40憧憬の赤星
よろよろと起き上がったリリスティアの視線の先、獰猛に笑うグロリアが体内の気力を動かし、武技を発動する。
武技。それは神の祝福を受けることで人類が手にする力の一つ。圧倒的な近接戦闘能力をもたらす武技は、一般には知られていないが二つの段階からなる。
一つは、肉体の強化や得物の鋭利化などの通常強化。
そしてもう一つ、通常強化の先にある特殊強化こそ、武技使いの真骨頂。
「――〈紅蓮獅子〉」
言葉と共に、グロリアの姿が消える。それは瞬間移動などではなく、あくまでも強力な踏み込みによる、人外の加速。リリスティアにも、ロランにもその姿を目で追うことはできなかった。
次の瞬間には、グロリアは蜘蛛の集団の一角を吹き飛ばしていた。彼女が通った場所は、金属を含む特殊成分からなる蜘蛛の糸も、蜘蛛自身も燃え上がり、砕け散っていた。
そんな災害のごとき光景を生み出したグロリアは、袖が焼き切れ、その下からのぞく肌に炎のような燃え上がる刺青を浮かべていた。
超高速移動によって生まれた熱まで干渉するグロリアの武技、紅蓮獅子。立ちはだかる全てを燃やし、へし折り、吹き飛ばす暴力の化身。
笑うグロリアが一歩を踏み出した瞬間、足元は割れ、糸は燃え、蜘蛛たちが粉々に砕け散って吹き飛んでいく。
その光景を、リリスティアは歯噛みしながら見つめていた。いつか自分も、必ずあのレベルにまで駆け上がって見せると。
広がる炎の海の中、かすむ視界の先で繰り広げられる暴威を見つめるロランは、心の中に不思議な高ぶりを感じていた。ヴィッヒ侯爵家の者として、敗北を予感し、心屈しそうになっていた自分に怒りを覚えていた。そんな思いは粉々に砕け散り、ただ憧憬だけが残った。
自分が求めた力が、そこにあった。美しいまでに研ぎ澄まされた武が、技が。
表面が赤く燃える灼椀。炎の中に揺れる赤髪。鋭いまなざしが敵を射抜く。振りぬかれたナイフは、蜘蛛の金属殻をバターのように切り裂く。その口元に浮かぶ笑みは、獣のそれ。
獰猛な笑みを浮かべて、女は走る。
目に入った血のせいでかすむ目を凝らして、ロランはその動きを細部まで脳に焼き付ける。
いつか、自分は彼女を越えてみせると思いながら。
未来を担う若者たちに希望を植え付けながら、グロリアは戦場を駆け抜ける。
ドーム状になった空間、壁を足場に跳ねるように縦横無尽に走り抜け、その手に握るナイフで、素手で、魔物たちを殺していく。
その姿は、グロリアの師匠、ノートンに似たものがあった。
戦鬼と呼ばれた戦場の鬼、ノートン。その在り方は、確かにグロリアに受け継がれていた。
それは、リリスティアが拒絶した在り方。戦いに明け暮れ、戦場こそが我が人生と見做すような、修羅の道の先に至った存在。
けれどそこには、惹きつけられずにはいられない力が――強大な暴力があった。
蜘蛛たちは砕け、吹き飛び、焼け、炎と煙が空間を満たしていく。
その中で、リリスティアは強く拳を握りしめた。
強くなりたいと、願った。グロリアのように、ノートンのように。
大切な者を、守ることができる強さを、求めた。
修羅の道に用はなかった。その道の果てに、リリスティアが求めるものはきっと存在しない。
けれど、思わずにはいられない。こんな力が、自分にもあれば――と。
「捕食させるな!」
ロランが叫ぶ。その先、アラクネが自分の子どもであるはずの蜘蛛の死骸を食べていた。
一度グロリアに攻撃されて重傷を負っていたはずのアラクネは捕食によってあっという間に傷を癒し、続けて新たに配下を産んでいく。
アラクネが叫ぶ。
小蜘蛛たちの戦い方が変わる。足止めのためにグロリアに突撃するのを大型の蜘蛛にまかせ、小蜘蛛たちは倒れた同胞を、そして遠くから狩ってきた獲物をアラクネへと運ぶ。
「鬱陶しいんだよッ」
灼腕が大蜘蛛を薙ぎ払う。灼熱を帯びたナイフが、大蜘蛛の頭部を切り落とし、燃やす。
止まらぬ炎の嵐は、確実に前へと進む。アラクネへと向かって。
立ちはだかる金属殻をまとった蜘蛛たちは、足止めすらかなわなかった。
足場に小さなクレーターを作りながら、グロリアが踏み出す。一瞬にしてアラクネの前へと走ったグロリアが、握るナイフを振りぬく。
アラクネの鎌がグロリアの攻撃を受け止め――受け止めきれずに鎌が折れ、砕ける。
致命の一撃が、アラクネの人間の頭部を襲う。
妨害しようと蜘蛛の体にある穴から糸が飛ぶも、グロリアの体を包む熱が、アラクネの糸を燃やしてしまう。
「これで、終わりだ!」
頭から蜘蛛の体まで、ナイフがその体を切り裂く。まるでその刃が伸びたように、切っ先より一メートルほどを斬撃が走り、アラクネは縦に両断された。
魔物の中でも頑丈なことで知られるアラクネは、体内に残るエネルギーによって左右の体を繋げて再生をもくろむも、グロリアの炎がそれを許さない。
断面は燃え続け、炭と化す。
怒りの断末魔を上げたアラクネが倒れたその瞬間、蜘蛛たちは烏合の衆と化した。
「リリスティア!後はあんたがやりな!」
その言葉に、リリスティアは我に返る。もとより、このダンジョン攻略はリリスティアの訓練の一環。緊急事態ということでグロリアが手を出したが、基本はリリスティア自身の手で攻略をすることになっている。
アラクネという司令塔を失って慌てふためく小蜘蛛たちを見て取ったリリスティアは、ナイフを握りしめて立ち上がり、敵に向かって走り出した。
度重なる戦闘の中、リリスティアは蜘蛛たちが罠以外の理由で死ぬ場面を見て来た。それは例えば、ダンジョンにはびこる蜘蛛以外の魔物による攻撃であり、その際、リリスティアは蜘蛛たちの弱点を看破していた。
金属の殻を纏う蜘蛛たちだが、その頑丈な殻は腹部には存在しなかった。
ゆえに、リリスティアは蹴りで小蜘蛛の体を上空に跳ね上げてナイフを叩き込む。あるいは、ひっくり返した蜘蛛の腹を踏みつぶす。
蜘蛛の体液に体を汚し、煙に顔をしかめながらも戦い続けること約十分、アラクネの巣にいた蜘蛛たちは全て物言わぬ骸になり果てた。
「……どうしてついてくるのよ」
砦の金属の床に小さな足音を響かせながら、リリスティアは背後を睨む。そこには、従者である少年を肩に担ぎ、剣を片手にリリスティアの後を追うロラン・ヴィッヒの姿があった。
「……あの女は誰だ?」
十字路にて、ちらりと前後左右を見て取ったロランは、睨むような目つきでリリスティアに問う。
「どうしてそれをあなたに教える必要があるのよ?」
「恩人に礼を言おうというんだ。当然のことだろう?」
睨みあう二人は、少年従者のうめき声を聞いて我に返り、再び周囲の警戒に戻る。アラクネの配下である小蜘蛛たちが暴れたせいか、付近にはほとんど魔物の姿がなかった。
つまり、攻略を進める絶好のチャンス。
グロリアの参戦によってわずかに体が休まり、さらに気が昂っていたリリスティアは、そのままダンジョン攻略をすることを決断。アラクネの巣からさらに奥へと向かったのはいいのだが、その後を追うようにロランがついて来ていた。
グロリアについて話すか、無視して歩くか。せいぜい顔見知りに過ぎないロランにこれ以上背後を取られるのは堪らないと、リリスティアは前者を選択した。
「彼女はグロリアよ」
「それだけかよ。お前の脳みそは鳥と同レベルか?」
「……私の師匠よ。あと、私の師匠の弟子……つまり姉弟子よ」
それだけ告げて、リリスティアは再び歩き出す。リリスティアとて、グロリアについて知っていることは少ないのだ。Sランクのハンターで、リリスティアの師匠ノートンの弟子。武技使い。
ロランが余計な関心を抱かないようにと、リリスティアは最小限の話に留めた。何より、流れでため口をきいているが、ロラン・ヴィッヒはリリスティア・グレイシャスにとって格上の存在なのだ。次期侯爵である侯爵家の嫡男と、没落男爵家の長女。その立場の違いは大きい。立場の違いは権力の違い。
貴族にとって平民がどれほど力のない存在であるかを知っているリリスティアにとって、グロリアが貴族に目を付けられるような状況を回避すべく、必死に思考を巡らせていた。
ふん、と鼻を鳴らしたロランは、口を閉ざしたリリスティアの背を睨む。その目に浮かぶ隠し切れない熱に、リリスティアは気づけなかった。
再び、ロランの肩に担がれた少年が小さくうめく。
まだ別れないのか、とそう視線で問うリリスティアに、ロランが顎で前方を示す。
そこには、これまでのダンジョンでは見なかった大きな扉が存在していた。これまでのダンジョンの壁とは違う、黒い金属製の扉。表面には幾何学模様のレリーフが刻まれており、白っぽい金属に紫の線が走る壁の中、異様な空気を放っていた。
「……最奥の間?」
ダンジョンの最奥、そこには攻略者の証を送る空間が存在する。手の甲に証を刻むその空間「最奥の間」、あるいは俗に「刻印の間」と呼ばれるそこが、リリスティアの目と鼻の先にあった。
どちらからともなく扉に歩み寄ったリリスティアとロランは、左右の扉を互いに押す。
小さな金属音と共に、その扉は簡単に開き、それと同時に、円形の空間が二人の進路に現れる。
暗がりに沈むその空間は、けれど二人が一歩を踏み出すと同時に光に照らされる。壁に等間隔に備え付けられた松明に青い炎が灯り、二人を奥へといざなう。
豪華な装飾があしらわれた壁を見回しながら、リリスティアは記憶を頼りに、緊張しながら部屋の中央へと進む。ロランもまた従者を担いだまま中央へと歩いて。
二人が中心付近に踏み入ったその瞬間、足元にまばゆい青の光が生まれた。それは複雑な幾何学模様を描く青の魔法陣。地面に刻まれた回路に沿って流れる魔素によって起動したその円陣が、二人の体に干渉する。
右の手の甲に熱を感じて、リリスティアは小さく顔を歪める。その熱は、けれど不快なものではなかった。皮膚の上を何かが走るようなこそばゆさと共に、リリスティアの視線の先で、手の甲に青い光が灯る。丸い光は次第に不思議な模様を描いていく。何かの生物を模したようなS字の曲線に、直線、点、そしてそれらを囲むような太さの異なる2本の円。
刻まれた紋章は次第に光を失っていき、黒い地の色を露わにした。それを見つめながら、リリスティアは横目にロランの姿を確認する。
自分の手の甲を見ながら口の端を吊り上げているロランと、リリスティアの視線が交錯する。
互いに眉間にしわを寄せた二人は、黙ってにらみ合い。
次の瞬間、紋章刻印時よりも強い光が足元の魔法陣から放たれ、二人は思わず目を強く閉じた。
ダンジョン最奥の間から魔法陣による転移で地上へと帰還したロランは、リリスティアに何も言わずに背を向けて歩き出した。
その胸にある熱を確認するように片手を胸に当て、目を閉じて記憶に想いを馳せる。
瞼の裏に焼き付いた圧倒的な力を振るう武技使い。炎の中で揺れる赤髪。吹き飛ぶ魔物たち。
あの頂に一刻も早くたどり着いて見せる――そう決意を、憧憬を胸に、ロラン・ヴィッヒは歩き出した。




