39蜘蛛たちのパレード
敵の動きが変わった。
これまで統率も何もなく行動していた魔物の一部、蜘蛛たちが組織だった動きを始めた――そんな嫌な感覚を抱きながら、リリスティアは襲い掛かって来た金属の外殻を持つ狼の前脚をつかみ、死の気配がする地面に叩きつける。
瞬間、地面から黒々とした鋭い金属の槍に狼の腹部が貫かれた。
口から血を吐く狼に蜘蛛たちが群がる。あっという間に糸で覆い尽くされた狼は、蜘蛛たちに運ばれて通路の向こうへと消える。
同時に、蜘蛛たちの姿が他の魔物の向こうに消える。
先ほどからこの繰り返し。繭のようにされた魔物たちはどこかへと消え、リリスティアは濃密な死の気配の中で足掻き続けていた。
「シッ」
振りぬいたナイフが、火花を散らしながら蛇を弾く。金属の蛇は空中で体を大きくひねり、毒々しい紫の牙をリリスティアに向ける。
空中にナイフを置き去りにしてしゃがむ。
蛇の口に入ったナイフがガキンと音を響かせる。身じろぎした蛇はリリスティアに蹴りを叩き込まれて魔物たちの中へと吹き飛ぶ。
蛇を蹴った反作用で地面を転がったリリスティアは敵魔物の外殻、金属の殻を回収して、蛇によってわずかに開けた魔物たちの包囲の隙へと走り出す。
息が切れ、口の中には血の味がにじんでいた。
足下に死の気配。バランスが崩れることを厭わず、それどころかあえて転ぶことで敵の攻撃を躱す。
転がるリリスティアの頬を、ハリネズミのような魔物の針が傷つける。飛び越えていったハリネズミは、先ほどリリスティアが避けた場所に着地、すぐに反転してリリスティアを襲おうとするものの、何かに引っかかったように足を動かせずにいた
「……糸?」
その答えが正しかったことを証明するように、動きの止まった金属ハリネズミに蜘蛛たちが群がり、その体を糸でぐるぐる巻きにする。
視認困難なほどに細い糸があちこちにある。その事実にわずかに顔を青くしたリリスティアは、横から襲い掛かって来た魔物に跳ね飛ばされて壁に激突する。
「かはっ!?」
肺から息がもれ、痛みのせいか視界はひどく明滅していた。
涙目になりながら、リリスティアは体を前に押し出す。
鼻先だけが金属の小さなネズミが、先ほどリリスティアがいた場所に激突し、金属製の壁に鼻が突き刺さって穴が開く。
再び走り出したリリスティアは、魔物の攻撃を躱しながら、まるで誘導されるように奥へ奥へと走る。
壁を走る紫のラインは、気づけば真っ赤に染まっていた。
遠くから、激しい戦闘音が聞こえてきていた。近づくほどに大きくなるそれに混じって、どこからともなく人間の悲鳴も響いて来る。
小さく顔をしかめながら、リリスティアは立ちふさがる魔物を足場に跳び上がり、通路の先にぽっかりと開いた空間に飛び出した。
「っ!?」
そしてそこで、夥しい数の蜘蛛と、その死骸と、アラクネ、そして蜘蛛たちの中で満身創痍になりながらも剣を杖に立つ一人の少年の姿を目にした。
「ロラン・ヴィッヒ!?」
その声が聞こえたのかどうか、蜘蛛たちの一部が一斉にリリスティアの方を見て。
夥しい量の糸が、リリスティアの視界を埋め尽くした。
思わず目を閉じたリリスティアの体を、優しく抱く腕があった。
瞬間、リリスティアは激しい、けれどどこか温かい熱を感じた。
「焔狩り」
短くつぶやかれた言葉と同時に、リリスティアを抱き寄せたグロリアがナイフを振りぬく。
目にもとまらぬ速さで振りぬかれたナイフは、摩擦によって熱を帯びてわずかに赤く染まり、切り裂かれた糸は一瞬にして燃え上がる。
「……グロリア?」
これは訓練だったはずだ、とどこか責めるような声音でリリスティアが告げる。負けん気の強い弟子を一瞥してため息を吐いたグロリアは、着地すると同時にリリスティアを床に転がす。
「今回はイレギュラーだからな。まあそこで見ておきな」
言いながら、グロリアは赤い光を纏い、獰猛な笑みを湛えながら一歩を踏み出した。
勝てない戦いではないとふんでいた。
ロランにとって、目の前のアラクネは確かに強敵だった。
固い金属の殻、空中を走る動き、虚を突くような攻撃、強い粘性を帯びた糸による行動阻害。そして、一撃で沈む小蜘蛛の集団。
緩急つけて襲って来るアラクネの攻撃を弾き、糸を避けること数回。ロランは敵の動きに慣れ始めていた。
アラクネが乗ることができた糸は、粘性のない糸。引っかかることで動きを阻害されるが、それは同時にロランにとって足場にもなりえた。
糸を踏み、その張力を持って不可思議な動きをしてアラクネの体当たりを躱す。横を通り過ぎるアラクネへと振り下ろされた剣は、その体表にわずかな傷を作る。
同じ場所へと重ねられた攻撃は、固い外殻に確かな傷を刻み、足の一つに深い裂傷を作っていた。
このままいけば勝てる――獰猛に笑ったロランは、強く剣を握ってアラクネの動きを見定めて。
「うわあああああ!?」
そんな悲鳴に、ロランの集中力は吹き飛んだ。
視界の端、ロランが連れて来た従者が小蜘蛛に群がられていた。無茶苦茶に振り回された剣が蜘蛛の一部を弾くものの、多勢に無勢、蜘蛛に群がられた従者は糸でからめとられ、さらにその肩をかじられていた。
鮮血が糸を濡らし、従者の少年が絶叫を上げる。
それによって生じたロランの意識の隙間を縫うように、アラクネが頭上から強襲する。
「う、らああああああ!」
咄嗟に頭上にかかげた剣で、巨体の攻撃を防ぐ。プレス攻撃に、ロランの足が沈む。膝は曲がり、今にもその巨体に潰されそうになって。
剣を傾け、その圧を回避しようとする。だが、アラクネはロランを逃がさない。
人間を模した上半身、その腕。鋭い鎌状になった手がロランを襲う。
反射的に転がって回避したロランの脇腹を、鎌が浅く薙ぐ。
歯を食いしばって痛みに耐えながら、ロランは糸に背中を預け、その張力を利用して立ち上がる。
「はああああああ!」
振りぬかれた剣を、鎌が弾く。
一撃、二撃。アラクネの行動が変わったことを予感しながら、ロランは弾かれた勢いを利用して剣を振りかぶり、渾身の力を持って振り下ろす。
アラクネの腕、関節部分を狙って振り下ろされた剛剣が片方の鎌を切り落とす。
「キィイエエエエエエッ」
耳障りな悲鳴を上げたアラクネが、反対の鎌を振り下ろす。
横っ飛びに回避して、体を回転しながら剣を振るい――
「なっ!?」
その軌道の先に、ロランは従者の姿を見た。失神している様子の彼は、右肩から血を流し、白目をむいていた。
糸で雁字搦めにされた従者に、ロランの剣が迫る。
咄嗟に、ロランは剣の軌道を上方に逸らす。
アラクネが、笑う。
蜘蛛の体の一部から放たれた糸の塊がロランを襲う。
転ぶように回避したロランに、小蜘蛛が襲い掛かる。
ただの体当たり。けれどそれが、空間に無数に存在するアラクネの糸、その一つ、粘性のあるものにロランをぶつける。
動きが、止まる。
アラクネが鎌を振り下ろす。
限界まで体を引き絞り、鎌に向かって剣を振り上げる。
二つの得物がぶつかり合って甲高い音が響く。
軌道がずれた鎌が、ロランの腕を軽く切り裂き、そして糸が付いたあたりのロランの服を切り落とす。
一歩、先へと踏み出す。地面に鎌の先が突き刺さり、項垂れるような体勢になったアラクネへと、ロランが鋭い刺突を繰り出そうとして。
その軌道に、またも従者が割り込む。
けれどそれは、ロランも予測済み。同じ手を二度食らうほど、彼は間抜けではなかった。
刺突はブラフ。体をひねり、従者を蹴り飛ばして遠くへ転がし、その回転を利用しての横薙ぎを放つ。
果たしてその攻撃はアラクネの人間部分の首を深く切り裂いた。
飛び散る血しぶきを回避しながら、ロランは連撃を叩き込もうと一歩を踏み出して。反射的に飛びのけば、踏み込むはずだった場所に子蜘蛛たちが襲い掛かる。
「チッ」
仕切り直しかよという意味も込めてロランは舌打ちを漏らす。怪我から血が溢れて少しずつ体から力が、そして熱が抜けて行っていた。このまま持久戦になると勝てるか怪しい――そんな思いから、ロランは短期決戦に踏み切ろうとして。
三度、アラクネとの間に糸の塊が割り込む。反射的に踏み込みを緩めたロランだが、アラクネに向かって飛ぶ塊は、果たしてロランの従者ではなかった。
アラクネや小蜘蛛たち同様、金属の殻をまとった狼。糸で動きを封じられたそれが、アラクネに向かって飛んで。
それを、ばっくりと開いたアラクネの人間の口がかじり、食らい始める。
反射的に飛び出したロランを、小蜘蛛たちが妨害する。バキバキゴリゴリとおよそ食事の音とは思えない破壊音を響かせながら食事を終えたアラクネの蜘蛛の下半身が膨れ上がり、その臀部から何かが飛び出す。
それは、先ほどからロランとアラクネの戦いを妨害している蜘蛛たちよりも一回り、あるいは二回りほど大きい蜘蛛たちだった。
アラクネの魔法。取り込んだ栄養をもとに瞬時に子どもを生み出す力によって、戦場に新たな戦力が現れた。
焦りのままに小蜘蛛たちを吹き飛ばすロランの前で、アラクネは運ばれてくる餌を捕食していく。その度に蜘蛛が増え、大蜘蛛がロランに立ちふさがる。
防戦一方となったロランは、傷つき、限界が近づいていった。
心にわずかな諦めが生じたのは、ロランがつけたはずのアラクネの傷が、いつの間にか完全に消えているのを見た時だった。
配下を生み出すことに加えて、食事によって再生すら可能とするアラクネ。生えそろった二本の鎌を見ながら、ロランは引きつった笑みを浮かべて。
その瞬間、視界の端で蜘蛛とは違う何かが動いた。
アラクネたちの巣に飛び込んできたのは、人間。それが誰かロランが理解すると同時に、その人影は小蜘蛛たちの糸の波の向こうに消えて。
(無能がでしゃばるからそうなるんだ――)
心の中でつぶやかれた罵声とは裏腹に、蜘蛛たちの糸は焼失し、その奥から少女――リリスティアと、一瞬親子のようにさえ思えた、似た髪色をした女性グロリアが、リリスティアを抱いて現れた。




