37過去との接触
古代砦ダンジョンは、膨大な魔素によって内部の空間がゆがんだダンジョンの一つである。ダンジョンとなった砦は、それまで停止していたいくつもの防御機能を修繕、再構築させ、さらには魔素によって魔物まで生まれた。
凶悪な魔物と、古代の罠。二つを備える古代砦のダンジョンは、レスティナート王国でも屈指の難易度のダンジョンとして知られる。
ダンジョンを攻略すると、手の甲に紋章が出現する。それは平民にも伝わる、サクセスストーリーに登場するありふれた話である。
手の甲に描かれる紋章は、当然攻略するダンジョンによって異なり、また踏破数が増えるほどにその紋章は複雑かつ精緻なものになる。
ゆえに手の甲の紋章の有無だけではなく、その種類からどのダンジョンを攻略したか――特に紋章の中心となる最初のダンジョンの難易度はダンジョン攻略者の中に格差を作る。
つまり、ダンジョン攻略者の中で一歩秀でようと思えば、古代砦ダンジョンのような高難易度で知られるダンジョンを攻略すべきである、ということだ。
だから今日もまた、レスティナート王国最高難易度とうたわれる古代砦ダンジョンに、王国各地から夢見る若者たちが足を運んでいた。
「ロラン様ぁ、本当に行くんですかぁ~?」
「当たり前だろ。なんのためにこんな辺境くんだりまで足を運んだと思ってるんだ」
情けない声を上げる全身鎧の少年を見て、深い海のような青の髪と瞳が特徴的な美しい少年が、その容姿を台無しにするように歯をむき出しにして告げる。こちらの少年は要所だけを金属プレートで守った比較的軽装な姿だった。
ロラン・ヴィッヒ。武に秀でるヴィッヒ侯爵家の跡取りとして知られる彼の両肩に乗った期待は大きい。だがそんなプレッシャーを鼻で笑って吹き飛ばすほどには、ロランという男は剛毅で、そしてそれにふさわしい実力があった。
若くしてすでに国の騎士たちに土をつけ、実父のヴィッヒ侯爵を相手にしても場合によっては引き分けに持っていく。
未来のヴィッヒ侯爵家を背負う身として、ロランは王国最高難易度である古代砦ダンジョンを攻略することに決めていた。
そんな彼の共をする側近の少年はすでに泣きそうだった。ロランの巻き添えを食ってダンジョン攻略を侯爵より命じられ、さらに万が一の時にはその身を盾にしてロランを守れと告げられた彼はまだロランより少し年上の11歳。祝福の儀こそ済ませているものの、まだ若い彼に自己犠牲のレベルの忠誠を求めるというのは少々酷だった。
ロランを守れなければ死。ロランを守った場合も死。少年はただ、ロランが無事にダンジョン攻略を成功させることを祈るばかりだった。
強く目を閉じて神に祈りをささげる従者を冷めた目で見るロランは、さっそくダンジョン入口へと視線を向け、そこで見覚えのある背中を捉えて目を細める。
特徴的な赤い髪。ロランと同じくらいの背に、どこか威圧感のある、けれど細部まで魂の乗った、生粋の貴族のふるまい。
記憶の中にあるその人物を漁りながら、ロランは素早く現在地について思い起こす。辺境。古代砦ダンジョン前。隣国ヒルベルム王国との国境付近である最寄りの街は、確かあの家が領地替えされたはずで――
「……リリスティア・グレイシャス?」
二人の距離はまだ五十メートル以上あった。それにも関わらず、ダンジョンに入っていこうとしていた赤髪の少女は小さく肩を弾ませて、ロランの方を見た。その顔は少しだけ苦々しいものに代わるも、けれどそれも一瞬のこと。
貴族らしい感情をうかがわせないのっぺりとした仮面を張り付けた少女、リリスティアが小さく口を動かす。
「久しぶりね、ロラン・ヴィッヒ侯爵令息――」
鬱陶しい相手に見つかった。そんな苦々しさを仮面の裏に隠し、リリスティアは視界に映った少年の名を告げた。
ロラン・ヴィッヒ。生粋の武闘派で、けれど頭も悪くなかった。基本的に武術の修練に時間を割いていたが、初等学院の通常講義を休むわけでもなく、ただ空き時間にひたすら訓練をする暑苦しい男という印象だった。
とはいえ一心に体を鍛えるその在り方は、リリスティアにとってもそれほど嫌なものではなかった。せいぜい暑苦しい、あるいは汗臭いという程度。
そんなロラン相手にリリスティアが思うところはほとんどなかったが、今の自分を学院時代からの知り合いに見られるということ自体が、リリスティアの心を揺らした。
グレイシャス伯爵令嬢としてリリスティアが思うままにふるまっていた過去を、ロランは知っている。リリスティアにとってはある意味で汚点で、ある意味は輝きに満ちていた過去であるその時間を知っているからといって、別に何かがあるわけではない。
けれどこうして心機一転して、覚悟とともに汚水をすすってでも生きている自分を見られるというものが、まだ心の奥に残っていた高位貴族令嬢時代のリリスティアを呼び覚ました。
今すぐに姿をくらませと心が叫んでいた。みっともないこんな姿を見られるわけには行けないと。
逃げ出したかった。けれど、逃げるつもりもなかった。この程度で逃げていては、話にならないと、奥歯を軽くかみしめて、リリスティアは自分に活を入れる。それでも、握りしめた拳が震えることは止められなかった。
果たして、歩み寄ってきたロランは小さく鼻を鳴らし、リリスティアの横を通り過ぎて行った。
その後ろ、ぎょっと目を剥いた従者の少年が、何か言いたげな視線をリリスティアに送り、ロランに置いて行かれないように足早に歩いて行った。
「……貴族のガキか。ってことは、知り合いか?」
「顔見知り程度よ。それより。私たちも行きましょうか」
言いながら、リリスティアは入口を守る警備員にハンターカードを示して、グロリアとともにダンジョンへと足を踏み入れた。




