ。アカブトマガスを倒し、町を救ったはずなのに、ネ申は現れていない。
「あ……そういえば、そうですわね」
スイリアが驚いたような声を上げた。
「ということは……」
陽菜はようやく俺たちの方を向き直ると、いつもの天真爛漫な表情とは少し違う、真剣な眼差しを見せた。
「町を救うくらいじゃ『世界を救った』ことにならないってことでしょ? 町の人たちにとっては町が全世界かもしれないけど、神様基準では違うってことじゃない?」
俺は思わず身を乗り出した。陽菜の推理は的確だった。
「なるほど……確かにその通りだ」
「そうよね! これってよくゲームであるパターンだもん。最初のボスを倒したからって『世界を救った』ことにはならない。きっともっと大きな敵がいるのよ!」
陽菜は手をぱんと打ち合わせながら、興奮気味に続けた。その瞳が輝いている。
「おお〜! 陽菜さんすごいですわ!」
「さすがだにゃ! 陽菜は頭いいにゃ!」
スイリアとミアが感嘆の声を上げた。
俺も陽菜を見直した。普段は天然で抜けたところがある彼女だが、こういう時に見せる鋭い洞察力は侮れない。現代の若者らしい発想力と分析力が、この異世界でも十分に通用することを証明している。
「陽菜、素晴らしい推理だ。君の現代的な視点が、この状況を的確に分析している」
俺が褒めると、陽菜は頬を赤らめながらも嬉しそうに笑った。
「えへへ、ありがとう! RPGとかよくやってるから、なんとなくパターンが分かるんだよね」
「それで、陽菜はどうすればよいと考える?」
俺が尋ねると、陽菜は少し考え込むように首を傾げた。
「うーん、きっともっと大きな問題があるはずだよね。国レベルとか、大陸レベルとか……でも、しらみつぶしで探すのは時間がかかりすぎるよね」
「なるほど。スケールを上げて考える必要があるということか」
陽菜の言葉に、スイリアも頷いた。
「確かに、でも会津地方はとても広いですし……」
「そうなのか。アイヴェリア、いや会津地方はどのくらいの広さあるのだ?」
俺が陽菜に問うと、彼女は少し考え込むように首を傾げた後、空中に手をかざした。すると、そこに半透明の地図が浮かび上がった。
「この地図だけではわかりづらいけど、会津地方って、福島県の3地方あるうちの1つでしかないのに、和歌山県や千葉県よりも広いんだよね。島でいうと、インドネシアのバリ島と同じくらいだね」
「おおそうなのか。バリ島と同じくらいとは、随分と広いな」
俺の回答に陽菜は満足げに頷いたが、スイリアとミアは首を傾げた。
「うーん、もっとほかの例えはないのかにゃ?」
ミアの猫耳がクエスチョンマークのように曲がった。
「そうだな、タジマティアの町でいうと、えーと、おおよそ……」
俺は頭の中で素早く計算した。海軍での座学が今ここで役立つ。
「ざっとタジマティアの市街地の1700倍以上だな」
「さだっち、すごーい! すぐ計算できるなんて!」
陽菜が驚きの声を上げた。彼女の瞳が星のように輝いている。
「まぁこれでも、海軍では数学をよく使うからな。目標までの距離や面積を測ったり計算するのは得意なんだ」
「なるほど、とにかく広いということはわかったにゃ。でも、確かに広いと時間もかかりそうだにゃ」
ミアが頭を抱えるようにして言った。
一同は「うーん」と腕を組み、この広大な世界をどう「救う」のか頭を悩ませていた。窓辺からは早朝の風が心地よく入り込み、静けさが会議室を包んでいる。
その時、スイリアが突然パッと顔を上げた。
「あ! 待って! もしかして……」
俺たちは一斉にスイリアの方を向いた。彼女の瞳が興奮で輝いている。
「何か思いついたのか?」
「ええ!いいアイデアが思いつきましたわ!」
スイリアは立ち上がると、地図を指差しながら熱弁を振るい始めた。




