第16話 謝意の真実。
僕には彼女が出鱈目を告げないという自信があった。よって、僕の唇は瞬く間に冷えて凍てついていく。
「医者に言われたわけでもないのに、勝手に自分を殺すのはたしかに心が痛みます」
「ど、どういうことだよ……?」
彼女は何かを堪えるように、作り笑いを披露していた。僕はこんなやつれた象形の彼女を見たことがなかった。
「私がこの世界に戻ってきた理由、それは謝意の言葉を述べるためなんです」
「謝意の言葉……?」
すると彼女は唐突に背を向けて、僕にこんな言葉を呟いた。
「駿さんは謝意って聞いて、どんな言葉を思い浮かべますか?」
「ごめんなさい……とか?」
「そうです。一つは謝罪。そしてもう一つ」
そう言って彼女はこちらを振り返り、人差し指をピンと立てる。
「それは感謝です。謝意には二つの相反する意味が込められているんですね」
「それが何だってんだよ……」
「……私は言いそびれたんですよ。謝意の言葉を」
酷く言葉が震えている。彼女の涙腺は崩壊を間近に控えていた。
「普通の人なら謝意の言葉を言ってから死にます。何らかの理由で言えなくとも、頭にその言葉が過ることでしょう」
「まぁ、そうだろうな」
「……ですが、私の場合は「今はまだ死にたくない」、ただその一心だったんです」
彼女は遂に熱い雫を地べたに垂らして、自分の尊厳より心を守ろうとする。
「それで、謝意の言葉を述べられなかった私はこの世界に戻ってきたんです。ただし、家族と出会ってからの命は三ヶ月という制約付きで……」
僕はこの事実よりも、彼女が一ヶ月間、これを隠し切った事実に口が塞がらず、ただ呆然と壁にもたれかかっていた。
「これまでの十五年は、この三ヶ月のためにありました。ですから、私は……私は……」
彼女は瞳に目一杯の涙を浮かべると、それを流し切るようにこう告げた。
―――アバンチュールがしたい……。駿さんを少しの間、独占したいんです。―――
そう言った彼女は、僕の両腕を震えるその手でぎゅっと握りしめた。僕は次に彼女へなんと言葉をかけるか、真剣に、真剣に思案した。
「……あのとき、お母さんが謝意の言葉を言わなかったから、僕と二度と会えない運命から逃れられたんだっけ」
「そうよ……母親の私が何も言えなかったから……」
「言えなかったんじゃない。言わなかったんだよ。お母さんは希望を捨てなかったんだ」
彼女は「そんなことない」と何度も何度も連呼して、柄でもない卑下を繰り返す。
「僕も希望を捨てないから。小雪を……一人の女性として幸せにしてみせる」
僕は彼女に面と向かってそう言った。この自信の源流がどこかは知れなかったが、少なくとも僕の心には彼女の幸福という大義名分が生まれていた。
「約束するからさ……笑ってよ」
少ししてから、彼女の鼻音が耳を突くようになり、次に彼女は籠もった声でこう呟いた。
「約束……してくれますか?」
「あぁ、一親等の契だよ」
彼女は雅にほくそ笑んで、ようやっと涙を枯らしてくれた。
だが、僕は彼女をどの視点から見つめるべきなのか、判断に迷っていた。
あくまでも彼女の演技に乗じて“小雪”を貫き通すのか、やはり母親の尊厳を慮って“麻也”として接するのか。選択の時間は、あまり残されていなかった……。




