清瀬川の拳と霧嶽山の僧
第8話:清瀬川の拳と霧嶽山の僧
旅を続ける篠田は、清瀬川のほとりの街で一人の男と運命的な出会いを果たす。
下級武官・花田和人――胸板の厚い巨躯に爛々とした眼光を宿し、情に厚く豪放磊落な男だった。酒席で意気投合した二人だったが、隣部屋から聞こえてきた悲痛なすすり泣きが、その場の空気を一変させる。
訳を尋ねると、親子で旅芸人をしていた少女とその父親が、街の悪辣な高利貸しに騙され、理不尽な借金に苦しめられているという。高利貸しの正体は、帝の権勢を背景に街で幅を利かせる肉屋の店主だった。
「弱者を食い物にする下衆が……許せん!」
怒りに拳を震わせた花田は、旅芸人親子に逃走用の路銀を握らせると、単身で肉屋の店先へと乗り込んだ。
難癖をつけて肉屋を揺さぶり、悪行を詰問する花田。開き直った肉屋が包丁を手に襲いかかってくると、花田の怒りは頂点に達した。
「この悪党めが!」
怒号とともに放たれた拳が、肉屋の顔面を打ち抜く。
一拳、二拳――救いようのない悪を懲らしめるつもりの打撃だった。しかし、花田の桁外れの腕力と「武節」の強大さは、己の想定を遥かに超えていたのだ。
鼻血を吹き出し、痙攣して動かなくなる肉屋。
(しまった……死にやがった!?)
周囲の悲鳴の中、花田はとっさに「死んだふりをしやがるな!」と怒鳴り散らしながら、その場を悠々と立ち去った。
官憲の追手が迫る中、お尋ね者となった花田は篠田の手引きを受け、霧嶽山の深山幽谷へと逃げ込む。
山頂に佇む古刹・文殊院の門を叩いた花田は、浮世の罪と恩怨を断ち切るため、頭を丸めて出家することを決意する。
「汝の法号を『大八』と授ける。これよりは仏の弟子として生きよ」
戒律を重んじる厳かな境内の中、剃髪した花田――いや、僧侶「大八」は、己の手を見つめながら静かに目を閉じたのだった。




