38古代砦ダンジョン
ダンジョンに入ってすぐ、リリスティアの視界に飛び込んできたのは、金属肌の壁や天井だった。魔素という燃料を伝わらせるためか、壁のあちこちに淡い紫の光の線が走り、それがつながる天井には真っ白な明かりが存在していた。
過去の砦の機能がダンジョン化によって復活しているが、それは何も防衛システムだけではない。魔素を使った照明などもしっかり機能しており、それゆえに古代砦ダンジョンはほかのダンジョンに比べても明るい。
ちなみにほかのダンジョンには壁に光る苔が生えていたりする。それはまるで一定の光を確保することでダンジョン内に侵入者を呼び寄せようとしているようだと告げる研究者もいるが、真実のほどは定かではない。
それはともかく、イメージしていた無骨な砦とは全く違う様子に、リリスティアは強く警戒しながら一歩を踏み出した。
古代砦ダンジョンの魔物はあるいはリリスティアには倒せないほど強い――そんなグロリアの煽りは、リリスティアの中からはすっかり消えてしまっていた。その点に限っては、リリスティアはロランたちとの遭遇に感謝してもいいかもしれない。
一切の油断なく道を進むリリスティアの耳に、小さな足音が聞えてきた。カシャカシャと素早く打ち鳴らされる足音は人間のそれではなかった。その接近にリリスティアが気づいた時には、すでにグロリアは姿をくらましていた。
未知の敵を前に、リリスティアは一人。グロリアの援助を期待してはいけない。それがあるときは、おそらくはグロリアがリリスティアの訓練から手を引く時だから――
素早くナイフを抜いて構えたリリスティアの前に、曲がり角の先から姿を現したのは金属の殻をもつ八本脚の蜘蛛だった。ぎちぎちと口らしき部分で音を立てる蜘蛛がとびかかってくるのに合わせて、リリスティアはナイフをふるう。
殻の隙間、関節部分に振るわれたナイフは狙い通りの場所にぶつかるも、ギィン、と鋭い音とともにナイフがはじかれる。
しゃがんで攻撃を回避したリリスティアの視界の先、蜘蛛の足の関節には傷一つなかった。
ここでようやく、リリスティアはグロリアの言葉を思い出した。
――おそらく、出てくる半分以上の魔物は、そもそもあんたには斃せない。
その意味するところが、この蜘蛛のような敵の防御力にあることは明らかだった。
リリスティアの攻撃はナイフによる刺突や切り払い、そして投擲のみ。そのナイフが有効打にならない以上、リリスティアには太刀打ちできない。
かといってただ逃げるというのも問題だ。何しろ、グロリアの言葉が防御力をさしているのなら、今後出てくる敵の二体に一体はこのような金属ボディの敵であるということになる。
そんな敵を連れてダンジョン内を疾走するなど無茶にもほどがあった。
再び飛び掛かってきた蜘蛛を避けながらリリスティアは考える。
蜘蛛の動き自体は単調だった。躱すこと自体は簡単。だが攻撃が有効打にならない。
敵を減らすためには蜘蛛を倒せる程度の攻撃力を持つ必要があって。その手段は、けれどすぐさまリリスティアには思いつかなかった。
足を止めた蜘蛛が前脚を伸ばし、臀部を前に突き出すような動きを取る。
とっさに横にとんだリリスティアのすぐ横を、ワイヤーのような糸が飛び、地面にへばりつく。それを手繰るように移動する蜘蛛の動きは、これまでにない速度を出していた。
糸による攻撃がリリスティアに有効だと判断したのか、蜘蛛は糸の球をつぎつぎと飛ばし、リリスティアの足場を少なくしていく。
その回避をするうちに、リリスティアは背中が壁にぶつかる。
追い詰められたと判断した次の瞬間、蜘蛛はリリスティアに向かって蜘蛛の糸を吐いていた。
「しま――ッ」
とっさに体の前に出した腕に糸がつく。服を切り裂くか引きちぎるような余裕はなかった。すでに蜘蛛の体は空中にあり、糸を辿ってリリスティアに迫っていた。
ワイヤーのように固い糸自体も、リリスティアには切ることができるとは思えなかった。
視界の端で影が揺らいだ気がした。それが、介入を考えるグロリアだと認識した次の瞬間、リリスティアはその生粋の負けん気から、全力で思考を働かせ始める。
メタリックな蜘蛛が、スローモーションでリリスティアに迫る。その殻に生える緻密な毛を見て、周囲を見て、リリスティアはふと、自分のすぐ隣の壁と、それから通路中央からわずかな死の気配がすることに気づいた。
反射的に、リリスティアは握るナイフの柄尻で壁を殴りつけていた。
ベコ、と予想外の軽さで壁が凹んだ。
次の瞬間、通路の真ん中頭上から金属の針山が出現し、その下にいた金属蜘蛛の体を縫い留め、貫いた。
「…………罠?」
ぎちぎちと口を鳴らしていた蜘蛛が完全に動かなくなったことを確認してから、リリスティアは小さく息を吐いて。
「ああ、その通りだ。ここは生粋の殺意マシマシの罠で知られるダンジョンだからな」
突如耳元で話かけてきたグロリアに、リリスティアは声にならない悲鳴を上げる。そんなリリスティアをおかしそうに見つめていたグロリアだが、すぐにその顔を真剣なものに変える。
「さて、ここからが本当の訓練だ。……今の戦闘音を聞いて、多数の魔物がここへ近づいてきているぞ?」
さてどう動く?どこかいたずらめいた笑みを浮かべて告げるグロリアをにらみ、リリスティアは小声で叫ぶという器用なことをした。
すなわち、
「この悪魔!」
と。
古代砦ダンジョンの詳細を教えず、なおかつ罠という危険なものの存在を話もしなかったグロリアに対する怒り、そしてあくまでもからかいに終始する様子のグロリアへの反発。けれどそんな感情に心囚われている余裕はなかった。
いつの間にかグロリアは姿を消し、それと同時に通路の奥から無数の足音が聞えてきていた。その音の中には先ほどグロリアが倒した蜘蛛のものもあれば、未知の存在の足音も交じっていた。
場所は三叉路。このまま同じ場所にとどまっているのは三方向から襲われるという最悪な方法。敵の集団を一撃で撃破するような強力な範囲攻撃がない以上、リリスティアはとにかく動くしかなかった。
近づいてくる死の気配にこみ上げる吐き気を抑えながら、リリスティアはダンジョンになり果てた古代砦をひた走った。
「…………なんだ、こいつ?」
一方、斬るというよりは鈍器に近い肉厚な剣を身に着けたロランは、現れる金属の殻に身を包んだ敵を倒しながら確実に奥へと進んでいた。
ロランが敵を薙ぎ払い、従者の少年がマッピングと荷運びをする。最低限の形だったが、二人のダンジョン攻略は順調だった――今、この時までは。
ロランが足を踏み入れた先は、迷路のように目印の一つもない通路ではない、開けた空間だった。相変わらず紫のラインが走った金属で壁が覆われてはいたものの、その広さはこれまでの通路の数十倍だった。
そんなホールのような広い円形状の空間の中央には、壁と同じ金属質の、大きな卵のようなものがあった。その表面を走る光の線はドクン、ドクンと脈打つように明滅していた。
何かが、生まれようとしている――それを、ロランは大気を震わせるような魔力を感じることで理解した。
「いいか、引っ込んでろよ!」
言いながら、ロランはホールへと飛び降り、その卵に向かって走り出す。
ロランは騎士ではない。武闘派貴族であるヴィッヒ侯爵家にとって最も重要なのは勝利。そのためならばだまし討ちだって相手の準備が整っていない状況での奇襲だって許容される。
すべては勝利のために――そんな思いとともにロランが剣を振り下したその時、金属の卵はひときわ強く明滅し、さらにはその紫の光が赤に変わった。
次の瞬間、卵の殻が割れ、その破片が膨大な魔力を含んだ風によって周囲へと吹き飛ばされた。
迫る金属を払うロランは、その先に見えた敵を前に冷や汗を流した。
「……アラクネ、か?」
それは、豊満な胸を持つ人間の女の上半身が蜘蛛の下半身につながったような外見をした魔物だった。
通常個体であればアラクネと呼べるそれは、けれどそのメタリックな銀の肌も、内包する魔力も、まるで異なるべつものだった。
そして次の瞬間、アラクネはその蜘蛛の体のあちこちにある穴から同時に銀色の糸を噴出した。
一瞬にして広いホールは蜘蛛の糸であふれて、ロランはここが敵が最も真価を発揮する「巣」であることを理解した。
「逃げろ!」
背後の従者に叫びながら、ロランは糸を足場に高速移動するアラクネのタックルに剣を添わせ、ぎりぎりのところではじいた。
少しでも無駄な動きをすれば蜘蛛の巣にからめとれて動きを封じられる。その果てにあるのは死だ。
「……ははっ、いいじゃねぇか」
死が目前に迫って、けれどロランはおびえない。あくまでも獰猛に舌なめずりをして、目の前で空中を走るアラクネを獲物と見定めて笑う。
「さぁ、せいぜい俺の獲物としてあがいて見せろ!」
そう笑うロランの挑発が通じているのかいないのか、アラクネは人間に模した上半身の口から奇声を上げながらロランに体当たりを放った。




