フラマンタスの刃75
「イシュタルさんがですか」
朝食を終えると、マリアンヌ姫らに合流した。フラマンタスが食堂で見聞きした情報を伝えると、姫達は勿論驚いた。そうして肌寒い朝の中、仕事に出る人など見ていると、首飾りだったり、腕輪や指輪だったり、オニキスを身に着けていた。中にはイシュタルの言うことを嘲笑い、外してしまった人もいるかと思ったが、見る限りそんな人はいなかった。子供から老人までみんなが着けている。
フラマンタスとギュネは夜の番の際に風呂に行けなかったので、銭湯へと向かった。
老人らと一緒になったが、彼らもまた入浴中も首飾りをしていた。
「失礼ながら、それを外そうとは思わないのですか?」
フラマンタスは老爺らに尋ねた。
「何だか、忘れちまうんだよな。今、アンタに言われて気付いたけど、数秒後には忘れるさ。ワシも呆けたのかのしれんな」
老爺達はそう言って笑いあっていた。
「アンタも違うのかい?」
老爺の一人がフラマンタスに向かって尋ねた。
「あ、ああ、そうかもしれませんね」
「じゃろう?」
フラマンタスは話を合わせて風呂を出た。決して彼らが呆けているのではない。だとすれば何だろうか。イシュタルがそうすべく妖術の類を使ったとしか思えない。
「フラマンタス!」
ギュネが出てきた。
そして彼女も同じく風呂で一緒になった老婆達から同じことを言われたとのことだ。
「この町の人達、催眠術に掛かってるみたい。だけど、その方が良いわね。今のところは」
「ええ。真紅の屍術師を討つまではその方が良いでしょう」
二人は再度仲間達と合流した。
アネーリオがクシャミをした。
「大丈夫? お姉ちゃんが温めてあげようか?」
マリアンヌ姫が外套を広げてアネーリオの背を抱き締めた。今はちょっとだけマリアンヌ姫の方が背が高い。
すると、アネーリオが声を上げた。
「コモド兄ちゃん!」
「どしたの?」
「俺、今、勃起してる! 勃起してるよ!」
「そか。それが少年の気持ちなんだね」
思わず出た言葉に、幸いなのかマリアンヌ姫はよく意味が分かっていないようだった。
ヒューが笑った。
「アンタ、ちゃんと性教育してるんでしょうね?」
ギュネが疑惑の目をコモドに向ける。
「してるよ。今の聴いたでしょ、その成果だよ。でも、まだまだ教えてないことだらけだけど。それは旅が終わったらにしようと思う。とりあえず、少年、それは人前では言わないのが紳士ってもんだよ」
コモドは陽気に答えた。
ダニエルが苦笑いをしている。
「あの、早く出発しないと、イシュタルさんと、ウルフさんでしたっけ? 二人に追いつけなくなりますよ」
「向こうは馬らしいからな。慌てて追いかけたところで変わらんさ」
ヒューが言った。
東の果てまでどのぐらいなのか分からないため、迂闊に大きな買い物はできない。馬は値が高い。馬車だってそうだ。地道に歩いて行くしかない。
「行こうか」
フラマンタスが言うと、一同は頷いた。
2
ウルフは馬を操るのが上手い彼女を見て驚いていた。
以前出会った時はゾンビに立ち向かう程の腕力と手段が彼女には無いことが分かった。だが、手綱捌きだけは一流だった。あるいはウルフよりも、それともこの国一番の力量かもしれない。
それにしてももう一つ驚いたことがある。
東の果てへ旅をしていることを偶然町長に言ったところ、相手が快く馬を渡してくれた。無償でだった。ウルフは勿論感謝したが、それは隣の彼女の方が情に訴えかけられていたようだ。
「邪術から身を護るための護符代わりにオニキスを身につけなさい。肌身離さず」
オニキスのことをどこで聴いたのかは分からないが、町長があまりにも素直に応じたのが、また驚いたことだった。更に驚かされたことはまるで無尽蔵のように袖口から出るオニキスの首飾りや指輪だった。町民が列を無し、受け取っていた。
そういえば、この女性と旅をしている間にゾンビ騒ぎが起きないな。
景色が流れて行く。封印した名前と共にゾンビ達もまた彼の前から姿を消したのだろうか。
いや、違う。狙いは私ではないからだ。袂を別った彼こそが真紅の屍術師の狙いだった。彼らは苦労しているだろうか。だが、私はあそこにはいられないのだ。
「イシュタルさん、馬が息を荒げている、ここで野宿しましょう」
ウルフは並走する美しくミステリアスな女性に声を掛けた。
「そう」
イシュタルは短くそう言うと馬を止めた。
二頭の馬は乗り手達の心を代弁するかのように急ぎすぎたため疲弊しきっていた。
「幻の城までどれぐらいなんですか?」
「近いわ」
イシュタルはそう言うだけだった。
だが、その言葉だけで充分だ。
待っていて下さい、クシルスト姫。あなたへの御厚恩に報いる時がやってきました。真紅の屍術師から私はあなたを必ずや取り戻します。
イシュタルが枯れ木を拾い始めた。
「近くに川が流れていれば良いが」
ウルフが言うと、イシュタルは顔を上げて、スッと細い手を伸ばして森を指した。
「この奥にあるわ」
「イシュタルさん、馬に水を飲ませなければなりません。あなたを一人にはできません。共に来てはくれませんか」
「いいえ、私はここにいます」
イシュタルは応じた。
「しかし、野盗や、ゴロツキが通るかもしれません」
「行きなさい。私は平気。そんなことにはならないと、星が告げているわ」
イシュタルは頭上を一瞥し、こちらを見て言った。
ウルフは占いを信じる方ではない。それに今はまだ昼を過ぎたあたりだ。秋の晴れた空があり星の姿は見えない。見えないのだが、彼女には見えるのだろう。
「できるだけ早く戻ります」
ウルフはそう言うと荒く息を乱している二頭の馬の手綱を持って森へと入って行った。




