第54話 王女の決意と故郷への帰還
スイリアが微笑みを浮かべて得意げに言った瞬間、俺の心に妙な予感が走った。
だが、彼女の表情を注意深く見ていると、その笑顔の奥に何か影のようなものが潜んでいるのを感じ取った。
まるで明るく振る舞うことで、自分自身を鼓舞しているかのような――そんな複雑さが垣間見えた。
「じゃあ、聞かせてくれ」
俺がそう促すと、スイリアは今度こそ満面の笑みを浮かべた。
その瞬間、窓から差し込む夕日が彼女の銀紫色の髪を美しく照らし、まるで絵画のような光景を作り出していた。
「芦名殿と陽菜さんは、より広い範囲の世界を救う必要がありますが、それなら、手っ取り早い方法があります」
手っ取り早い、か。軍人の俺としては、そんな都合の良い話があるものかと疑ってしまう。
だが、彼女の自信に満ちた表情を見ていると、案外本当に良いアイデアがあるのかもしれない。
「ほう? それはどんな方法だ?」
「それを言う前に……一つ、クイズを出します。私は誰でしょう?」
スイリアは人差し指を立てて、いたずらっぽく微笑んだ。だが、その指先がわずかに震えているのを俺は見逃さなかった。
「も~、スイリアちゃん、もったいぶらないでよぉ~!」
陽菜が両手をひらひらと振りながら抗議の声を上げた。彼女の頬は少し膨らんでいて、まるで子供のような可愛らしさだ。
「まぁまぁ、ここはスイリア様に合わせてくださいにゃ」
ミアが苦笑いを浮かべながら陽菜をなだめる。猫耳がぴくりと動いているのが、なんとも微笑ましい。
俺は肩をすくめて答えた。
「ま、いいじゃないか。それで、スイリアはスイリアだが……ああ、そういえば、ノースアイヴェリアの王女様だったっけか」
「芦名殿、正解です! そう、私はノースアイヴェリア王国の王女! です!」
スイリアは「ふんす!」と鼻息を鳴らして、得意げに腕組みをした。
だが、その瞬間、彼女の右手が無意識に左腕の長手袋に触れた。
その仕草に、俺は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「陽菜さんは勘がわるいですにゃん」
「えぇ~っ!」
陽菜の抗議の声が診療所に響く。彼女の反応があまりにもオーバーで、ミアがくすくすと笑い始めた。
「えっと、つまり、スイリアを頼れってことか?」
俺がそう推測すると、スイリアの目がぱっと輝いた。しかし、その輝きには喜びと同時に、不安のような色も混じっているように見えた。
「芦名殿正解! ぱちぱちぱち!」
彼女は小さく拍手をしながら続けた。
「そう、私を頼って、ノースアイヴェリアの国政にかかわることをいろいろ解決すれば、芦名殿と陽菜さんが元の世界に戻れるかもしれません。どう? いい考えだと思いません?」
鼻高々な顔をしてスイリアは提案した。だが、俺の胸の奥に一抹の不安がよぎる。
確か、スイリアは王都で色々嫌な思い出があって、それでタジマティアに来たはずだ。
ハーフエルフということで陰湿ないじめを受け、あの火傷まで負わされたと聞いている。
タジマティアの民ともようやく交流ができるようになったのに、王都に戻るという選択をしても良いのだろうか。
「確かに、それは願ったりかなったりだが……いいのか?」
俺の言葉に、スイリアの表情が一瞬凍りついた。彼女の手が長手袋をぎゅっと握りしめ、古い傷の痛みを思い出しているような仕草を見せる。
しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いた。
「実は……」
スイリアの声は普段より少し震えていた。
「実は、私自身、そろそろ王都に戻らなくてはと思っていたところだったのです」
「何か理由があるのか?」
スイリアは窓の外を見つめながら、まるで遠い記憶を辿るような表情をした。夕日に照らされた彼女の横顔には、深い憂いが刻まれている。
「王都では今、政治情勢が極めて複雑でして、王である父上は大変難儀しております」
彼女の声には、父親への深い愛情と心配が込められていた。
「幸い、重臣たちは有能な方が多いのですが、民の声をまとめるのに苦労したり、軍隊がいうことをあまり聞かなかったりと、苦労が多いので……」
そこで言葉を切ると、スイリアは再び長手袋に触れた。その仕草が、彼女の内心の葛藤を物語っている。
「身内である私が何とか助けになりたいと思っていましたの。でも……」
「でも?」
スイリアは一度深呼吸をしてから、震える声で続けた。
「正直に申し上げますと、王都に戻るのは……とても怖いのです」
その告白に、診療所の空気が一瞬で張り詰めた。陽菜とミアも、息を呑んで彼女を見つめている。
「あの場所には、私にとって辛い思い出しかありません。ハーフエルフだからという理由で受けた数々の嫌がらせ、この傷を負わされた時の恐怖……」
スイリアは右腕の長手袋を見つめながら、かすかに涙を浮かべた。
「貴族の子弟たちからは『血の汚れた混血』と呼ばれ、庶民からは『高慢な王女』と蔑まれました。どこにも居場所がなくて、毎日が地獄のようでした」
俺の胸が痛んだ。こんなにも優しく美しい彼女が、そんな仕打ちを受けていたなんて。
「それでも、父上のお役に立ちたい。家族を、そして国を救いたいんです」
スイリアは涙を拭いながら、決意を込めて続けた。
「だから……一人では無理でも、芦名殿と陽菜さんがいてくださるなら、きっと乗り越えられると思うのです」
彼女の震える声に、俺の心は大きく動かされた。
「そうだったのか。でも、私と陽菜は、そんな政治経験なぞないし、役に立てるかわからぬぞ」
「何をおっしゃいますか!」
スイリアは机をバンッっと叩いて俺の言葉に反論した。その勢いに、ミアがびっくりしてビクッとなる。
「芦名殿と陽菜さんは、怪物からタジマティアの町を救ってくださったではないですか! これを功績といわずしてどうしましょうか」
彼女の瞳には、先ほどまでの不安が消え、強い信頼の光が宿っていた。
「芦名殿の軍事指揮、陽菜さんの地理的な指導があれば、何かと役に立つことでしょう。それに……」
スイリアは一瞬言葉を詰まらせてから、小さな声で続けた。
「お二人がいてくださるだけで、私は勇気が湧いてくるのです。一人じゃない、そう思えるだけで、あの恐ろしい王都にも立ち向かえる気がします」
その素直な告白に、俺は思わず胸が熱くなった。
「そうか? 別に大したことはしていないが……」
「えへへへ、そんなに褒められると困っちゃうなぁ……」
陽菜は頬を赤らめながら、髪をくるくると指に巻いている。
「同じことなのにこんなに二人で反応が違うのにゃ?」
ミアの鋭い指摘に、俺は思わず苦笑した。
「さだっち!」
突然陽菜が俺を指差した。
「褒められたら、素直に受け取っておくべきだよ! 謙虚なのは日本人の美徳だけど!」
「そ、そうか。すまん」
俺と陽菜は顔を見合わせた。陽菜の表情には期待と不安が入り混じっていたが、やがてにっこりとした笑顔を浮かべてうなずいた。
スイリアの苦悩を知った今、俺たちにできることがあるなら、やってみる価値はあるだろう。それに、彼女の力になれるなら、これほど嬉しいことはない。
「よし、スイリアの提案通り、王都に行こう。力になれるかわからないが、出来るだけのことはしてみよう」
「本当ですか……?」
スイリアの声は感謝と安堵で震えていた。
「ありがとうございます。お二人がいてくださるなら、きっと大丈夫です」
彼女の笑顔には、先ほどまでの不安は消え、希望の光が宿っていた。
「ちなみに王都とはどこにあるのだ?」
スイリアが慣れた手つきで地図を広げた。羊皮紙の地図には、見覚えのある地形が描かれている。
「ここから更に北にいった、このあたりです」
「ああ、やっぱり、若松なんだなぁ……王都の名前って何ていうの?」
陽菜が興味深そうに地図を覗き込む。
「ヴァカマトリアといいます」
「若松に似た名前だね。ちなみに私の地元もここなんだ」
陽菜の声には、故郷への懐かしさが込められていた。
「そうだったのですね。じゃあ、私と陽菜さんは、世界は違いますが、地元友達ということなのですね」
「そういわれると、ちょっと嬉しいな」
「はい。王都に着いたら、ご案内させていただきますね」
スイリアの優しい声に、陽菜の表情がぱっと明るくなった。
「じゃあ、今日はまたここにゆっくりして、明日朝に出発ということでいいか?」
「賛成! 楽しみ!」
「右に同じく賛成ですわ」
「異議なしですにゃ」
こうして、俺たちは四人で王都・ヴァカマトリアに向かうことになった。
夜が更けてから、俺は一人で診療所の外に出た。星空を見上げながら、スイリアの苦悩について考えていた。
明日からの旅は、単なる冒険ではない。一人の女性が過去のトラウマと向き合い、家族への愛を貫くための、勇気の旅なのだ。
俺たちにできることは限られているかもしれないが、せめて彼女の支えになりたい。そう心に誓いながら、俺は星に向かって静かに祈った。




