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フラマンタスの刃43

 未明から降り出した雨は篝火を打ち消し、民家の屋根を激しく叩いた。

 音が聴こえ難い。遠くで吼えていたゾンビの声も雨音に呑まれていた。

 フラマンタスらは傘を調達し、改めて見張りに立つ。

 こうして闇が薄くなり朝になったが、雨は止む気配が無かった。

 黒雲が上空を閉ざしている。

 そのうち、雷光が走り、大きな音が轟いた。

 既に外に出ていた一行の中でマリアンヌ姫が少しだけ怖気付いた顔をした。

「大丈夫よ」

 ギュネは優しく言い、まるで妹をそうするかのようにマリアンヌ姫の手を握った。

「すみません、子供っぽくて」

「誰にだって苦手なものの一つや二つあるわ」

「その嬢ちゃんの言う通りです、姫。おい、赤いの、この豪雨の中、ゾンビ狩りに出るんじゃないだろうな?」

 ヒューが姫を慰め、打って変わってマグナスに荒い口調で問う。マグナスは軽く思案し、傘を上げて言った。

「今日はここに留まりましょう、姫。ゾンビも真紅の屍術師の命を受けて我々を目指し、進んで来るとは思いますが、ここで迎撃いたしましょう。音も良く聴こえぬのでは不利です。場合によっては同士討ちに及ぶ可能性もあります」

 その言葉に異議は無かった。姫とギュネが民家の中へ入ると、マグナスがフラマンタスに声を掛けて来た。

「ゾンビどもはまた一段と腐っているはずだ。動きは遅いとは思うが、少し先を偵察に出てはくれないか?」

「分かりました」

 フラマンタスが応じると、ヒューが言った。

「あんまり人数も割けねぇだろ、俺が付き合ってやる」

「ヒューじいさんがそう言うならば」

 マグナスが頷いた。

 フラマンタスとヒューは傘を差しながら、先へ歩んだ。

 民家と民家の間を行く。大通りなので、もしも左右から敵が来ても簡単に挟み撃ちにされるようなこともない。

 雨粒は石畳に次々ぶつかり弾け飛ぶ。履いているレガースは深い水溜まりの中へ踏み込んでいた。

 二人は無言で進む。互いに左右に距離を取っている。

 ヨロリ、ヨロリと、ゾンビが姿を見せた。

 意外に近い場所に現れた。大まかな時間にして約十分ほどだろう。

 その女のゾンビは雨と腐った汁に塗れて糸を引くヌラヌラした手を伸ばして虚ろに鳴いて進んで来る。

 雷鳴が鳴った。

 ゾンビはその一体だけであった。

 真紅の屍術師の誘導でこちらへ着実に向かってきているのは分かった。

 フラマンタスはヒューに頷き、ゾンビを討ち果たそうと歩みながら十字剣に手を掛けた。

 その時だった。

 一際大きな雷鳴の音が轟き、強風が吹き荒れた。傘が煽られ、手から飛んで行った。フラマンタスは思わず上空を見上げた。

「あ、ありゃあ、もしや!」

 ヒューが驚きの声を上げる。

 老人の驚きももっともだった。

 分厚い空気を孕む音と共に雷雲から舞い降りて来たのは黒く輝く身体に赤い目を持つ想像を超えた怪物だった。

 強大な敵が粗雑に着地した瞬間に地割れが走る。フラマンタスとヒューも足元が揺らめき、踏み止まった。

 体長十五メートルはあるだろうか。周辺一帯の建物は一瞬にして瓦礫と化した。

 丸太を何本も合わせたような身体をしている。そこから長い首が伸び、牙の生え揃ったあぎとがある。

 ドラゴンは咆哮を上げた。

 そして一歩進み、いつの間にか倒れていたゾンビを踏み潰していた。

「ブラックドラゴンの現われは災厄を齎すと聴いたが、その通りの状況かもな」

 ヒューが言った。

 このドラゴンも真紅の屍術師の差し金なのだろうか。

 長く太い尻尾が振るわれ瓦礫を更に荒微塵に弾く。

 ドラゴンが後足で立ち、口を開いた。

 何だろうか。

 と、思った瞬間、横合いから誰かが吹っ飛んできて地面に倒れた。

 ヒューだった。そして今の今までフラマンタスがいた場所には炎が吹かれ、石畳は焦げて煙を上げていた。炎の主は当然ドラゴンだった。口から紅蓮の火炎が伸びている。

「ヒュー、すまない」

「危うくウェルダンになるところだったな」

 ヒューと共に立ち上がりながらドラゴンと対峙する。

「それにしても、よく気付いたな。ドラゴンと戦ったことは?」

「無い。絵物語の知識が役に立つとはな」

 言われて見れば絵本のドラゴンは炎を吹く。しかし、ドラゴンとの遭遇例は過去にあまりに無いはずだ。人が人同士で争っている期間が長すぎたのかもしれないが、今日ここでドラゴンというものが実在することが分かった。

 ドラゴンは前足を下ろした。石畳が割れる音がする。

「この構えは」

「言うまでもねぇぜ!」

 二人はそれぞれ左右に飛び退いた。ドラゴンが一瞬で距離を詰め暴風と共に突進した。またも幾つもの民家を破壊したそれは破城鎚のようだった。瓦礫の上で方向を変え、こちらを睨む。

 あれを傷つけられるのか?

 フラマンタスは十字剣をようやく引き抜いた。

「そうだな、やるしかねぇ。こいつを斃して名を上げようなんて思わない。俺はマリアンヌ姫様を脅かす奴をやっける忠義の戦士だ」

 ヒューが戟を振るい真っすぐ構えた。

「心強い。教会戦士として忠義の戦士と共に肩を並べられて嬉しい」

「ふっ」

 フラマンタスとヒューは微笑みを交わすと、ドラゴン目掛けて駆けた。

 ドラゴンは大きいだけに小回りが利かない。大木のような首に取りつくのは意外と容易いものだった。ドラゴンは左手に回ったヒューを追う。フラマンタスは大木の様な長い首目掛けて剣を振り下ろしたが、渾身の一撃は竜の鱗に阻まれた。

 ミスリルよりも固いと言われる伝承は本物だったのかもしれない。

「フラマンタス!」

 反対側からヒューの声が聴こえた。

「駄目だ! 刃が通らない!」

「分かった! こういうのは反対側が柔らかいって相場が決まってる! 何とかして腹の方からやるぞ!」

「了解した!」

 雷雨などもはや眼中になかった。自分よりも遥かに大きな暴威に向かうだけで、彼は精一杯だった。

 奴がもう一度、二本足で立ち上がってくれれば……。

 厚みのある鞭の様な長い尻尾が打って来たが、フラマンタスはそれを避けた。

 ギュネに叱られたことを思い出す。こいつを受け止めていたら俺の身体中の骨が圧し折れるな。

 フラマンタスは小さく笑い声を上げて、軽く心を緩めた後、再度引き締め、敵をどう攻めるべきか、逡巡したのであった。

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